壊したラジオ

ふさふさしっぽ

本文

「実は、ラジオが壊れちまったんだ」


 高校時代のクラスメイト、トシオが言った。

 夜の十時。コンビニで偶然に再会したのだ。僕はトシオがこの近くに住んでいるなんて、全然知らなかったから、驚いた。

 まあ、高校のときもそんなに親しいわけではなかったけれど。


「ラジオ? じゃあまた買えばいいじゃないか。ラジオなんて今時、安いし」


「そうだな」


「コンビニでも、携帯ラジオなら売ってるかもしれないよ」


 僕はコンビニの店員さんに聞こうとした。


「いや、いいんだ。スマホでラジオ聞けるし。別に今すぐ必要ってわけじゃないんだ。なんとなく言っただけ……わりいな、アキラ」


「ふうん? だけど災害時とかのために、一台はあったほうがいいんじゃない? 僕んちもあるよ。スマホだと充電しないとだめだし」


「だな。ってか、実は、壊したの俺なんだ。仕事がうまくいかなくて、むしゃくしゃしててさ、ラジオがうるさくて」


「なんだよそれ、短気なやつだな」


 僕は高校時代のトシオを思い出す。どちらかといえば大人しいタイプだったと思う。

 カッとなってラジオを壊すようなタイプじゃなかったと思った。

 だけど人間は変わる。

 高校を出て十年。

 二十八歳になり、僕も人並みに仕事に追われ、それなりのポストを任され、悩みだってできた。

 気楽だった高校生時代とは違う。

 そういえば、トシオはもともと母子家庭で、その母親も高校在学中に亡くなってしまい、お祖母さんのところに引き取られたんだっけ。

 僕と違って、それなりに苦労してたなあ。


「トシオは、独身? 今もお祖母さんと一緒に住んでいるの?」


「いや、今は一人だ」


 実家を出てこちらに引っ越したということか。それともお祖母さんは亡くなってしまったのだろうか?

 僕はそんなふうに推測しながらトシオを見た。心なしか、青ざめているように見える。

 やっぱりもう亡くなったのかな。そうなるとトシオは兄弟もいないようだったから、天涯孤独になったのか……。


「僕も独身だよ。この前フラれちゃった」


 気まずくなった雰囲気を打ち消すように、僕は明るく言った。結婚を考えていた彼女と別れたのは、二週間前だ。


「そうなのか。じゃあ今は一人暮らしか?」


「ううん。三年前、癌で母親が亡くなってから、親父と二人暮らしだよ。姉ちゃんは僕が大学生のとき、結婚しちゃったから」


「男二人で大変だな」


「まあね……。なあ、せっかく会ったんだから、これから飲みにでも行かないか」


「悪い。家に帰ってからやらなきゃいけないことがあるんだ。壊したラジオを片付けないといけないんだよ」


 結局僕たちは連絡先を交換して、コンビニで別れた。

 きっと今後、お互い連絡することはないだろう。そんな雰囲気だった。

 僕は缶ビールの入ったレジ袋を下げながら、自宅のマンションに戻った。


「遅いぞ、アキラ」


 父親が狭いダイニングでタバコを吸いながら、酔っぱらっていた。

 僕はため息をつきながら、レジ袋から缶ビールを取り出す。


「なんだアキラ、エコバッグを持って行かなかったのか? レジ袋は有料なんだぞ。そういう無駄遣いがだめなんだ。お前はそうやっていつもいつも……」


「勘弁してくれよ父さん、仕事で疲れているんだよ僕は。もう寝るから、はい、ビール、残りは冷蔵庫に入れておくね」


「いつもいつも詰め甘いんだ。災害時のために色々用意しろと言ったのに、肝心なラジオを用意しない。スマホがあるから大丈夫? 充電が切れたらどうするんだ? 災害時は電気も止まる。いつでもどこでも充電できるわけじゃないんだぞ。ちょっと考えれば分かることだ」


「だから、ラジオは買ったでしょ」


「今の若者はスマホに頼りすぎている。俺の若い頃は携帯電話なんてなかった。取引先と連絡が取れないと困るから、事前にきちんと段取りをして……」


 話が止まらない。こっちが何を言おうが一方的に話し続ける。まるで人間ラジオだ。

 無視して自分の部屋に戻っても、親父は部屋のドアの前で缶ビール片手に延々と持論の展開演説を続けるのだ。

 三年前に母親が亡くなってから親父は仕事を辞め、アルコールを飲むようになり、こうなってしまった。姉はこんな父親を煩わしく思って、ほとんど顔を出さない。

 親父はテーブルの上の灰皿でタバコを消した。いよいよ本格的に演説開始だ。


「仕事で疲れている? 馬鹿言っちゃいけねえよ、俺が現役のころは土曜だって休みじゃないし、休日出勤だって当たり前だった。男ってのはそういうもんなんだ。男は仕事。女は家庭。俺はそう思うぞ? それが今の女は……」


 結婚を考えていた彼女が仕事を続けたいと言って、親父と揉めた。

 僕は家を出て二人で暮らそう、親父は関係ないからと言ったのだが、彼女は僕の父親とやっていく自信を失くしたようだった。

 親父は僕だけではなく、彼女に対しても否定的な発言ばかり一方的にまくしたてた。彼女のやることなすこと、全て。

 二週間前、彼女は去って行った。


「大体、今の若い連中はぬるいんだよな。俺が若い頃は違った。今は何かあるとすぐにパワハラ、モラハラ、セクハラ……」


 うるさいうるさいうるさい。


「そのくせ、ちょっと褒めると調子に乗る。アキラ、お前もこの前企画のリーダー任されて喜んでたけど、俺に言わせればそんな小さい企画のリーダーになって舞い上がって馬鹿が〇✕◆&▽※〇>#✕……」


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。


「あんな女と別れて正解だったんだ」


 黙れ!!


 ラジオが止まった。


 僕の右手にはガラスの灰皿。

 目の前には、壊れた

 もう、動かない。


 ……壊したの俺なんだ……ラジオがうるさくて。

 ……壊したラジオを片付けないといけないしな。


 あ、もしかして、トシオもだったのか? 壊したラジオっていうのは、お祖母さんのこと? 僕と同じように、一方的に話し続けるお祖母さんが煩わしくなって、思わず? きっとそうだ。

 後で連絡してみよう、と僕は思いながら、壊してしまったラジオを片付けに入った。


♦♦♦


 アパートで一人、コンビニの弁当を食べていると、スマホが鳴った。

 アキラからのラインだ。

 さっきコンビニで会ったばかりで、何だ? と思って俺はラインを見る。


『トシオ、まだ起きてる? 実は、僕もラジオ壊しちゃった。ラジオって、片付けるの大変だよね。なあトシオ、やっぱり今度一緒に飲もうよ』


「は?」


 思わず声が出た。なんでそんなことをラインしてくるんだ? 社交辞令で連絡先を交換したものだとばかり思っていたのに。

 一緒に飲むの、正直嫌だなあ。

 会った時こそ、懐かしかったけど、アキラの奴、なんか目がヤバかったもんな。あの、俺を見たときの目、ぞっとしたぜ。相当追い詰められてる。

 飲みに行こうって俺を誘ったとき、本当にすがるようで狂気じみてた。家に帰りたくないのか?

 そこまで親しくないからラジオ片付けるとかとっさに嘘ついて逃げたけど。

 俺は布団の脇に置いたままの、壊してしまったラジオを見た。

 古めかしいデザインの、小ぶりなラジオ。物持ちがいい母さんは、よくこれで英会話を聞いていた。

 とはいえ、古いラジオは最近雑音が入ることが多く、仕事のイライラも手伝って「全然聞こえねー」と、ちょっと放り投げたら、完全に壊れてしまった。

 母さんの形見だったのに。反省反省。今度の休みに直しに行こう。

 そんなことを考えていると、もう一つ、ラインが来た。


『トシオ~、ばあちゃん、明日帰るよ~。おみやげ楽しみにしててね💛』


 箱根に旅行中のばあちゃんからのラインだった。

 俺のばあちゃんはスナックを経営していて、常連さんとたまに旅行に行くのだ。

 離れて暮らしていても、こうやってちょくちょく連絡しあっている。断言してもいい、俺はババっ子だ!


『いつまで起きてんの、夜更かしは美容に悪いぞ。気をつけて帰って来てくれよ』


 俺はばあちゃんにラインを返すと、アキラのことを思いだした。


 そして、ちょっと考えてから、アキラのラインをブロックした。




(終わり)

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