森の王、光の勇者、ただの傭兵 1

「俺はまだまだやれるぞ!」

 アルマの咆哮に、鱗の小鬼ゴブリンは不敵な微笑みを浮かべ、足元に棍棒を打ち付けて、アルマへの威嚇を行った。

 二人の行動に驚いたのか、飼育士の小鬼ゴブリンは今一度アルマの後頭部目掛けて棍棒を振り上げる。

 背後に飼育士がいるとわかっているのもそうだが、今回は本当の力を引き出されている紅魔眼マジックセンスによって、確実に視界に捉えてすらいない飼育士の棍棒を鎌鼬の刃で受け止めてみせた。

 その場で何回もぐるぐると回転した後のような酔いの感覚が胃袋に酷い不快感をもたらしていたが、視界は意外とはっきりとしている。しかしこの棍棒が自らに迫っていたと気付いたのは、明らかに視覚を元にした判断ではなく、何か背中の右側をぞわぞわと撫でるような感覚を覚えたからであった。だからといって、その感覚が不確かな何かが迫っているという感覚ではなく、飼育士の小鬼ゴブリンの棍棒が、先ほどとは違い躊躇いと恐怖と共に震えながら自らの後頭部に、右腕によって振り下ろされているということが確かにわかった。

 鎌鼬の刃に魔力を込め、飼育士の棍棒を粉々に砕け散らせたアルマは、そのままその鎌鼬の刃を飼育士の心臓目掛け放ち、華麗に飼育士の心臓を貫いてみせた。貫く手と書いて貫手。まさにそれを成功させたアルマの腕は、軽々と飼育士の胸部から引き抜かれ、飼育士の胴体からどぱっと血を噴出させる。紫色の血が絶え間なく流れ出ているのを横目に、アルマは鱗の小鬼ゴブリンへと向き直り、改めて鎌鼬の刃を構えた。

 戦場の風と、土と、木と、血が体に馴染んでいくのを感じる。平和を謳歌し過ぎていたアルマの身体に戦いの記憶が取り戻されていく。それが身体をある種、支配の様に包んでいくのと同時に、紅魔眼マジックセンスも同じくアルマの身体に馴染んでいき、今まで別々であった視界が今確かに、一致した。過信ではない。今まで感じたことのない――体の奥底から力が沸々と湧き上がってくるような絶対的な自信がアルマを包み込んでいる。一瞬で疲労困憊の身体が軽くなり、頭部の痛みも引いていき、自らの身体が風になったような錯覚を覚えた。


 傭兵時代のアルマは小さき旋風サイクロンと呼ばれていた。

 鎌鼬の刃と黒鋼のトレンチナイフの二振りの刃によって、撃ち出される無数の斬撃は、その異様な速度によって身体を回転させながら、最高効率で斬撃を繰り出しているからであり、その姿はまさに竜巻。

 鱗の小鬼ゴブリン蜥蜴人リザードマンの鱗によって最硬の防御を手に入れたかもしれないが、アルマの魔物の力を以てして放たれる無数の斬撃によって少しずつではあるが、確かにその鱗が根元からはがれつつあった。それを察した鱗の小鬼ゴブリンは体の前面に押し出し、防御に使っていた棍棒を一度外し、攻撃を甘んじて受ける代わりに、強打を放つ。

 流石にもう一度強力な一撃を貰うとまずいと思ったアルマは、それを軽々と躱し、一旦後方へ退いた。しかし鱗の小鬼ゴブリンを休ませるわけもなく、左腕に魔力を集中させる。すると左手の甲に刻まれていた魔方陣は明るい緑に輝き始め、爪は高い金属音を鳴らし始める。そして自らの最大の力を振り絞り、鱗の小鬼ゴブリン目掛け、鎌鼬の刃を振るった。その瞬間、半月型の明るい緑の刃が鎌鼬の刃から発現し、鱗の小鬼ゴブリンの元へ迫っていく。

 しかしその風刃はだんだんと軌道を鱗の小鬼ゴブリンの足元へと変化させ、鱗の小鬼ゴブリン自体に命中することはなかった。だからといって、アルマが何か疲労感などからこの風刃を外したわけではなく、敢えてこの小鬼ゴブリンの足元を狙って風刃を放ったのだった。

 人間用の魔法は扱えないにしても、紅魔眼マジックセンスによって魔力が可視化できるアルマは魔力の扱いには長けている。だからこそ風刃をただ一撃の斬撃を与える魔法ではなく、自らの魔力を干渉させることで、性質を変化させる。それから地面に着弾した風刃をその場に留まらせ、周囲の風を集めさせることで、風刃を大きく大きく、巨大な竜巻へと変化させていった。

 鎌鼬の刃と短剣ではなく、魔力で形成された鋭利な刃であれば、鱗の小鬼ゴブリンの防御力を以てしても、耐えがたく、見る見るうちに身体の中には生傷が刻まれていく。そして竜巻に閉じ込められたことで身動きの取れない小鬼ゴブリンに対し、アルマはその竜巻へゆっくりと近づいていき、鎌鼬の刃へ、もう一度魔力を集中させる。

 次は風刃ではなく、ただこの鎌鼬の刃を強化するための魔力を左腕に集め、意識的に鎌鼬の刃を鋭く、固く、細く変化させ、竜巻が消え去った瞬間、鱗の小鬼ゴブリンの心臓目掛け、貫手を放った。風の刃を纏ったアルマの左腕は、まるで水の中に手を入れたかのような、手応えの無さで鱗の小鬼ゴブリンの身体を貫き、そこから溢れ出た血液によってアルマの身体は紫に汚されていった。

 そしてその死体を地面に叩き落とすと、周囲の小鬼ゴブリンは先ほどとは打って変わって、まるでアルマを恐怖の権化かのような怯えた姿で見据え、何度か鱗の小鬼ゴブリンの死体とアルマを見た後、酷い鳴き声を挙げながら逃げ出していった。

 村の奥でサリナとイギルと攻防を繰り広げていた小鬼ゴブリンたちも一斉に戦いの手を辞め、森の奥の方へと逃げ出していく。小鬼ゴブリンの村が発展しないのは、強大な敵に相対した小鬼ゴブリンは逃げるから、その一点の大きな理由があるからだった。しかしそんなこと今は関係ない。

 言葉通りの窮地を脱した三人は消えかけた結界の奥にいる三人に声をかけた。

「セラちゃん……助けに来たよ」

 サリナがそう声をかけると、弱々しい結界は静かに消えていき、セラと呼ばれた少女は、結界を維持するために地面へついていた手を放し、そのまま倒れそうになる。それを咄嗟に受け止めたのはアルマであった。

「魔力欠乏症だな」

 長く美しい金髪に碧い瞳を持った彼女は美しい少女であるのだろう。しかし体内魔力の減少によって、その目の下にはその碧い瞳よりも青い痛々しい隈が出来ており、目も虚ろだった。

 すぐさまアルマは腰につけていたポーチから小瓶を取り出し、それをセラの口に突っ込む。魔力ポーションと呼ばれるそれは一時的ではあるが、体内魔力を補填することの出来る薬であり、魔力欠乏症の特効薬として知られていた。

 驚き、むせ返るセラに対し、「魔力欠乏症が治るから我慢して飲め」とその手を緩めることはない。

 イギルは怯え震えているもう一人の少女に駆け寄り、その肩を持ち、背中を優しくさすった。イギルがあそこまで救援にこだわったのはそういうことかと、察したアルマは、静かに笑いながらも水を差すような野暮な真似はしない。

「終わったよ。大丈夫だ、ナディア。俺たちが助けに来た。帰ろう」

 先ほどとは考えもつかないほどに優しい声音で話すイギルに対し、ナディアと呼ばれた少女の震えは未だ止まらない。無理もないだろう。初めて外に出て行った訓練で、為す術もなく無数の小鬼ゴブリンに殺されそうになったのだから。

 これをトラウマとして抱えていくのか、教訓として次に生かすのは彼女の心の強さ次第だ。

「ロード君を……助けなきゃ」

 まだ魔力欠乏症で、倦怠感が多く残っているであろう身体を引き摺りながら、ロードの元に向かおうとするセラをアルマは制止させる。

「その状態でこれ以上の魔法を使えば、命にかかわるから駄目だ。そこに倒れている奴が重傷ならすぐにキャンプに運ぶ」

「違う――」

「――違う」

 セラの次に、サリナが同じ言葉を呟いた。

「何?」

 アルマは倒れている少年――ロードの元へセラを支えながら歩いて行った。そこには呆然と立ち尽くし、ロードのことを見つめているサリナがいる。

「何が違うんだ」

「傷……」

「傷?」

「うん、鋭利な三本の裂傷」

 重傷だった。だが傷は治っていないものの血が止まっているのを見るに、応急処置は治癒術士ヒーラーであるセラが行ったのだろう。しかし見るべきはそこではない。肩口から腰に掛けて、胴体の前面を大きく切り裂かれたその傷は、明らかに小鬼ゴブリンがつけられる傷ではない。短剣を持つ者が、一度つけた傷に対して、ほぼ平行になるように二回目、三回目の傷をつけたのか。しかもこのロードという少年は、学生として初めての訓練に出たといっても、最強の退魔の加護、全能神を受けた今代の光の勇者だというのに。

 その事実に気付いた瞬間、アルマの紅魔眼マジックセンスは強大な魔力を捉え、ほぼ反射的に身体を左へと流した。直後、先ほどまでアルマが立っていた場所を巨大な鱗でおおわれた深い緑色の腕が地面を叩き割った。

【ギャォォォオオオオンッ!】

 耳を劈く咆哮と共にその姿を現したのは、離れ森深層に棲む、離れ森最上位魔物。小鬼ゴブリンに子を奪われし、この森の支配者。


――離れ森の王、蜥蜴人リザードマン――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る