第15話
ラビッツと会った翌日からナディアは忙しかった。
まず、スザンヌからテーブルマナーがなっていないと叱られた。その結果、三食スザンヌがつきっきりとなりナディアに淑女教育を施すことになった。
それは、それは熱心な指導だった。
「背筋を伸ばす」 ビシッ
「はいっ」
「大きな口で食べない」 ビシッ
「はい」
「それは手で持たないでフォークを使う」 ビシッ
「バナナですよ?」
「バナナは持ちません。フォークを持つ」
ビシッビシッビシッ
スザンヌは杖で、手とか背中とか机とか ビシッと叩き遠慮がらない。
ナディアは毎食怒られる。バナナは手で持って齧り付いた方が美味しいと思う。
「騎士団が生温く思える……」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」
ちなみの、ラーナは食事の時間になると姿をけすようになった。自分も巻き込まれては堪らないと、保身のためなのは明らかだった。
仕立て屋にも会った。婚約披露パーティーで着るドレスを初め様々なドレスを注文した。まったく興味を示さないナディアを横目にスザンヌがテキパキと話を進めてくれたので、この時ばかりは彼女に感謝した。
宝石屋にも会った。宝石とはこんなに値が張るものなのかと驚いた。プリシラや継母は幾つ持っていたかしら、と考えると目眩を感じるので、考えることは放棄した。こちらも、スザンヌにアドバイスを請いながら、公爵夫人として最低限必要なアクセサリーを注文する。
(どうせ三年間だけだし)
その前提で選んだ数だから、スザンヌは少ないと言っていたけれど、ナディアにとっては充分だった。
肝心の結婚指輪に話が及んだ時には疲れ果てていた。
「イーサン様にお任せします」
にこりと、丸投げだ。
しかし、ナディアのその言葉は控えめな淑女として捉えられたようだ。
「では、侯爵様に選んで頂きましょう。愛する方が選んだ宝石はまた特別なものです」
宝石屋がニコニコしながら話すのを、ナディアは欠伸を噛み殺しながら聞いていた。
午後は歩き方、礼の仕方、話し方、と細かな指導が入った。また逃げようとするラーナの腕を掴み、今度は道連れにした。とはいえ、最低限の淑女教育は受けていたので、これについては順調に進み、スザンヌの杖が飛ぶことは、稀だった。
そして、一番の課題はダンスだった。
これは相手役が必要だと、夜にはイーサンと一緒にダンスの練習をした。
騎士団の女性寮では、酔っ払って躍ることもあったけれどナディアはいつも男役だった。
そして異国暮らしが長いイーサンは、ダンスとは無縁の生活を送っていた。その国ではダンスの習慣がなかったらしい。
スザンヌの指導はイーサンがいても容赦なかった。
厳しかった。辛かった。
「私、男役なら踊れます」
悲壮な顔で思わず呟くナディア。
「……では、俺が女役をすれば……」
妙な覚悟を決めた顔で呟くイーサン。
事態は混沌を極めた。
そんな生活が既に半月。その間に、教会でのいざこざで多少身体を動かして鬱憤をはらしたものの、とうとうナディアに限界がきた。それにスザンヌは午後から明日の夜まで休みを取っている。ナディアが無理に取らせたものだけれど。
「ラーナ、騎士団に行ってくる!!」
騎士団の姿に着替えたナディアは、苛立たし気に言った。思いっきり剣を振ってストレスを発散しなくては、発狂してしまいそうだ。呆れ顔で「分かった」と答えたラーナに軽く手を振り、速足どころか駆け足で練習場に向かった。
元ルシアン国の城を今は公爵邸として使っている。それに伴い、ルシアン国時代の騎士団は公爵直轄の騎士団となった。訓練所や寮の場所は以前と変わらず、公爵邸の広い敷地に端にある。
騎士団は、丁度剣の練習をしている最中だった。
「ルーカス騎士団長、練習に参加させてください!!」
据わった目、いや、死んだ目でそう言うナディアを見て、ルーカスはいろいろ察したようだ。
ナディアとルーカスが会うのは数日ぶり。イーサンに初めて会ったあと、辞職の挨拶に行って以来だ。その際スザンヌが淑女教育にいかに長けているか、そして厳しいかも話を聞いていた。
「好きにしろ。いや、俺が指南してやろう」
「ありがとうございます!!」
二人は向き合い剣を交え始めた。副隊長は騎士団で一番の腕前だ。素早い速さに加え一撃が重たい。片手では受けきれず両手で剣を握らないと、はじけ飛ばされそうになる。さらに、一手が正確に急所を狙ってくる。
ナディアは頭の中から雑念が消え、今目の前で繰り出される剣にのみ集中し始めた。右から肩口に向かって降ろされた剣を身を捻って交わすと、胸めがけて剣を突き出す。しかし、それは素早く戻されたルーカスの剣ではじかれる。ルーカスが一歩踏み込みナディアが後ろに飛ぶ。
どれだけそうしていただろうか。日が傾き始めた頃ナディアは、息を切らして座り込んだ。
「少しはすっきりしたか?公爵夫人?」
「……なりたいわけではありません。また来てもいいですか?」
「俺は構わないよ。公爵夫人になっても手加減はしないからな」
ルーカスの額にも汗が浮かんでいる。他の騎士たちも訓練を終え帰り支度に入っている。ナディアは、ルーカスに礼を言うと、寮に戻ろうとしている人ごみから同期のエドワードを探して呼び止めた。
「エドワード、少しいい?」
「あぁ、随分うっぷんが溜まっていたようだな」
眉を下げ、心配そうな表情の悪友に、「かなり」とため息混じりにナディアは答えた。
二人は人の流れに逆らうようにして、練習場の端にある木の下に腰を下した。エドワードは、汗で張り付いた銀色の髪をぐいっと袖口で拭った。新緑の木々のような鮮やかな緑色の瞳が印象的な、愛嬌のある顔を夕陽が照らしている。
「皆の様子はどう? 政権が変わったことに不満を持っている人はどれくらいいる?」
「うーん、三割くらい、いや、もうちょっと少ないかな。あのまま馬鹿がトップに立つよりましだろうって考えてる奴は割といるよ。それと、一年前のシステナ国の戦いでカーデラン国に助けられた事も大きい」
元ルシアン王国は東の大国カーデランと西の大国システナに挟まれた小国だった。
三方を山と森に囲まれ、残りは海に面している。国西側の山では鉄がとれ、それが国の財となっているが災いの種ともなっている。隣国がその山を狙っているのだ。百年程前にカーデラン国の従国となったあとも、何度かシステナから戦をしかけられた。そのためルシアン国は時にはカーデラン国の武力を借りながら国境を守っていた。
一年前、国境ーーそれはナディアの実家のオーランド辺境伯の領地だったーーで、大きな戦があった。
オーランド辺境伯の直轄部隊だけでは対応できず、城の騎士団も駆け付けた。しかし、駆け付けるにしても馬で四日はかかる。着いた頃にはかなり戦況は厳しい状態だった。何とかこれ以上の侵略を防ぐべく防御に専念するのが精一杯だった。
そんな中、カーデラン国の騎士団が応援に駆けつけ、激戦の末システナ軍は撤退していった。
カーデラン国とシステナ国の軍事力は拮抗しており、カーデラン国としては、ルシアン国が侵略されれ、その均衡が崩れることは避けたかったのだ。
理由はともあれ、ナディア達は助けられた。背中に刀傷を負ったナディアもカーデラン国の救護兵に助けられた一人だ。
不満を持つ人がいながらも、比較的、ルシアンがカーデラン国の領地になる話がスムーズに進んでいる理由もこのあたりにある。大国の傘下に入った方が安全が保証されると見込んでのことだ。
「ところで、他に何か言うことはないのか? なんなんだ、あの意味の分からない頼み事は」
エドワードが眉を顰めナディアを軽く睨む。ナディアは苦笑いを浮かべた。エドワードとナディア、ラーナは同期で仲が良い。船乗りの元締めをしている子爵家の三男であるエドワードは庶民的で気さくな性格だ。
ラビッツから五日おきにジルに手紙が届く。その手紙をナディアの代わりに、ジルの泊まる宿に取りに行って欲しいとエドワードに頼んでいたのだ。
依頼の内容は、「暗殺者について調べて欲しい」だ。どこに敵がいるか分からないから、直接ナディアや騎士団に手紙を送って貰うのを避けたかったから、ジルを経由することになった。ちょっと面倒で手間はかかるけれど、安全な方法だ。
「いきなり、この宿に行って預けてある手紙を受け取って欲しい。『バートンだ』って言えば貰えるからって、どれだけ雑な頼み方なんだよ。っていうか、だれだよ、バートンって!!」
そう思うわよね、とナディアはフフっと笑った。スザンヌの淑女教育の合間をみて頼みに来たから説明が雑になっていたのだ。
周りに人はいないのを確認すると、それでも用心してエドワードの耳に口を近づけた。
「イーサン様が弓で狙われた」
「えっ、聞いてないぞ。その話」
「言ってないから。衛兵にもそのことは伏せているし。他言無用よ」
「ナディアは大丈夫だったのか?」
「背中に擦り傷が出来たけれど、もう治ったわ」
その言葉に、エドワードの顔が歪む。護衛はいなかったのか、とブツブツと呟いている。
「とりあえず事情は分かった。ナディアはあまり動かない方が良さそうだしな」
「ありがとう。貸しはいつか返すわ」
「あっ、それなら頼みたいことがあるんだ。ナディアも少しぐらいなら外出できるんだろう?」
「もちろん」
特にイーサンから外出は禁止されていない。手紙を宿に取りに行くのをエドワードに頼んだのは、弓で狙われた時ナディアも一緒にいたこと、そのナディアは定期的に街の安宿に行くのはあまりにも不自然だからだ。
「だったら、明日ちょっと付き合ってくれ。婚約者に誕生日プレゼントを贈りたいのだけれど、何をプレゼントしたらいいか分からないんだ」
(……私の意見が参考になるのだろうか)
ちょっと自信がない。ないけれど、明日はスザンヌはいない。気分転換にはちょうど良いと二つ返事で答えた。
待ち合わせ場所と時間を決めてから二人は立ち上がった。そろそろ夕食の時間だ。
「足、大丈夫か?」
エドワードが軽く引きづるナディアの足に目をやる。先程の訓練で右足に剣を打ちつけられたのだ。刃を潰した剣だから血は出ていないけれど、青あざはできているだろう。
「平気」
「肩を貸してやるよ。ここから屋敷まではそれなりに距離がある」
エドワードがナディアの腕を自身の肩に回そうとした時だ。ナディアな身体がふわりと宙に浮いた。
「ひゃっ!」
ナディアが悲鳴を上げた。見上げるとすぐそばにイーサンの黄色い瞳がある。
「俺が連れて帰る。お前は気にせず寮に戻ればよい」
エドワードは自分に向けられた、凍るような冷たい瞳に、かろうじて首だけ動かし答えた。イーサンはそんな男の姿を一瞥すると、くるりと背を向け歩き始める。
「イーサン様、どうされたのですか?」
「騎士団に行ったまま戻ってこないと聞いて迎えに来た」
「イーサン様、自らですか?」
「日が暮れ暗くなってきたからな」
(……子供じゃないんだし。それにここは敷地内)
真っ暗でも平気だ。目を瞑ってでも、たどり着ける気がする。試したことはないけれど。
(そして何故私は抱えられているの?)
騎士団で怪我をして担架やおんぶで運ばれたことはあるけれど、所謂お姫様抱っこは始めてで、どうにも居心地が悪い。
「足を痛めましたが大したことありません。歩けます」
「引きづりながら歩いて、さらに足を痛めたらどうする」
「私、身長も筋肉もあるし重いと思います」
「問題ない」
どうやらイーサンに自分を降ろすという選択肢はないようだと諦めて、ナディアは周りを見回した。夕食どきだからだろうか、人がいないことに安堵する。
(よかった。この姿を見られるのはかなり恥ずかしい……)
間近に見えるイーサンの顔。温もり。なんだか落ち着かない。そんな気持ちを隠すように、とりあえずナディアはしゃべることにした。
「明日、街に出掛けても良いですか?」
「足が痛まなければ構わない。ラーナも一緒か? 護衛は連れて行け」
「ラーナでなくても、騎士なら誰でも護衛になりますよね?」
「……誰を連れていくつもりだ?」
なんだか、イーサンの顔が怖い。
「先程のエドワードです。彼も中々強いですよ」
「…………強ければ良いというわけではない」
「えっ!?」
強さ以外に何が必要なのかと、紫の瞳をパチパチするナディア。イーサンはまるでその後の言葉を飲み込むように口をへの字にして、仏頂面を貫いた。
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