弱者の眼差し、強者の選択 2
地面に座り込んでいるアルマは、腰に差されている銀の短剣を引き抜き、それを見つめた。かつて傭兵として働いていた時に扱っていたアルマの
艶やかな流線型を描く刃に、柄には細かく刻まれた美しき彫刻。知り合いの鍛冶師いわく、芸術品としても値打ちがつくレベルの代物らしく、昔はもっと輝いて見えたはずだが、今白銀はくすみ、鈍色になっているように見える。それはアルマが戦いを捨てたからかはわからない。しかし確かにこの銀の短剣の輝きは失われつつあった。
「最低だな」
そう呟いたアルマは銀の短剣を地面に突き立てる。空いた手の平には、先ほどイギルに殴られたときに拭った血が薄らとだが残っていた。アルマの手は戦士の手だった。今でこそ、商業都市の魔法学園に通う所謂坊ちゃん嬢ちゃんと生活を共にしていたが、かつては傭兵都市で、傭兵として年齢が十も二十も上の大人たちと肩を並べ、盗賊や魔物と第一線で苛烈な争いを繰り広げる戦士だった。
当初こそは子供でありながら、と囃し立てられたことに鼻を高くし、四人で組んでいたパーティのリーダーすらも務めていたほどであったが、傭兵という言ってしまえば現金な仕事ではパーティ以外の者は皆敵といっても過言ではない。そんな現実に気付けなかったアルマの手の中に残ったのは、友の血だけであった。しかも自らの手で殺めた友の。そんな手を未だ信用した男が一人いた。この離れ森の中で一人暮らしていたアルマをどんな情報からか見つけ出し、娘と共に魔法学園に入学して欲しいといった男が。
――その男に「頼ま」れた娘は今どうしている?――
どこからか、自分の声でそんな言葉が響く。アルマとてわかっているのだ。友との約束を守るためにはこの場で座っているべきではないということは。だが友の命を失った理由を、自分が弱いからと結論付けたアルマにとって、人を救うなんて大義を背負えるはずもない。血の付いた左手を裏返すと、甲には灰色の魔方陣が刻まれている。友を失ってから手に入れた力だった。これを駆使すれば、アルマが引き返すほどの絶体絶命も乗り越えられるかもしれない。それでも、彼の腰を上げるには足りなかった。
木の陰でうなだれていてどのくらいの時間が経っただろうか。ふとした瞬間、アルマの洗練された魔力感応が巨大な魔力を感じた。熱い燃え滾る炎のような魔力だった。アルマはその魔力がサリナの魔法によるものだとすぐに察することができる。似ていた。もちろん娘だから当然だろうが、共に戦った友の魔力にサリナの魔力は酷似している。それがどんな心理的な影響を生み出したかはわからない。しかし確かにその熱い魔力は、アルマの心の氷を完全ではないにしても、腰を上げさせるくらいにはゆっくりと溶かし始めた。
自分がうじうじと過去からの呪いに囚われている今でも、サリナは戦いを知らないというのに果敢に戦っているのだ。なぜ彼が戦わずにいられようか。ここでアルマが立ち上がったのは、そんな炎がどうとかはほとんど関係なかったかもしれない。そんな気まぐれのような心情の変化だったかもしれないが、少なくともイギルとサリナ、二つの命は救われる。
「行こう。サリナが待ってる。
そう言った瞬間、左手の甲に刻まれていた魔方陣が明るい緑に光り輝き、脚部に風の魔力が集中していく。
――
恩恵によって獲得した鎌鼬の魔力を活性化し、脚部に集中させることで爆発的な推進力を得る。人間用に体系化された魔術を扱うことの出来ない、アルマが生み出したオリジナルの魔法だった。サリナの発現している炎壁を取り囲む鎌鼬に向かって、
特異的に魔力を多く有する個体は、風刃と呼ばれる不可視の風の刃を放つ鎌鼬だが、その魔力を利用して、肉体を強化しているアルマ自身がその風刃のように、鎌鼬たちがアルマを認識する前に、その息の根を止めていった。
鎌鼬たちが何者かに攻撃されていると気付いたのは、既に仲間の半数がただの肉塊と化してからだった。
――恩恵、
獲得した魔物の魔力を活性化し、身体に馴染ませることで、魔物の特徴的な部位を肉体に再現することができる能力によって、発現されたのは鎌鼬の刃だった。アルマの左手の甲の魔方陣は明るい緑に輝き、五つ全ての爪は黒く染まり、伸び、まるで鎌鼬の尻尾の刃のようになっている。その刃に改めて魔力を込めることによって発現した鎌鼬の固有魔法風刃。それが鎌鼬の肉体を軽々と切り裂いてみせた。少量の魔力で運用できる風刃一撃で、鎌鼬を屠ることが出来るとわかったアルマは速かった。
凄まじい勢いで鎌鼬たちの肉体を切り裂いていくアルマに決死の覚悟で首を狙い、飛び上がった鎌鼬の胴体目掛けて放ったアルマの貫手は、鋭く鎌鼬の肉体を貫いて、その勢いを止めた。
「終わったぞ……」
アルマが静かに一言そう言うと、サリナの炎壁はゆっくりと解けていき、その中からサリナとイギルの二人が出てきた。
「アルマっ!」
不安からか、鎌鼬の血に塗れていることを気にせず、アルマに飛びついた。
「ごめんね。ちゃんと話を聞いていれば」
「大丈夫だ。お前も大丈夫か?」
静かな声音で尋ねられたイギルは、自分たちの周りにある無数の鎌鼬の死体に不快感を催した。文字通り為す術がなかった自分に対し、それを一人で片づけてみせたアルマの実力に絶望にも近い羨望を覚えたイギルは、「すまなかった」と頭を下げた。
「いや、二人が先に行ってくれなかったら、立ち上がれなかった」
「そんなこと……」
イギルは返す言葉が見つからなかった。再会を喜ぶにはまだ早いとわかっていたアルマは、二人に改めて尋ねる。
「まだ前哨戦だ。いけるか?」
「私は大丈夫」
「サリナが守ってくれてたから」
「そうか。じゃあ気を引き締めていくぞ。全員救って帰る」
「うん!」
「おう!」
二人は確かにアルマの異様な左腕を目にしていたはずだった。周りに転がっている死体を見れば、察しの悪い人間だとしても、気付かざるを得ない。彼の左腕にあるのは魔物の力だった。アルマにとってはただの力に過ぎなかったが、他の人間から見たら。そう思い、アルマは今までこの力を人前で使うことはなかった。しかし友が助けを求めている。そんな状況で惜しむ力なんてものはなくて、全力を出すという選択肢しか彼には存在していなかった。だからこそ、醜いと思われようとも、この力を振るうことを決めた。自らの弱さを嘆いたアルマの元に授けられた力は、忌み嫌われし人間の敵、魔物の力だった。
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