捨て女子を拾ったら、結婚を迫ってくるんだが
オリウス
プロローグ
それは信じがたい光景だった。
公園の隅に置かれた大きな段ボール箱。俺――
『拾ってください』と書かれた紙が段ボール箱に貼り付けられている。よくある捨てられた動物のようなものだ。
「にゃー」
段ボールの中の生命体が、猫のような鳴き声を出した。捨て猫というにはサイズがあまりにも大きい。当然だ。何せ、その段ボールの中にいるのは子猫などではなく、17歳の女の子だったからだ。
「何してるんだ、
「やあ、藤本くん。見てわからない。拾ってくれる優しい人を探しているの」
「拾ってくれる人を探してるって何で」
「私、両親に捨てられたの」
しれっととんでもないことを言う。笑顔で言うものだから本気か冗談かわからない。
「両親に捨てられたって、冗談だろ」
「それが冗談じゃないの。昨日家に帰ったら誰もいなくて。置手紙だけが残ってて。『借金が返せないから夜逃げします』って書いてあったの。家も差し押さえられて私行き場がなくて」
「それを真に受けたのか」
「うん。だってうちの両親って予想の斜め上の行動を取るから、そろそろ危ないんじゃないかって思ってたもの」
開いた口が塞がらない。あっさりと子どもを置いて夜逃げする両親もそうだし、それをあっさりと受け入れてしまっている氷岬にも驚いた。
「ねえ、藤本くんは私のこと拾ってくれないかな」
「いきなり何言ってんだよ。無理だよ。うち俺一人暮らしだし」
「だったら家事とかするから拾ってよ」
「無理だって」
こんな美少女を家に置くなんてとんでもない。男の欲望がいつ火を噴くかもわからないのだ。それに俺には好きな人がいる。好きな人を裏切るわけにはいかないのだ。
「まあ、無理は言えないか」
「わかってくれたのなら良かったよ。それじゃ、俺は帰るから。警察とかに相談しろよな」
「うん、ありがとう」
小さく手を振る氷岬がどこか儚げに見えた。
家に帰った俺は風呂を沸かす。うちは両親が仕事で家を空けている期間が長い。なのでほとんど一人暮らしのようなものだ。一年に数回しか家に帰ってこない。なので家事全般は自分でしなくちゃいけないのだが、俺はどうも家事一般が苦手だ。部屋もそれなりに汚いし、料理はできない。なのでコンビニ飯に頼り切り。
「お手伝いさんがいればいいんだけどな」
とは言ったものの、お手伝いさんを雇えるほど裕福な家庭でもない。
「それにしても、今日は驚いた」
まさか氷岬の家がそんなに大変な事情を抱えていたとは。人にはいろいろあるな。これからあいつはどうするのだろうか。
「そんなこと俺が気にしてもしかたないことだけどな」
窓の外を見るとどんよりとした雲が空一面を覆っていた。一雨来そうだ。洗濯物を取り入れないと。
洗濯物を取り入れていると、空から雨が落ちてくる。無事に洗濯物を取り入れることができた俺は、部屋で洗濯物を畳み始める。
「…………大丈夫かな、あいつ」
雨が激しくなっている。さすがにこの雨だ。どこかへ避難しているだろう。だが妙な胸騒ぎがする。
「ああ、くそっ!」
気になってしかたがない。あんなものを見つけてしまったせいだ。どうせ避難しているだろうけど、念の為、ちょっと様子を見に行くだけだ。
傘を2本持って家を出る。もしも氷岬が避難していなかったら、俺はどうするのだろう。考えがまとまらぬまま、公園に辿り着く。
果たして、氷岬は段ボールに入ったまま雨に打たれていた。三角座りで俯きながら、ただ雨に打たれていた。
「なにやってんだ!」
俺は慌てて氷岬に駆け寄ると、傘を差し出した。
「あれ、藤本くん。帰ったんじゃ」
「お前のことが気になって戻ってきたんだ。雨が降ってきたからな。なんで雨宿りしねえんだよ」
「んー、なんでかな。なんか動くのが面倒になっちゃって」
儚げに笑う氷岬を見て、俺は無性に苛立ちを覚えた。
「風邪引くだろ、馬鹿。一旦家へ来いよ」
「拾ってくれるの?」
小動物のように縋ってくる目で、俺を見てくる氷岬。俺は顔が熱くなるのを感じて目を逸らす。
「その話は後だ。いいから一旦付いてこい」
「わかった」
氷岬に傘を手渡し、公園を後にする。
「ここが藤本くんのお家か。大きいんだね」
「普通の一軒家だろ。ちょっとそこで待ってろ。今タオル持ってくるから」
びしょびしょになった氷岬を玄関で待たせ、タオルを持ってくる。氷岬にタオルを渡す際に下着が透けているのが目に入った。
「っ⁉」
顔が赤くなるのを感じながら、慌てて目を逸らす。夏服だから下着が透けやすいのだ。雨でびしょびしょになって透けたブラ紐のラインをばっちり見てしまった俺は、なんだかいけないことをしている気分になる。
「もしかして、見た?」
「あー、見えてしまった。すまん」
咄嗟に訊かれて嘘もつけない。氷岬は口許に手を当てると、くすりと笑った。
「いいよ、優しくしてくれたお礼ってことで」
「お詫びに風呂貸すからそれで勘弁してくれ。もう湧いているから入っていいぞ」
「どうせなら一緒に入ろっか。元々藤本くんが入る為に沸かしたんでしょ」
「ばっ! 馬鹿言うな。さっさと入れ」
「はーい♪」
スカートの裾を絞って水気を落としてから氷岬が家に上がる。そのまま脱衣所に赴き、引く。
「覗きたかったら、覗いてもいいからね。お風呂貸してもらうお礼」
「誰が覗くか」
「ふふ、顔赤―い」
引き戸が閉まる。しばらくしてシャワーの音が聞こえてきた。いつもは一人しかいない家に他の誰かがいる。それも美少女だ。変な緊張が背中を走る。シャワーの水音が変な妄想を掻き立てる。今頃風呂の中では一糸纏わぬ姿となった氷岬が、シャワーを浴びているのだろう。細い腰、女子の胸の膨らみ。氷岬はいったいどこから洗うのだろうか。髪か胸か、それとも――
「だあっ、くそっ、調子が狂う!」
悶々とする意識を振り払うように頭を振る。やはりあんな美少女と同じ屋根の下で暮らすというのは無理がある。俺の理性が持たん。氷岬の処遇をどうするかはまだ考え中だが、仮にこの家に置くとして、毎日こんな戦いを繰り広げなくちゃならないのか。
「はあ……耐えられるだろうか」
引き戸が開いた。氷岬がシャワーを終えたのだろう。
「おー、上がったか……って、なんて格好してるんだよ!」
湯上りの氷岬は髪を頭のてっぺんで一つ括りにしていた。それはいい。問題は体の方だ。服を着ていないのだ。バスタオルで体を覆ってはいるが、それだけだ。
「だって、着替え持ってないもの」
「そりゃそうか。そういうことは先に言ってくれ」
俺は冷や汗を掻きながらタンスを開けて中を漁る。とりあえず、手頃なジャージがあったのでそれを氷岬に投げた。
「とりあえずそれを着てくれ」
「ありがとう」
氷岬が着替えを終えるのを待つ。その間、目を逸らし続けるのはなかなかに骨が折れた。
「そういやお前、学校の教科書とかどうなってるんだ」
「自宅の方にまだあるはずだから、拾ってもらえる家が決まったら取りにいくつもり」
「本気で誰かに拾ってもらうつもりか」
「うん」
「犯罪になるとしてもか? いい人に拾われるとは限らないんだぞ。お前のその……体目的とかそういう悪い奴だっている。危ないだろ」
「うん。それもわかってる。だけど面倒ごとはごめんなの。警察の厄介にはなりたくないわ」
意志は固いようだ。ここまで言わせて家を追い出せるほど、俺も鬼ではない。これで見捨てて氷岬が本当に暴漢に拾われでもしたら、後味が悪いしな。
「しばらく家に置いてやる」
「え……?」
「だから、家事とか手伝ってくれ。俺苦手なんだよ」
こいつをこの家に置く以上、自分に誓いを立てる。絶対に氷岬には手を出さないこと。鋼の意思で耐えて見せる。
「ありがとう、藤本くん」
氷岬は満面の笑みで笑った。
こうして俺はクラスの女子を図らずも拾った。捨て猫ならぬ捨て女子との同棲生活が幕を開ける。
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