第6話 雨が降るから虹にも出会える

「……なんのことですか」


「お前の眼を見ればわかるさ」


 倉橋先輩は下げていた頭を上げると、優しい手つきで私の左頬に右手を当てた。何も知らない人が見たら、きっとキスしようとしている光景なのだろう。

 感じたことのない程、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。そのまま顔と顔の距離が次第に近くなる。私は倉橋先輩とキスしている光景を想像するのが恥ずかしくて、きゅっと目を閉じようとしたとき、ふいに顔と手が離れた。


「人工レンズだよな、やっぱり。微かに瞳が浮き出てる」


 私は「へ?」と口をぽかんと開けた。普通に生活をしていて、普段は私ですら気にしないほど細かな病気の特徴なのだが、この人はちゃんと私を見ていてくれたんだ。友達でも気付かないほんの些細な、世界とずれたところを。

 倉橋先輩は優しい顔を浮かべると、笑いながら怒った口調で、私の頭を両手で捕まえた。グーで。


「ちゃんと目が見えないから部活のときに注意力が散漫するんだよお前は!」


「痛い! 頭ぐりぐりは痛いですってば!」


 見直しかけたが、やっぱり訂正しよう。倉橋先輩は非道だ。

 頭を押さえる私に、倉橋先輩は「はあ」と溜め息をついた。


「なぁ、ふみ。この世界は想像、フィクションと違って不平等だらけだ。お前はそれを痛感している。だから、登場人物が途中で悲しくなるようなストーリーは書かない。どれだけ苦しくても、治せないものもあることを、お前はよく知っているから」


 倉橋先輩は非道だ。でも、私のことはよくわかってくれている。よく、視えている。


「……はい。私は平等で幸せな世界に住みたかった。私のなかの世界は、私の理想です」


 倉橋先輩は私の言葉を聞いて考え込むように顎に手を当て首を傾げると、思いついたようにハッと顔を上げた。そして、茜色に沈む遠い地平線を指差した。


「雨が降るから虹にも出会える。不幸なことが起きても、それは幸せに繋がっていく」


「雨が降るから、虹にも出会える――」


 素直に、素敵な言葉だと思った。昔マザーも似たようなことを言ってくれた覚えがあるが、絶望の淵にいた当時の私には理解もできず、無意味でしかなかった。

 でも、いまは違う。不幸な運命を与えられた私にも、希望を与えてくれた人たちがいた。手を差し伸べてくれた人たちがいた。私のことをよく見てくれていた先輩もいた。


「不幸な少女も、ずっと不幸なわけじゃない。希望への道しるべを与えるのが俺たちの映像──フィクションだ」


 歩き出した倉橋先輩の足取りが数歩進んだ先で止まる。坂道のガードレールに手をつき、私はそこから見える景色に目を輝かせた。

 茜色の夕焼けが段々と暗くなり、幾つもの光が一つ、二つと町に灯っていく。誕生日ケーキにライターで火を灯すようなわくわくした感情が心の底から湧き上がった。


「あの光の一つひとつにだって、不幸なことはあるもんさ。でも、今日を明るく生きている。あの光が、幸せに繋がってるんだ」


 横から眺めた倉橋先輩の横顔は、暗闇のなかでも町の明かりでほんのり明るくて、とても楽しそうだった。


 ──この人は、なにを想像しているのだろう。なにを私に見せてくれるのだろう。


 私は気になってずっと横顔を眺めていた。私の視線に流石に気付いたのか、倉橋先輩に「どうした」とかれた。先輩の横顔にしばらく見入ってしまっていたなんて言えるわけもなく、私は「なんでもないです」と受け流した。

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