ブルズアイ狙撃技能研究所の日常業務

第1話 口頭依頼

 ここはアメリカ合衆国ウェスバージニア州北部の片田舎。

 『カントリー・ロード』の歌詞にあるような風景の中に私が代表を務める会社がある。

 専門技術が売りの零細企業で、社員は私を含めて2名。路頭に迷うほど落ちぶれてもいないが、ヨーロッパの高級車を購入できるほど利益は出ていない。


 規則も財源もゆるゆるだ。


 社長である私には重役出勤するゆとりは無く、それに加えて休みの明けの出社は、少し急かされたような気分になった。


 事務所。と呼んでも恥ずかしくなるようなボロ小屋だ。

 西部開拓期に木こりが余った材木で片手間で建てたようなログハウスで、窓ガラスから蝶番まで、すべての建て付けは奇跡的な力で原型を留めている。

 そのヴィンテージ物の建材の遮音性は驚異的であり、壁越しながら電話の呼び出し音が聞こえているのだ。


 建物と同じくらい老練なドアの鍵を絶妙な力加減と精密な角度調節で解錠。


鍵の機構が軋む。やっと扉を開く。


 出迎えたのはカビと冷たく潤った材木の臭い。埃を被った剥製のカナダガンとレイクサーモン。

 本が積もった1枚板のテーブルを迂回する途中に電話のベルが鳴り止んだ。

 時間切れか……いや、珍しく住み込みの従業員が受話器を取ってくれたらしい。


「はい。こちらブルズアイ狙撃技能研究所。

 ……はい。弊社は調整された狙撃銃とそれを扱う技術を持った狙撃手から逃れられる者は存在し得ないないと確信しております」


 受話器を持っていたのは不動の直立姿勢を保った少女。

 背筋をピンと伸ばし、壁掛け電話の向こうに相手を見据え、ハキハキと淀みなく上官に意見具申する兵士のように応対している。


「いえ。100パーセントとは言いません。ですが、狙撃による暗殺の成功率は99.99パーセントから50パーセントの範囲です

 そして、


 少女が電話対応をしている横で、私は壁にもたれかかり、営業トークに耳を傾けた。


「えぇ。では、お待ちしております」


 数回の相槌の後、ガチャと受話器が戻される。

 その瞬間から私は何か言いた気な顔をしていたのだろう。

 少女はその機微にめざとく見つけ、餌取りライバルと遭遇した鳥のように目を細めた。


 忙しくなりそうな1日を、良いスタートを切る為に、私は良い上司風の笑顔を作る。


「営業トークが板についてきたね。コリガン」


 少女の名前はコリガン。我が社の唯一の社員だ。

 コリガンという名は、姓でも名でもないアダ名で、私たちが彼女を、彼女自身が自分を認識する唯一の呼称だ。

 彼女は弱冠20歳の退役軍人で、天才的な狙撃の才能と致命的な頑固さを持った世捨て人でもある。


 コリガンの鋭い眼が胡乱に円弧を描き、面倒臭そうに目線を逸らす。


「社長が早く来ないから……。

 こいつ、ずっーと呼び出してた。しかも、15分で6回も掛け直してきた」


「君を根負けさせるなんて、向こうは相当やり手だね」


 コリガンには狙撃手の基礎能力である忍耐力に特に秀でている。

 そんな彼女を寝床から引き剥がし、電話に出させる為には、想像を絶する回数の呼び出し音が必要だったのだろう。

 言い換えれば、電話の向こうではそれだけ緊急で、大変な事態が起きているという事だ。


「電話はどこから?」


事務所ビユロウ


「どこの?」


「事、務、所」


「なるほど……。FBIか」


 私が社長を務めるブルズアイ狙撃技能研究所の請負仕事は、長距離射撃におけるアドバイザー。例えば企業案件での新型精密ライフル弾の評価試験や警察やアマチュアの狙撃手への技能訓練。そして、狙撃事件に関しての捜査協力。

 そんな私たちに、“事務所”だけで通じる組織は一つしかない。


「誰だった?」


「DCのマックイーン……さん、だったかな」


「ワシントンDC支部のマーティン捜査官じゃない?」


「たぶん、そう」


 コリガンの胆力は、20歳前後の女性としては驚異的だ。アメリカ合衆国連邦捜査局の人間からの電話をセールスマンに対する態度で受けたらしい。


「なんて内容だったの?」


「近々、政府の要人が狙われるからそれを塞いでくれって。資料はすぐ送るけど、くれぐれも内密に、だって」


 確かにそろそろ選挙のシーズンだ。


 この国では瞬きと呼吸の次に銃撃への懸念が必要だから、治安を維持する組織が騒がしくなるのも納得できる。

 だが………いきなり我々に電話をかけてくるには早急過ぎるような気もする。

 そうなると…………FBIはかなりヤバい情報を掴んだのだろうか………。 


 推測の世界に入っていた私に対し、気配すら曖昧にクルガンは詰め寄り、耳元でそっと囁いた。


「所長。外に人がいます」

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