第17話
学校での授業中、やはりというか俺は意識を保つことができなかった。1時限目の授業で俺は容易く意識を手放した。比較的真面目に授業を受けるタイプの俺にしては珍しく、その日はほとんどを寝て過ごしてしまった。
いよいよ限界を迎えた俺は、教師に申し出て保健室で休ませてもらうことにした。そして穏やかな音楽が流れる保健室で、俺はゆっくりと寝息を立てていた。
保健室のベッドって本当に気持ちいいな。そんなことを考えていたと思う。そして瞼を開けると真上に可愛い顔があった。俺は状況が飲み込めず、咄嗟に瞼を擦った。
「氷岬か?」
「あら、起きたのね。おはよう、拓海くん」
「なにしてるんだ、こんなところで」
「見ての通りよ。膝枕」
そう。氷岬は保健室のベッドに上がり、俺に膝枕をしてくれていたのだ。どうりでいい匂いがするわけだ。
「寝心地はどうだったかしら。って聞くまでもないわね。今まで気持ちよさそうに眠っていたもの」
「ああ、気持ち良かったよ。悪いな、膝痛かったろ」
「私が勝手にやったのよ。気にしなくていいわ。それに昨日眠れなかったのは私のせいでしょ」
その通りだが。だからって膝枕をしてもらう理由にはならない。
「女の子に膝枕してもらうのって密かな憧れだったんだよ」
「そうなの? だったらあなたの夢を1つ叶えられて嬉しいわ」
氷岬はそう言って俺の髪を梳いてくる。こういったやり取りをしていると本当の恋人同士みたいだ。
「お前、授業はどうしたんだ」
「心配いらないわ。今は昼休みよ」
「なるほどな。膝枕ありがとうな。おかげで大分楽になったよ」
俺はそう言うと体を起こす。正直、ずっと堪能していたい心持ちだったがいつまでも氷岬の膝に頭を乗せているわけにはいかない。きっと氷岬の足は痺れていることだろうし。
「私こそ、昨日の夜はありがとう。本当に助かったわ」
やはり昨日の夜は本当に辛かったのだろう。一緒に寝ることで少しでも氷岬の心が安らいだのなら良かった。
「さあ、そろそろ教室に戻ろう。午後の授業が始まる」
「ええ。ノートは取っておいたわ」
「悪いな」
「言ったでしょう。ノートぐらい私でも取れるって」
そう言って俺にノートを手渡してくる氷岬は薄く微笑んだ。
教室に戻ると汐見が心配そうに声を掛けてきた。
「大丈夫、藤本くん。体調は良くなった?」
「ああ、保健室で寝たらすっきりしたよ」
「昨日眠れなかったの」
「ああ、ちょっと色々あって寝付けなかったんだ」
俺がそう言うと汐見は眉間に皺を寄せた。
「もしかして、また氷岬さんがベッドに潜り込んできたとか」
鋭い。俺はぎくりとして苦笑する。咄嗟のことだったので誤魔化すのが遅れた。というか上手く誤魔化せなかった。汐見は確信したように言った。
「あー、やっぱりそうなんだ。ダメだよ。若い男女が一緒のベッドで寝るとか」
「まあ、あいつも悪気があったわけじゃないから」
「ダメだよ。藤本くん。こういうのは流されちゃ。はっきりダメって言わなきゃ、また同じことされるよ」
汐見の苦言はもっともだ。だが人肌が恋しい時もあるだろう。昨日は氷岬がそういうタイミングだった。俺が甘いのだろうか。
「悪いな、心配かけて。今後はこういうことないようにするから」
「あんまり酷いようなら私から氷岬さんに言ってあげようか」
「いいや、それは遠慮するよ。気持ちだけで十分だ」
汐見に手間を掛けさせるのはなんだか違う気がする。これは俺の問題だからな。
「そうだ。これ藤本くんが寝てた間のと保健室に行ってる間の授業のノート。とっておいたからまた写して」
驚いた。1時限目の分からある。汐見は俺が寝てしまったのに早いタイミングで気付いていたようだ。ノートは氷岬から受け取ったがせっかくの好意を無下にするのは忍びない。
「いつも悪いな。ありがたいよ」
そう言って俺はノートを受け取った。
「ううん、気にしないで。私がやりたいからやってることだから」
汐見はそう言って髪をかき上げた。
ここまでしてくれるなんて、本当に汐見は俺のことを好きなんじゃないだろうか。そんな勘違いをしてしまいそうになる。
俺はノートを胸に抱きしめ、感動を噛みしめる。
午後からの授業は仮眠のおかげかはたまた氷岬の膝枕効果か、快適に受けることができた。すっかり回復した俺は放課後の二人三脚の練習に向けて気合を入れていた。
更衣室で着替えを済ませ、グラウンドへ赴く。しばらく待っていると着替えを終えた氷岬が現れた。運動しやすいように銀髪を結んでいるのがいつもと違った印象を受ける。
「それじゃ、始めましょうか」
氷岬も気合が入っているようだ。俺はその氷岬のやる気に応える為、自らの頬を張った。
練習は順調に進んだ。今日は一度も転倒せずに走り終えることができた。再現性を保つことができている。この調子でいけば、本番はまず大丈夫だろう。
練習を終えた俺と氷岬は着替えを済ませると、一緒に家へと帰る。こうして氷岬と一緒に帰るのも少し慣れたな。ついこの間までは一人で帰っていたのに。
家に帰ると氷岬は風呂と夕飯の支度に取り掛かる。その間に俺は部屋にこもって今日の授業のノートを写す作業を始める。
勿論、使わせてもらうのは汐見のノートだ。汐見が俺の為にノートをとってくれたのだ。祈りを捧げながら使わせてもらわなければ。
「それにしても汐見って、本当に綺麗な字だよな」
ノートは見やすく、字は綺麗。同じ高校生とは思えない。俺は比較的字は汚い方だからな。
集中して汐見のノートを写していく。ほとんど写し終えたところでふと気になった。
氷岬はどんなノートのとり方をしているのだろう。
俺は氷岬から受け取ったノートを取り出して、開いて中を検める。
「これは……」
驚いた。氷岬のノートは非常に見やすく、要点がきっちりまとめてあった。汐見のノートも見やすいが、氷岬のノートはより丁寧さが伝わってくる。氷岬の字は女の子っぽい丸文字だったが、ちょっとしたイラストも付いており、そこに先生のちょっとした一言のメモが添えられていた。
「こんな他人に渡すノートにここまでするか普通」
それは確かに氷岬の思いやりが感じられた。汐見のノートも十分に丁寧にとられていた。だけど、氷岬のそれは本当に他人の為にとられたノートだった。
ここまで俺のことを思ってとられたノートを使わないのはなんだか罰が当たる気がした。俺はもう1度初めから氷岬のとってくれたノートを読み返す。
俺は最後の仕上げに氷岬のノートを写すと、一階に降りた。ちょうど、夕飯ができたらしく、氷岬はテーブルに食器を並べているところだった。
「氷岬、ノートありがとう。すげえ見やすかったよ」
「そう。だったら良かったわ。あなたの役に立てて」
礼だけはきちんとしておかなければと思った。この同居人の優しさに俺は報いるべきだと思った。
「また困ったことがあったら私を頼ってね。私はあなたに尽くしたいから」
「どうして俺にそこまで良くしてくれるんだ」
「どうしてって、ずっと言ってるじゃない。あなたに嫁だと認めてほしいからよ」
ああ。確かにこんな嫁がいたら最高だろうな。夫に尽くしてくれて夫を立ててくれるこんな美少女が嫁だったのなら、きっと物凄く幸せなんだろう。
だけど、それに応えることはできない。俺には好きな人がいる。これは気持ちの問題だ。
「あなたに好きな人がいたって関係ないわ」
まるで見透かしたようなタイミングでそんなことを言ってくる氷岬。
「私があなたのハートを射止めてみせるから」
いつか本当にそんな日がくるのだろうか。俺は先の見えない未来に戸惑いを感じた。
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