第2話

 ヴィクトールの指が、もどかしげにロバートのカマー・バンドをはずしてゆく。慎ましい金具が彼のもくろみを阻む。ヴィクトールは、くそメルド、とフランス語でつぶやく。彼にかかると、優雅なフランス語も密林の獣のうなり声のようだ。

 身をかがめているせいで、ちょうどロバートの顎の下を、黒いくせっ毛がくすぐる。

 はっきり人工のものとわかる、グリーンノートの整髪料の匂い。

 ――この匂いは嫌いだ。

 そんなふうに感じることは、ロバートにとっておどろきだった。故国にいると、人工物に囲まれていることが、自分でまわりのものをコントロールできることに、かえって安らぎをおぼえるくらいなのに。

 ヴィクトールの首筋に顔を寄せると、蒸れた土のような、雨あがりの木々が放つ匂いのような薫香が鼻腔を覆った。

 故国にこんな匂いを放つ人間はいない。この匂いがおれをおかしくするのか、とロバートは思った。あるいは、この国のまとう空気が……。

 シャツのあわせから手を差し入れる。ヴィクトールの肌はしっとりと汗ばみ、上質ななめし皮の感触を伝えてくる。この国の空気よりももっと、炎のように熱い感触。

 冷静で、いや、冷静なふりをしていられるのもそこまでだった。

 腕を、脚を絡ませ、体を重ね、祈りを捧げる島の神々のように。体を揺らし、荒ぶる獣のようにふたりは睦みあう。互いの息が、まつわりつく闇をさらに濡らす。

 太鼓が鳴っている、とロバートは焼けつく頭で思った。島の男たちが神に祈りを捧げるときに打ち鳴らす太鼓――それとも、体内で呼応しているのは自分の鼓動なのだろうか?

 万力のような腕で抱きしめられ、ロバートは一瞬息がつまる。あの瞬間の、恍惚にも似た窒息感。

 獣が、耳元で、吼える。

 花火が、あがった。

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