第3話
電話の着信音が俺の言葉を遮った。見れば、父からの着信だった。
「あー悪い、ちょっと電話が」
「うん、いいよ」
汐見に断って電話に出る。
「もしもし。俺だけど」
「おー、拓海か。何度か着信が入っていたからな。掛けなおしてみた」
「あー、それはちょっと親父に相談したいことができたからで」
だが、今はタイミングが悪い。汐見の目の前で氷岬を泊めている話なんてできるはずがない。俺は言葉を濁しながら、親父の要件を待つ。
「お前の相談が何かは知らんが、それなり今晩じっくり聞いてやれるぞ」
「は?」
「今日、家帰るから」
頭の中が真っ白になった。帰ってくるって今日。いきなりすぎる。氷岬には何も伝えていない。もし自宅で親父と顔を合わせたりなんかしたら。
俺は電話を切ると、強引にズボンのポケットに捻じ込むと、汐見に頭を下げた。
「悪い、汐見。急用ができちまった。話はまた今度でもいいか」
「あ、そうなんだね。わかった。いいよ」
「恩に着る。必ず話すから」
俺は大慌てで鞄を引っ掴むと、汐見に背を向けて走り出す。
「あ、ちょっと待って藤本くん」
後ろから汐見が呼び止める声が聞こえたような気がしたが、今はそれどころじゃない。無視して家に向かって全速力で帰る。
帰路の途中で、氷岬の背中を見つけた。俺は慌てていたこともあって、ここが学校からほど近い場所だということを失念していた。そのことで後々痛い目を見るのだが、この時の俺は知る由もない。
「おい、氷岬、ちょっと待ってくれ」
俺は氷岬の肩を掴むと、こちらに振り返らせた。
「あら、どうしたの藤本くん。そんなに血相を変えて」
「そりゃ慌てもする。今日、親父が家に帰ってくる。ついさっき電話があった」
「あら、それは突然ね」
「ああ、いきなりなんだ。だから今日お前のことを話そうと思うから最悪覚悟はしておいてくれ」
家の両親はそういうことに甘い一面があるから恐らく大丈夫ではあるだろうが、最悪ダメだと言われる可能性もある。もしそうなったら俺にできることはなくなる。そのことを氷岬には理解してもらいたかったのだが、氷岬はすまし顔で言い放った。
「未来の旦那様のご両親へのご挨拶だし、気合を入れないといけないわね」
「誰が未来の旦那様だ。馬鹿言ってないで行くぞ」
「あら、私は本気なのだけれど」
どこまで本気なのか読めない。ただ拾っただけで結婚を迫られるとか、馬鹿もやすみやすみ言え。恋愛はそんなに単純じゃないんだよ。
確かに氷岬は可愛いよ。クラスの男子の羨望の眼差しを一手に集める程に華のある女子だよ。だけど俺には好きな人がいる。一つ屋根の下で一緒に暮らしたところで、俺が氷岬に惚れることなんて万に一つもないのだ。
「というか、その方が成功の確率が上がるかと思ったのだけど」
「ん? どういうことだ」
「だから、恋人だと言い張った方が一緒にいるのも不自然に思われないじゃない。あなたが私を泊めているのも、恋人が困っているからということにすればご両親も許してくれるかもしれないわ。私は家無き子雪姫。あなたの所を追い出されたら行く当てがない。だからなんとしても置いてもらいたいの。その為だったらなんだってするわ」
「確かに一理あるな。でもお前と恋人の振りだなんて」
俺の方に問題があるなんて言えない。俺は一緒に暮らしてることを汐見に知られることを何よりも恐れている。それが恋人の振りだなんて。いくら振りでも俺に別の恋人がいると汐見に思われるのは何か嫌だ。
「もしかして、汐見さんに知られたくないと思ってる」
「はあっ⁉ どうしてここで汐見が出てくるんだよ」
口角泡を飛ばしながら、俺は必死で動揺を抑える。どうして汐見のことがバレた。
「なんでって。あなた今日1日中汐見さんのこと見てたじゃない。ボランティアが終わった後も2人で教室に残るし、これはきっと何かあったんじゃないかと勘繰ってもおかしくないでしょう?」
鋭い。氷岬の視線にはまったく気付かなかった。まさかそんなに見られていたなんて。
だが、ここで素直に認めるのもなんだか癪だ。俺は素知らぬ顔で氷岬に言う。
「それは氷岬の気のせいだよ。別に汐見とはなんもねえし。なんもなかったよ」
「そう。だったら私と恋人するのも問題ないわね」
「…………」
簡単に言い負かされてしまった。口では氷岬に勝てる気がしないな。
「あー、わかったよ。ただし親の前だけだぞ」
「わかったわ」
氷岬は了承すると、何を思ったのか俺の手を握ってきた。
「ちょっ、何するんだよいきなり」
「ご両親とは今日会うのでしょう。少しでも恋人の距離感で接した方がボロが出ないわ」
「そういうことか」
「ええ。だから、家まで手を繋いで帰りましょう」
指と指を絡ませて、氷岬は優しく俺の手を包み込む。女子と初めて手を繋いでしまった。しかも恋人繋ぎだ。これが汐見だったならなあ。だが、ドキドキするのは違いなかった。
2人並んで歩く。もう1度言うが、ここは学校からほど近い場所だ。俺はそのことが頭から抜け落ちていた。
「あ、藤本くん、やっと追い付いた。スマホ落としたよ。ないと困ると思って」
背中から声を掛けられる。その声に俺は心臓が凍る思いをした。なぜならその声は俺がずっと想い続けた人の声だったから。
恐る恐る振り返ると、汐見が肩で息をしながら俺と氷岬の手を見ていた。その目は見開かれ、驚いたのかあわあわと慌てている。こんな時になんだが、やっぱり可愛い。
いや、そうじゃなくて……やってしまったああああああああああああああああ。
見られた。汐見に。1番見られたくなかった相手に1番見られたくない瞬間を見られてしまった。
「2人って、そういう仲だったんだ」
顔を赤くして俯いている汐見に、俺はなんと声を掛けていいかわからなかった。完全に脳内がフリーズしていた。とにかく否定しなければ。そう思って口を開こうとした途端、氷岬に腕を引かれた。
「そうなの。私たち、見ての通り恋人同士で。熱々なの」
「ちょっと、何言ってるんだ氷岬。違うからな。俺たちはそういう関係じゃないからな」
「見ての通り彼が恥ずかしがり屋で、人前では認めたがらないから学校でも秘密にしているの。だから、汐見さんも学校では秘密にしていてくれると助かるわ」
唇に人差し指を立て、微笑む氷岬。汐見は胸を撫で下ろすと深呼吸を1つした。そして、どこか寂しそうに微笑んだ。
「そっか。……わかったよ、氷岬さん。絶対に私は秘密にする。けど……」
そして汐見は周囲を見回して言う。
「手遅れだと思うな。すっごく目立ってるし」
苦笑しながら頬を掻いた。
その言葉で俺はようやくここがどういう場所だったのかを認識する。そして周囲を見回すとそのこちらへ向けられた視線の多いこと。そのほとんどが男子のもので、憎しみのこもった視線が向けられていると気付くのにそう時間は掛からなかった。俺はこんな数の殺気に気付かなかったのか。どれだけテンパってたんだ。
「そうみたいね。さすがに学校の近くでやりすぎたみたいね。ごめんなさい」
氷岬は悪びれもせず謝ってくる。汐見は氷岬の話を信じているし、ここから挽回することなんてできそうにない。明日には学校中を氷岬雪姫に彼氏ができたという噂で持ち切りだろう。
「どうしてこうなった」
俺は頭を抱える。どう考えても氷岬雪姫を拾ったからだが、今更そのことを後悔しても始まらない。ここまできたらとことん氷岬との恋人の振り貫いてやるよ。親父も説得しなきゃならねえし。……でも、汐見の誤解はなんとか解きたいなあ。
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