第18話

 体育祭の練習は順調に消化した。氷岬との二人三脚は始めた頃よりもスピードアップできているし、何も心配はいらない。万全の状態で俺たちは体育祭当日を迎えた。

 午前の部では借り物競争と綱引きに出場する。借り物競争ではどんな内容を引くかにもよるが基本的には1着を目指していくつもりだ。

 午前の部が始まる。男子の短距離走から始まった体育祭。俺は応援席でクラスメイトのを応援しながら自分の出番を待つ。

 そこへ汐見が話し掛けてきた。


「藤本くんって何の種目に出るの?」

「借り物競争に綱引き、それから二人三脚にリレーだ」

「結構出るんだね」

「休んでいた間に決められたからな。他の連中があんまり出たくなかったんじゃねえの」


 口ではそう言うが汐見にいいところを見せる機会が増えるのは歓迎だ。


「そっか。でも藤本くんは体育祭毎年活躍するから今年も期待だね」

「おう、任せとけ。絶対に紅組を勝たせてやるぜ」

「うん。私は応援を頑張るよ。私じゃクラスの役には立てないだろうから、少しでも声援で力になりたいんだ」


 汐見の応援を受けることができるなんて幸せだ。ますます個人競技で負けられなくなった。


「お、そろそろ借り物競争の時間だ。俺行ってくるよ」


 借り物競争に出場する選手を呼ぶアナウンスがあり、俺は応援席から立ち上がる。


「うん、頑張って」


 両手でガッツポーズを作る汐見が可愛くて、俺は力が漲るのを感じた。

 入場口へ行くと、色のついたタスキを渡される。それを胸にかけて準備万端だ。

 音楽が流れ入場する。俺は第1走者だ。入場してすぐにスタート位置につく。


「位置に付いて。よーい」


 ピストルの音を合図に一斉にスタートする。俺は全力で地面を蹴ると一目散に借り物のくじが置かれたところまで駆けていく。その甲斐あってか、一着で借り物のくじが置いてあるところまで辿り着いた。


「さあ、ここで何を引くかで運命が決まる」


 俺は腕を回しながら、くじを引く。ここで借りやすいものだったのなら、楽に勝負を運べる。俺は自信のくじ運に祈りながらくじを開いた。


「好きな人、だー?」


 俺の紙に書かれていたのは好きな人。なんともべたな。べただが苦戦する人間は多いお題だ。この好きな人をリアルな好きな人を借りてきてしまったら、それすなわち告白になるからだ。こんな方法で告白するのはなんか間違っている気がするし、悔いが残るだろう。

 俺の場合でいえば本命は汐見だが、このケースで汐見を連れて行く男らしさを発揮できるほど、俺は強くなかった。


「しかたないか」


 だが、勝負事は全力を出してこそ。難しいお題だからといって立ち止まることはしない。俺は自分のクラスの応援席に駆けていく。そこで俺たちに声援を送っていた氷岬の手を取ると走り出す。


「一緒に来てくれ」

「わかったわ」


 突然のことにも関わらず、氷岬は事情も聞かずに応じてくれた。俺は氷岬の手を引きながら、ゴール地点へと向かう。


「さあ、一着でゴールしたのは一組の藤本くん。一緒に女子生徒を連れています。その手に取ったお題はなんだったのか」


 実況が場を盛り上げる。俺は審判団に紙を渡すとジャッジを待つ。ここで失格を言い渡されれば、もう1度借り物を探しに戻らなければならない。

 審判は駿だった。駿は体育祭実行委員になっていたようで、にやにやと俺の方を見ている。


「好きな人か」


 お題の書かれた紙と氷岬とを交互に見比べながら吟味する駿は、どこか納得いかないというような雰囲気を醸し出していた。


「本当に好きな人は氷岬さんでいいのか」

「当たり前だろ。氷岬は俺のか、彼女なんだから」


 そう言って俺は氷岬の肩を抱く。


「ふーん、お前がいいならいいけどね」


 駿は俺が汐見が好きだと気付ているからな。誤魔化すようで心苦しいが、ここは惜し通らせてもらおう。


「お題は好きな人だったのね」


 氷岬が口を挟んでくる。


「ああ、好きな人だ。俺と氷岬は恋人同士だ。ジャッジは明白だろ」

「そうね。私は拓海くんに愛してもらっているし、私も拓海くんを愛しているもの。これはお互い好き同士だと認められてしかるべきじゃないかしら。証明が必要ならしてみせましょうか」


 氷岬の指が唇に触れる。俺はごくりと生唾を呑む。氷岬の目は本気だ。

 駿はその様子を見て、苦笑する。


「人のキスほど見たくないものはねえな」


 そう言うとオーケーのジャッジを下した。俺はそのまま氷岬の手を引き一緒にゴールする。


「ありがとう氷岬、お前が手伝ってくれたおかげで1着を取れた」

「一緒にゴールするって目標、先にここで達成しちゃったわね」

「そうだな。だが、午後からの二人三脚も一緒にゴールしような。あんだけ練習したんだ。絶対大丈夫だ」

「うん」


 氷岬は頷くと微笑んだ。


「お疲れ、藤本くん、氷岬さん。1着おめでとう」


 応援席に戻ると汐見が両手を叩いて喜んでいた。少しはいいところを見せられただろうか。


「やっぱり藤本くんって足速いね。すごくかっこよかったよ」

「そうか。普通だよ」


 借り物競争とはいえ、最初のダッシュは全力でいったからな。そこを見てくれたのなら嬉しい。汐見に称賛されると疲れが吹き飛ぶな。


「それにしても好きな人ってお題厳しすぎるよね。私がもし引いていたら私きっとゴールできてないな」


 汐見が苦笑する。それに目ざとく反応した俺は、声が出なくなる。汐見、好きな奴いるのか。聞きたいが聞けないもどかしさを感じながら俺は愛想笑いを返した。


「そろそろ私の出番だわ」


 そう言うと氷岬が入場ゲートに向かおうとする。


「短距離走に出るんだな。頑張れよ」

「私が頑張っても短距離じゃ勝ち目はないけどね」


 氷岬は苦笑すると俺の手を握った。


「でも、拓海くんの応援があったから頑張るわ」


 そう言って、氷岬は入場口へ向かった。


「ふーん。氷岬さんと随分仲良くなったんだね」


 汐見が唇を尖らせながら毒づいてくる。


「まあ、恋人の振りをしてりゃ嫌でも距離は近くなるからな」

「そのまま本当に好きになっちゃったりして」

「ないない、それはない」


 だって俺は汐見が好きだから。それだけはないと自信をもって言える。


「氷岬さんスタートするね。彼氏として応援しなきゃ」


 汐見にそう言われて俺は、氷岬の様子を見る。既にスタートラインに立っている氷岬の体は少し固そうだ。緊張しているのだろうか。


「氷岬さん、なんだか不安そうな顔をしているね。大丈夫なのかな」


 汐見も心配そうに氷岬の様子を見守る。


「位置に付いて、よーい」


 ピストルの合図を受けて、氷岬がクラウチングスタートを切る。少しバランスを崩したらしく、スタートは出遅れた。

 それでも前のめりになりながら食らいついていこうという姿勢を見せている。

 俺は照れから声援を送るのは控えたが、心の中で念じていた。無事に氷岬がゴールまで辿り着けますようにと。

 だが、その願いは届かなかった。


「きゃっ」


 小さく悲鳴を上げた氷岬は転倒し、その場で蹲った。そのまま蹲ったまま立ち上がらない。足を痛めたのだろうか。


「氷岬!」


 俺は気が付けばグラウンドに飛び出していた。なぜそこまで必死になったのかわからない。だが、少なくとも俺と氷岬は一緒に暮らしている。俺たちはもう家族だ。家族の心配をするのに理由はいらない。

 俺は氷岬に駆け寄ると様子を見る。氷岬は足を抑えて蹲っていた。俺は足に手を添えると氷岬の顔が苦痛に歪んだ。


「ねんざみたいだな。先生、俺氷岬を保健室に運んできます」

「ああ、頼んだ」


 俺は氷岬をおんぶすると、保健室に向かった。

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