第14話 欲


(本文は以前どっかに載せたかも。追記を書いたけど、以前どこに載せたか判明しないので、新たにUPします)


タイ在住です。

一般人地帯に住んで、周囲はほぼ地元民ばかり。このあたりで外人は白人は常駐が1人、たまにが1人程度。周辺国人は沢山。中国(大陸)、コリアは少数いる。コリア以外はほぼタイ語で会話。なぜかコリアは英語。


で、

こっちに住んで正味20年位。他の国は「住んで」とまではいかない、&旅行のみ。そんでも20数カ国のみしか知らん。


自分から見たら外人達に混じって暮らしてみると、何もかもが日本人社会とは違うと感じるようになる。で、なぜだろう?とか、いろいろ突き詰めていくと、根本が違うと結論。その根本は白人達の社会のそれと似ている。白人の国も多く在るが、西も東も在るが、それでも根本は似ている。


日本人達のそれは、勿論半島(コリア)と中国に似ている。その3ヶ国(地域)は、3兄弟と言われるのがよくわかるくらい、「その他」と違う。


で、

外(国外)で暮らして(仕事(就職)もしたし自営もした)、こっちの人と家庭を持ってみて、彼らを日本に連れてきて10年ほど暮らし、知ったのが根本が違うであり、そして「良いとこ悪いとこはオモテウラ」だということ。

タイなど大嫌いに成ったことも在る。つーか、滞在した国は大概一度は大嫌いになる。二度と来ねぇ!!ってなw。

でも、後から思えば、それほどでもないな、とも。


環境で、裏が出やすい地域もあるし、個々で言えばその環境は職場であったり立場であったりとかもある。

その表側は?と考えると、環境が違えばそれが出てくるのだろうな、とも思える。


表側(良い側)が出やすい社会(国等)も無くはない。特に文明化(工業化=先進国化)されればされるほど、裏が出やすくなる。

ただ、その「出やすくなる要因」は、そこの「個々の資質」となる。


では、悪い面が出ている社会は?

「欲が横行する社会」


良い面が出ている社会は?

「そうではない社会」

に尽きる。


一足飛びな意見になるが、

日本人は「日本人は謙虚、欲深くない」と思い込んでいる。だから修正できない。事実を認識し、良い方向はどこなのか?を見定め、そちらに向かおうとし無い限り、修正は不可能。


良い人にみせようと、周囲の人間を騙すのは容易みたいだ、そういう者がものすごく多い。我が国社会には。

が、人間が騙させるのは人間だけ。

自分をも騙せるのだし、実際、ひとを騙す者は自分を騙している者ばかり。


じゃ、事実を見ることなんぞできないじゃん!、と思うだろう。


その場合、先に方向性を定めてみる、という手もある。


今回の場合は、方向性は唯一のみ。

「こころをきれいにする」

この「きれい」は、人類普遍的な「きれい」であり、俺様ルールのきれいではない。


なので、「どういうのが”きれい”なのだろうか?」から始めなければならないはず。その基準を持っていれば、自分のみならず今の我が国社会がどれだけ逝かれているか、怖くなって居られなく成っているはずなので。


その”きれい”の基準を理解できはじめた者達が、全体の2−3割を超え始めた頃から、変化は始まるだろう。

最初の変化は

たたかい。

「理解できはじめた者達」は、それは避けられないこと、と、理解しているはずだ。

ただ、それ(たたかい)も、お遊び程度だけど。




ほんとはね、

今の15−16歳以上で生きている者達全員を個別にドンパチやっている戦場にそのまま放り込んで、生き残って来た者達だけで国を作れば手っ取り早いんだろうけどね。そいつらが生きている限り、そこそこまともな社会にはなっているはず。

徴兵?戦場に行ったとしてもあまり意味ないかな。

兵隊なんぞ個々の判断なんかさほど必要とされないというか、邪魔とされる場合が多いだろうから。

ならば兵士なんぞより消防士のほうがよほど「経験」を積むくらいだ。


ないものねだりに近い↑、まず無理なので、まぁ、現状、可能性はゼロに近い。

西欧先進国も似たような状態だが、最も先を突っ走っている(突っ走らされている=実験)のが、我が国。


ノーパンしゃぶしゃぶが報道されたときから、「なんか、へん?」と違和感持ってきた者は、他にもいたんじゃないか?

当然バブルなんか違和感しかなかったよな。


今の「不動産価格の不釣り合いな高さ」は、高さを維持させなきゃならない理由がある、ので、その策略がわかれば、つぶしたいがつぶせないのでとりあえず理解しておくに留める、くらいか。

米ドルの高さと同じ構造。

つか、非兌換紙幣と同じかw


歴史?を遡っていくと、ほんと、特に産業革命以降から特に詐欺ばかりだよな大規模な。

どんだけ嘘が好きなんだろう。騙すの大好き騙されるのも好き、ってしか見えない。

そういうのも、「欲」によってコントロールされているんだって気づく者はいないだろう。


「欲」なんか、理性があれば抑制楽なのに。




未開地域になればなるほど「欲」の抑制はうまくなっている。

欲は衝動と言い換えても良いほど衝動的なもの。

動物も、野生動物になればなるほど衝動を抑制できている。

知識、教養ってのは、人間性にあまり関係ない。というか、知識や教養が人間性の成長を阻害している、と言っても良いほど。


子供の頃まともでも、大人になったら子供の頃に比べて・・・ってのは少なくない、先進国では。


人間をスポイルすることにかけては、人間が最も旨くしかも唯一のものということだろう。


これが進化というのであれば、成長というのであれば、もう笑う以外ないわな。

で、


昔から(ブログやSNSなどで)言ってたが、もう不帰至点は通り過ぎているので、しかも爆加速しながら。


まぁ、何がいいたいのやら?って感じになったから、ここでやめよう。


つまり

「欲を制御するのは簡単。欲が制御できてやっと人間としての第一歩。」ってことだ。

ダンシャリとか、あーゆーのはずれてるからな?、もとから買おうと思わんのがコントロール。

そして、「捨てる」よりも、もったいないので誰かに使ってもらいたい、大切にする人に使ってもらいたい、と思うだろう。

無意識にプラ製品は買わなくなり、ゴミが多いものを買わなくなり、、、となっていく。ひとめ、流行などまったく気にしなくなる。

食事は安全性と価格のみ。

何に於いても事実なのか事実ではないのか、が気になるようになる。

そういうのが無意識に自分の中で行われるようになる。


自分の中にいる欲を持つ自分を押さえ込み閉じ込めるだけで、↑。少しの努力は必要だが、ほぼ自動的に。

なので、放射能ブルームあった地域に入るときはマスクはするし、冬は空気が寒いのでマスクは体温確保に有効なのでするし、など、社会現象(意味のないもの)などほぼ無視して合理的に行動。

当然自分の中で、合理的理由のない差別などしないようになっていく。(身体的特徴や学歴等無意味な事によるものなど)


当然、年齢も気にしなくなる。けど、経験多い者、人間的にできた者は、若くても敬意を払うようになる。良い意思を持つ者に対しても同様。それが続くように対応。


など、など、他にも多く在るだろうけど。

なので、上記からわかるだろうが、今の日本人社会にとっては反発されることが多い。

これを読んでいる者でも大半はどっかで反発してるんじゃないかな?


これが英文やその他の国際言語(西、仏、露)で書けたらいいのになぁ




ーー 追記 ーー (上記は2022Nov20に書かれたもの。追記は’23Feb04)


いろいろ家事をしながら考え事をしていたときに、ふと思った。

「人間にこんな中途半端な知恵がなけりゃ、平和だったんじゃないかな?」

と。

知恵が足りない私よりも知恵が不足している人は「逆だろうバカ!」とか反射的に思うだろう。

そう脊髄反射する前に、まず「なぜ?」って考える癖をつけると、ひとつ段階上がるよ?w


中途半端な知恵を持っているから、人類はここまで自分達の環境を破壊して良かった生存環境を悪化させてきた。欲にかられて。

欲を「向上」と言い換える者は多い。それは欲と向上の違いを理解できていないし、線引きを自分側の都合の良いようにする癖が付いているから。客観的に見ることに努力して生きていれば、そんなことはしなくなる。


よく母親が「人間は感情の生き物」と言っていた。違和感ばりばりだった。

1)理性があるから人間でいられるんじゃないか?

2)激情やら嫌悪やらの感情は、コントロールされたモノではないので「衝動」と呼ぶ。

 感情は理性の上に成り立っている意識。


動物は衝動は少ない。本能的に制限されている。野生になればなるほど、その行動(衝動に見えるもの含む)には理由がある。その理由に基づいてその場で必要な「感情(衝動に見える場合も多い)」を表す。

そこから見ると、人間の方が下等生物・・つーか、特殊な生物、地球上の生物の範囲外にある生物となるわけだ。


中途半端な知恵、と言ったのはそこ。

感情を、少なくとも他の動物程度までコントロールできるほどの理性を与えた上で、知恵を与えれば、ここまで害悪な生物となることは無かった。

近代に成ればなるほど、理性は退化していっている。


なぜだろう?

北欧は暴力が支配する地域だったそうだ。

砂漠の民も似たようなのが多かったようだ。

それぞれに物差しがあり、それらの物差しを理解できたら、その危険性も下がったようだったが。


では、

モハメッドを見出した者のように、

「社会に規範を作りたい、浸透させたい」

というものが居り、(なぜ居たのかは神のみぞ知る、かなw)

道徳性を、神というものを利用?し、浸透させた。どこの誰にでもそれなりに納得行くような物差しになっている。

当初は、な。


他の現代に続く宗教も、それなりに似たような時期に発生。原始宗教からの変化、と言っても良い。

そこでもやはり、知恵が足りない(≒神に見放されてる)者達は、人に模した神を作ってしまった。

人型ではないからこそ、畏怖があり、人の概念の外の何か、だと理解できるのに。人型にしてしまったがために、爆格下げ状態。


元来、神は人間を模したものではなかった。

それが重要であった。


キリストだって最初は神の使いレベルだったんだけど、なんかいつの間にか神あつかいになってて??だった。

これはその宗教の利権(宗教を広めやすくしたり、神殿の者達を神に近い者だと勘違いサせやすくしたり、かな?)。権限とおかねが絡んでくるからこそ、そこまでしたわけ。



人類の中には、理性で衝動を抑制出来ているものも存在する。国家規模で、そういう者が多い国もないことはない。

が、それはとても少数派。大多数は地球にとって害悪でしかないわけだが、それが大多数なので殲滅は不可能。

もうガンが広がりきってしまって、医師には手のつけようがない状態。


これを解ってる(感覚的にもそのような危機を覚えて生きている者)人間は、数えるほどしかないだろう。片手?とかなw


で、だ。

理性を伸ばすためには鍛え上げねばならない。

そのために?

経験を多くしていくのがベスト。

でもたった50−60年くらいしかその期間は無い。

より効果的にいくには、人の2−3倍の人生を生きる覚悟が必要。


「神よ、艱難辛苦を我に与え給え」

という文句ではないが、

自ら、経験の無いこと、寄る辺が無い環境、などに飛び込む。

そしてその環境から様々なことを「得る」という知的好奇心を満たして満足できるように自分をコントロールする。

無駄な遊びをしなくなるので勝手に時間を効果的に使うようになる。

ただ、精神の安息も必要なので、クラシック音楽の良いもの(指揮者や楽団などでかなり変わる)を聴くこと。

音楽は神に捧げるモノであった。それだけの価値がある作品は数多い。


私の場合は単に「人生1人分ではつまらん、3人、できれば5人分ほしいものだ」と思っていた。

そこまでできなかったが、

いろいろ仕事を経験した後、平日は5時仕舞いの事務職を選び、5時半からバーテン(昔からやってみたかったw)、土日昼間は現場仕事などのバイト。

各仕事、ペイは良い方ではないのでさほど稼ぐことはできなかったが、ほしいのは「経験」だったので楽しかった。

特にバーテンは厳しく教えられてブチ切れそうになった事が何度あったかw(後日、最初の頃かないrブチ切れてたよね?とか仲間に言われたw)。

平日昼間の仕事は、工場の管理(現場側の工程管理一式)、営業、販売、事務、事務補助。それらも同じ業界などは選ばず、違うのに。それで「差」というものを実感できるようになっていったようだ。


(合間に小説書いて持ち込みとかしてたw結果は察してw)

(また、正社員のみならず派遣も。この当時の派遣は今の奴隷派遣法ができるまえのまっとうな派遣。奴隷法後の派遣も経験したくって結構いろいろな現場に入ったけどねw)


強さ、フィジカル的な強さが不足していたので、それに拠る自信が不足と感じていたから、曖昧習いに通った。週一程度じゃほぼアレだが気分?w

でも、そういう自信は一度死ぬほどの現場に入り込めば、生き残れば勝手に身についているもんだ、と後々知るw

多分、津波に流されて生き残った人など、かなり強くなっていると思う。今はもうほぼ生きていないだろうけど、戦争で、前線を経験して生き残った人も当然。

メスナー見たいな者も、何度も「あ、死んだな」と思ったことがあったろう。そういうのは特別に凄いだろう。けど、それがくせになってる感じがするので、逆に危ないひとになってる感が強しw

スリルと感じちゃうのはダメ。そういう人は、周囲99人死んでて自分のみ生き残ったとかにならんと、治らんだろうけど。


勿論自分でも始めた。肉体労働関係、事務+営業関係、貿易+営業関係(+営業、になってるのは零細なので一人で全部だからw。事務員や営業者にも教えていってたので、必要十分な戦力になるまでかなりかかった)。

日本で2度、海外で1度。

勿論海外で就職も何度かしている。


ということなので、一通りの職務内容は経験し、それなりに旨く回すことまで、は行っている。が、職人ほどの勘ができたり、人脈ができたり、というのは無い。一人前になりはじめたら、とりあえずOK、的な?。その仕事での「感覚」を得たかったのだ。知識ではなく、実際に自分がその場に関係、当事者として居て、行動する、ということ。そこから感じること、などが重要だった。


もともと、母方のほうはなんか異常なのが多く、つか、まともなのは私のじいさんと母の半ダース以上の姉妹の中で1人だけ。縁戚も付き合いしたくない程度な。

しかも自分の性格がそこからかなり受け継いでいる、ってのを実感していたので、

「この血を残したくない」

ってんで、勿論結婚はしないし、できればとっとと消え去りたかった。が、折角生きてるのだから勿体ないので、んじゃいろいろ経験してみたいなぁと。


だから肉体労働系の時はかなり無茶して体壊した。海外を放浪するのも怖くなかった。終わった時はそれはそれで、と。なので怖がる必要がある範囲が「凄く狭かった」というのがある。

病気は怖いな、苦しいだけだもんww


なので、医者が居ない場所での体調管理など、必要十分にできるようになった。できないとやばかったしね?

でもわけわからん熱病とかいきなり来るんだよな。主に問題無い時に気が抜けたら出る。だからまぁ2−3日養生して治したが。程度はインフル程度。(インフル程度は自分で3日で治す=行動できるようにする、べき。慣れたら一晩でかなり良くなる、一時的にw。破傷風等もまず初期に気づくので、同程度)


これが、大学卒業後から50歳代迄。

まぁ、それなりに満足w


だがなぁ、もっと言語やっておきたかった。

少なくとも露語、西語は会話や簡単な読みまでやりたかった。アラビックも読む(音)だけ=地名、人名はわかる、程度、はやったら面白かったかも。


60過ぎたら新言語はきつい!なので、それまでに簡単な日常会話と読みができるくらいになってれば、人生かなり面白くなると思う。NHKラジオの教本を読むだけでも違うと思う。

良い辞書には後ろに文法や格変化が載ってるので、それ読むのも楽しい。



前に書いたように、大卒になると社会経験が必要に届いていない。

子供の頃(高校、大学含む)に、必要な経験をしていないみたい。

それが勉強という、一部の者以外にはとても無駄でしかないことに時間を無駄に費やされてしまっているからだろう。


学歴社会、資格社会の教育が人間を動物以下にしてるんじゃね?

今の子は野山で遊ぶなど全く想像できないだろう。

いなかでも、空き地がくさぼうぼう。子供が遊んでりゃそうはなっていないのだから。

で、そういう経験して育った子を見下す社会が今の我が国の人々の社会。

歪な人間を作るレールから外れた者を弾きだす社会。

そういう人間と会話しているとさ、頭が重くなるし、胃腸の調子が悪くなってくるんよ。

怖いよね?なんか電波でも出ているんかな?って思うよね。

(顔つきは気にしなければさほど影響受けない様子かな。)


根本が「無い」のが怖い。

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