そして僕は知らない言葉を口にした。@柿本英治


 のんちゃんが二人に話しかけた。


 その瞬間、叫ぶようにして、僕が見たことのない言動と表情を花咲さんと雨谷さんは見せた。



 「あんたがッ!?」


 「おまえかぁッ!!」


 

 多分本気で怒った顔なのだろう。


 ここまでなのは、見たことない。


 でも、美人は何しても似合う。


 まるでサスペンスドラマの女優さんだ。


 画面の中のまったく関わりの無い人達のやり取りを見ている気分にさせられる。


 実際、もう関わりなんてない。


 二人はどうやら今知ったみたいだけど、のんちゃんは以前から二人を知っている。


 そして並々ならない敵意を向けている。


 のんちゃんが……何かした?


 隣のブランコに座るのんちゃんは、二人と違い、余裕の笑みを浮かべていた。


 え…すごい悪そう。


 ザ、何かした人の顔だ。


 でも、美人は何しても似合う。



 彼女はブランコから勢いよく立ち上がり、大きく手を広げてゆっくりと回りだした。



「んふふ〜そうなんです〜そしてそしてその正体は! ここにいるえーちゃんの幼馴染、藍沢望空あいざわ のぞらちゃんなのでした〜そしてそして今日からわたしは! えーちゃんの〜なんとなんと彼女となったのです〜よろ〜いぇ〜い、ひゅーひゅー」


「え、あ、はあ!? なんで!」


「な、何言ってんのよ、お前!!」



 わかる。


 超わかる。


 僕ものんちゃんが何言ってるのかさっぱりわからない。


 花咲さんにしたように、告白していない。


 雨谷さんにされたように、告白されていない。


 僕が知らないだけかもしれないけど、こんな始まり方なんてあるんだろうか。


 本当に恋も愛も知らないことばかりだ。


 でも確認はさせて欲しい。



「のんちゃんが? なんで?」


「んー? ああっ! ごめんなさい…わたし舞い上がっちゃってた。えへへ…恥ずかしぃ…えっと、ほら、これ。はい。これから…よろしく、ね?」



 顔を赤らめ、もじもじしながら差し出してきた短冊みたいな紙には、ミミズの這ったような字で、僕とのんちゃんが将来付き合う約束が書かれていた。



 いや、全然覚えてない。


 それに僕の字だとも…全然思えない。


 これ、ほんとに……だとしたら、僕は酷いやつだ。


 こんな大事な約束を忘れるなんて。



 けど、これはチャンスかもしれない。


 契約に縛られた関係なら、恋も愛も知らなくて良いのかもしれない。


 大好き。


 それだけの装備だけで良いのかもしれない。


 そしていつか、恋と愛をちゃんと知れるのかもしれない。



「あ、そだそだ。相談ありがとね〜お二人とも〜思い通りテンキュ〜途中でやめたらえーちゃん絶対許しちゃうからさ〜もーハラハラしたよ〜早く謝ればよかったのに〜でもまーも〜ムダだけど〜浮気目撃されたら、ね〜致命的〜えーちゃん絶対思い込みで身を引くから〜ら、ら、ら、ら、る、ら〜りーら〜」


「ッ?!」


「ッ…?!」



 思い通り…やめる…絶対許す…早く謝る…なんのことだろうか。


 そもそも浮気相手は僕で、目撃の案も僕だ。


 でも、その言葉で花咲さんと雨谷さんは、ぴたりと止まった。


 なんだか酷く苦い顔してる。


 本当に今日は知らない表情ばかりだ。



「あー長かった〜んふ。そだそだ。二人ともあ、り、が、とぉ〜ここまでのえーちゃんなのは…流石に完全偶然産物だったけど…ぼこぼこ。可哀想。んふ。ある意味助かっちゃった。テンキュ! あー満たしがいあるなぁ〜ボーナスボーナス〜それに…そのままならえーちゃん絶対そんな事しないって思ってたんだ〜ビョーキ怖いよぉ怖いんだよぉーって植え付けてて良かったぁ〜あーでもハラハラしたぁ〜うっすぃ初恋振りかざす勘違い復讐系浮気女のばっちぃ手垢っていうかぁ〜簡単お試し裏切り系尻軽女のきったないマンカスっていうかぁ〜そんなの付いてなくってほんっと良かったぁ〜ていうかそもそも初恋観違い過ぎてドン引きなんですけどぉ〜そんなの困るんですけど〜いや困らないんですけどぉ〜煽るの簡単なんですけどー。んふふ〜。ら、ら、ら、ら、ら〜る、らり〜ら〜ファーストキスはもらってたし〜ら、ら、ら、ら、らる、らり〜ら〜。あぁ! 初めて楽しみ! ピカピカ! ヤバ! 超濡れるぅ! はれるやぁ!」



 花咲さんと雨谷さんの二人は絶句して固まった。


 反対にのんちゃんはかつて見た事のない程のお喋りスーパーハイテンションだった。


 鼻歌交じりにくるくると回ってる。



 こんな…女の子…だった…かな…?


 超最新型のハードかな… 凄くドキドキしてきた。


 それと同時に、良いものか、ダメなものなのかもわからないけど、なんとなく懐かしく感じる何かが、ジワリジワリと足元から染み入ってくるような、這い登ってくるような、そんな気がしてくる。


 そしてそれが、欠落した僕の心の穴にたどり着き、そのまま吸い込まれて落ちていくような、落ちたものが反響して叫んでるような、そんな気がしてくる。


 次第に穴が埋まっていくのがわかる。


 勇気の種が埋まるスペースが無くなっていくのがわかる。


 なんだろう。


 このゾリゾリとした胸騒ぎはなんだろう。


 ドキドキと重なってすごく分かりづらい。


 まるで手摺の無い、超細い橋の上にいるみたいだ。


 これは向こう側に渡るべきなのか。


 でも一度引き返したことがあるような…


 うぅ、頭が…


 いや、もしかしたらこれが契約による恋と愛の始まりなのかもしれない。


 渡れば知れるのかもしれない。



 でも、ファーストキスって、そんなのした覚えはない。


 それに、植え付けたって言うけど、普通ビョーキは怖い。でもそれって誰でもそうなんじゃないのか。



「ん〜ら、ら、ら、ら、らる、らり〜ら〜」


「……」



 ふと、疑問に思って辺りを見渡した。


 桜は別に満開でもなく散り散りに浮かんでいるだけで、散った花びらは地面に汚く塗れていた。


 雨雲は昨日去っていったばかりだけど、公園には泥塗れの水溜りが一つだけ。雨も別に降ってくる様子はない。


 ただ、真っ青でとても突き抜けた、四月の澄んだ空だけが、確かにピカピカに晴れていた。



「まんか…す? …超……濡れる?」



 そして僕は、のちに痛いほど思い知る、知らない言葉を口にした。


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