残り8粒

 やけに、近くないか?


 こんなに歩きにくいのは初めてだ。すれ違う人も驚いてる。


 マタタビ、もれてたか?


 手の匂いを嗅いだところで、俺にはわからない。猫には極上の代物だけどな。


 普段なら3粒で自宅まで帰れるのに。


 この前仕事でミスして猫たちに慰めてもらい、その時にご褒美としてマタタビを使いすぎたことを後悔する。


 遠回りして、コンビニ寄るか。


 そう考えて、いつもの帰り道とは違う方向へ進む。この道は、トントンの森の自宅のモデルになった建物の前を通る。


 2階のど真ん中……。


 やっぱり、気になるものは気になる。だから、店を出る直前に聞こえた言葉を思い出した。


 ついでにチラッと、見てみるか。


 期待と不安が混ざるような気持ち悪さが込み上げてくる。

 でも、モデルの建物が正面から見える、こちら側の道じゃないかもしれない。うしろが見える、反対側かもしれない。

 そうだったらいい。そう願う自分は何なのだろうかと、呆れるしかなかった。



 目的地にたどり着くまで、マタタビを2粒も消費してしまった。


 塀から飛びかかられるとか、やっぱりマタタビもれてんな。


 一緒に歩くことはあっても、肩に乗ってこようとするのは初めてだった。着地失敗した猫が背中に爪を立て、スーツは大惨事。


 あんな話聞かなきゃもう自宅だったのに。ツイてねー。


 この悲しみを共有したくて、彼女にマタタビのことを含め、グチる。メッセージへの既読は付かないが、直接会ったら慰めてくれるだろう。


 クレームも入れるか?


 スマホから送れるが、こういうのは大の苦手。自分が我慢すればいいと、やり過ごすことがほとんど。

 そんなことを考えていたら、もうアパートの前だった。


 ここか?


 蛍光灯に照らされた、2階建ての青い建物。上の階の真ん中は、電気がついていない。こんな時間だしな。

 そして不思議なことに、この辺りだけ猫がいない。誰か近くでマタタビでも投げたに違いない。


 行くだけ、行ってみるか。


 知り合いでもないくせに。そうは思いながらも、妙な胸騒ぎが俺の足を早くさせた。


 表札は、なし。


 今時アパートに名前なんて書く方が珍しい。だからここが中川って奴の家なのかわからない。


 コンコン


 試しにノックする。


 何やってんだ、俺。


 自分の行動がストーカーのようで、嫌気がさした。

 それに、もしここに女性が住んでいたらと考え、急いで引き返そうとした。


 カリカリ


 まさか……。


 中から明らかに爪で引っ掻く音がする。それがずっと続く。その事実に、俺の足は止まってしまった。

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