第33話
「今日、何かあった?」
放課後の帰り道、汐見が聞いてくる。氷岬は先にタクシーで帰ったので、俺たちは一緒に帰ることができている。
「え? なんかおかしかったか、俺」
「うん。昼休み金子くんとどこかへ行って帰ってきてから、様子がおかしいよ」
汐見にも心配をかけてしまった。これはよくない。
「これはちょっと人には言えない内容なんだ」
「そっか。なら聞かない」
こうやってすぐに引いてくれるところがありがたい。追及されても駿の秘密を俺が喋るわけにはいかないからな。
「よし、暗い話は終わり。私とは楽しい話しようよ」
汐見はそう言うと、快活に笑う。この笑顔にどれだけ癒されることか。
「どっか遊びに行くか?」
「じゃあね、カラオケ行きたいな。2時間ぐらい歌いに行こうよ」
汐見の提案で俺たちはカラオケに行くことにする。
カラオケなんて行くの、いつ以来だろうか。記憶を遡ってみても小学生の時以来かもしれない。うちは親が滅多に帰ってこないからな。遊びに連れて行ってもらうことも少なかった。
カラオケ店に入り、受付で機種と時間を指定し、部屋に案内される。カラオケルームとはいえ、女子と密室で2人きりという状況は、僅かな緊張を生む。
「まずはドリンクバーでジュース入れて来よう。何飲む、藤本くん?」
「いいのか。じゃあコーラで」
「うん、わかった」
そう言って汐見は部屋を出て行く。薄暗い室内で俺1人が取り残される。モニターからは宣伝が流れている。
汐見とカラオケで2人きりって何かそういうことを期待してしまうのは間違いだろうか。生唾を呑む。2人きりだ。誰も見ていない。ここでなら恋人らしいいちゃいちゃもできるのではないだろうか。
そんな欲望が心の底から湧いてくる。汐見はどういうつもりで俺をカラオケに誘ったのだろうか。もしただ歌いたいだけだったのなら、俺が暴走して汐見に嫌われることになりかねない。ここは慎重に判断しなければ。
「そうだ。忘れないうちに」
俺は自分を落ち着かせる為、スマホを取り出し氷岬にメッセージを送る。今日は帰るのが遅くなる旨を伝え、一息吐く。
「お待たせー。はい、コーラ」
汐見が戻ってくる。俺はコーラを受け取り、一口啜る。炭酸の弾ける心地よさを味わいながら、デンモクを手に取る。
「それで、どっちから歌う?」
そう言うと、汐見は不敵に笑うと提案してくる。
「ねえ、勝負しようよ」
「カラオケ勝負か。悪いが俺は久しぶりだしそんなに歌が得意じゃない。点数の勝負なら俺に勝ち目がない」
「そうかー。だったらこういうのはどう? 歌う前に点数を宣言して、採点結果と誤差が少なかった方が勝ちっていうのは」
なかなかおもしろそうだ。これなら歌が下手でも関係ない。
「というか、汐見、勝負が好きだな。遊園地の時も思ったけど」
「ふふ、そうかな。どうせならちょっとしたゲームにしたほうが楽しいでしょ」
「確かにそうだが」
「というわけでルールは私が決めたから先攻は譲るよ。藤本くん、はいマイク」
汐見からマイクを渡され、俺はデンモクを手に取り、流行りの曲を入れる。
「じゃあ点数は75点で」
俺は自分の点数を宣言し、マイクを構える。曲が流れ始める。俺は音程バーを見ながら、真剣に歌うが、思うように音程が合わない。やはり10年のブランクはそう簡単に埋められない。俺は最低限、歌詞を間違えないように注意しながら最後まで歌い切った。
「どうだ?」
「お疲れー藤本くん。久しぶりって言ってたわりに上手だったよ」
お世辞だ。それがわかる。汐見は余裕があり、勝ちを確信しているようだ。おかしい。条件は同じはずなのにまったく勝てる気がしなくなってきた。何か見落としがあるのか。
「70点か。誤差5点だな」
誤差五点なら勝負できる。俺はそう思い、汐見の表情を見る。汐見はニコニコ顔だった。やっぱり勝ちを確信しているようだ。
そんな汐見が満を持してマイクを手に取り、自分の点数を宣言する。
「じゃあ私は……100点だよ」
その瞬間、俺は負けを確信した。100点を出されたら勝ち目なんてない。もしも汐見がカラオケに来るたびに100点を出せる猛者なのだとしら、この勝負方法自体罠じゃないか。
そんなことを考えている間に汐見が歌いだす。
控え目に言って凄かった。まず声量が違った。カラオケルームに響き渡る汐見の歌声は、とてもパワフルで心地よかった。あっという間に汐見が一曲歌い終わり、俺は呆然と口を半開きの状態で固まっていた。
「どうかな」
「俺に聞くまでもないだろ」
「もう、褒めてほしいんだよ」
汐見が唇を尖らせる。
「あー、正直凄みがあった。聞いてて圧倒されるそんな感じだったよ。いつまでも聞いていたい、そう思った」
「ありがと、藤本くん」
満足そうに汐見は微笑むと、点数発表を待つ。
「100点だね」
採点結果との誤差はゼロ。汐見の勝ちだ。
「まさかこんな特技を隠し持っていたとは思わなかったよ」
「カラオケは趣味なんだ」
恥ずかしそうに汐見は笑うと、マイクを机に置いた。
「それじゃあ、罰ゲームを発表したいと思いまーす」
「やっぱりあるのか」
「うん。その為の勝負だし」
汐見は恥ずかしそうに俯くと、小さな声で罰ゲームを告げた。
「……今日からお互いに名前呼びにすること」
「…………」
汐見の提案する罰ゲームをいつも俺と仲を深めるためのものばかりだ。それがたまらなく愛おしいし、可愛らしいと思う。
「じゃあ、そっちから」
汐見は俯きながら目を合わせようとしない。俺は温かい目でそれを見守りながら、その名前を呼ぶ。
「渚」
「…………はい」
噛まずに呼べた。多少照れ臭かったが、告白するときに比べたらなんてことはない。
汐見は意を決したように俺を見つめると、蚊の鳴くような声で言う。
「拓海くん」
「……おう」
実際に呼ばれると照れるな。氷岬にはいつの間にか呼ばれていたが、汐見に呼ばれるのはまた違った趣があるな。
「じゃあこれからよろしくね、拓海くん」
「こちらこそよろしくな、渚」
それから俺たちはカラオケで時間の許す限り歌った。カラオケで好きな歌を全力で歌うのって気持ちいのな。
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