第55話 劇薬

 薬草を部屋に運び込み終えたのは午後16時の鐘が鳴る頃だった。

サイネリアさんは調子が優れないことにしているため、部屋で寝ているふりを続けてもらっていた。

僕とドネットさん、アヌエスさんとジュリーのペアで代わる替わる運び入れた。


 ドクニンジンについては危険性もあるので、何らかの事故が起きないように可能な限り処理を進めておきたい。

念の為、扉には人払いの注意書きと、無意識下に作用する人を遠避ける効果が期待できるルーン文字を印したものを貼っておいた。

早速背負い鞄リュックからマスクと小刃物ナイフを取り出してきて、作業に取り掛かる。

まずはドクニンジンを茎、葉、花弁にそれぞれ切り分けて分類する。

根からは次の芽が生えてくるので、ドネットさんにも根こそぎとらないように伝えていた。

そのため、今回の収集に根はほとんど含まれていない。


 葉の部分はすり潰して菜花のオイルと馴染ませて、軟膏として使う。

乾燥してしまうと成分が揮発して効果が薄まるので、手早くすり潰してオイルと合わせ、密閉容器に入れる。

この軟膏は主に鎮痛剤として使用する。

痛みが酷い場合に患部に塗ることで、患部を麻痺させて痛みを鎮める。

ただし、大量に人体に作用してしまうと血液から呼吸器や心臓に達し、機能不全を引き起こして生命の危険を伴う。

極小量から処方し、徐々に効果が現れるのを見極める必要がある。


 花弁と茎は蒸留して植物油とエキスを抽出する。

蒸留のためにある程度刻むが、刻んだ断面からはエキスが揮発してしまうので、蒸留器に入るくらいの大きさにとどめる。

刻んでいるうちに室内にドクニンジンの不快な臭気が充満しているはずだ。

この臭気をなんの対策もなしに吸い込み続けると、肺が機能不全に陥り、死に至る可能性もある。

ガラス製のマスクに何重にもガーゼを詰めたフィルターを通して、できる限り静かに呼吸をする。

目には鍛治に使用するゴツイ眼鏡ゴーグルを着け、目からの物質の侵入をほぼ完全に防いでくれている。

それでも30分置きに部屋から出て、できるだけ遠くの換気の良い部屋や廊下で 肺や鼻、喉、口内の空気を完全に入れ替える。

ついでにゴツイ眼鏡ゴーグルによるキツい締め付けからも開放される。

今回収集したドクニンジンの量は180kgほどだ。

その量から抽出できる植物油は100ml弱で、エキスについては2Lくらいにはなるだろう。

それでも抽出効率は普段の数倍だ。

というのも、普段は森の中や草原、川のほとりなど、外気に十分に晒されているところで焚き火の火で行っている。

蒸気も熱もロスが大きく品質も安定しない。

その代わり加減さえ身につければ一定以上の水準のものは作れる。

今回は室内なのでロスも少なく、全工程でだいたい5時間ほどで済む。

いつもよりも大幅に短縮されているし、品質も安定するはずだ。

加減にかかる手間も少ない。

室内で蒸留ができる恩恵を噛み締めて、残りの工程を終わらせる。


 すっかり日が落ちて数時間経っている。

暗い部屋の中、空腹に気づく。

時刻は21時過ぎ。

人払いのルーン文字の効果か、または注意書きがしっかりと効いてくれたので、蒸留が完了するまでこの部屋に訪れる人が誰もいなかった。

お陰で晩餐の席には出席できなかった。

いつも美味しいマルコーさんの料理を逃してしまったのは痛恨の極みだ。

お腹は空いたが、もう厨房の火も落としているだろう。

僕の都合に合わせて貰うのもあまり良い気はしないので、今日はそのまま寝てしまおう。

こういう時、1人で野外で蒸留をしていたなら、火種を借りて他の場所で火を起こし、何か焼いたり煮たりして現地調達の食糧を食べながら長い蒸留に耐えていた。

さすがに来客である自分が勝手にできるのは、自室とここくらいだ。

そういえば、期せずして1人にはなれたが、さすがに抽出中の薬液(しかも毒薬)の傍でそういうことをするにはいたらなかった。

作業に没頭していたのと空腹によって、昼間サイネリアさんとの事で抱いていた色欲はどこかへ行ってくれた。


 抽出した薬液をそれぞれ硝子瓶ガラスビンに入れた。

植物油は本当に少量であっても劇薬となりえる。

しっかりと希釈しないと危ない代物だ。

非常に巧みに使えば、これ一つで100人ほどを無力化できるだろう。

しかし、気密性の高い密閉容器でないと揮発してしまう。

保管畤にも風通しの悪いところに長期保管すると、その部屋を開けた瞬間に卒倒して、そのまま呼吸器が停止して死に至る可能性があるので取り扱いには慎重になる必要がある。


 2Lリットルほどはあるだろうもう1つの薬液は、植物油を精製する直前の液体だ。

植物油の成分が混ざっており、ゆっくりと抽出することで温度差と、油とそれ以外の密度の差によって分離してくる。

分離したものを集めて植物油とするが、残った植物エキスの方にも分離しきれなかった成分が残っている。

そのエキスにも植物油ほどでは無いがそこそこの薬効がある。

すなわち毒薬である。

取り扱いとしてもほぼ同じくなのだが、如何せん劣化が早い。

植物油が分離して揮発してしまうと薬効が著しく失われてしまう上に、揮発を防いでもエキス内で酸化還元が繰り返され、効果を持続させることはできない。

そういう性質なので、それを薬として処方することは難しい。

植物油であれば、揮発さえ防ぐことが出来れば薬(毒)としての効果は持続するので、危険を伴う蒸留工程を経てまでも精製するのだ。

薬としての効果が期待でき、長く効果を留められる植物油の副産物として同じように取り扱い注意の植物エキスができてしまう。


 ではなぜ、そんな危険なものをわざわざ作ったのか。

それは毒薬であるということも少しだけ関係している。

ただでさえ一人旅で、危険とは隣り合わせだ。

獰猛な鳥獣に襲われた時の備えがあって損はしない。

それに、一昨日のこともある。

突然人に襲われたりしても、いつも頼りになるドネットさんのような相棒がそばにいる訳ではない。

非力でかつ魔法にも制約が沢山ある。

身一つで切り抜けなければならないことの方が圧倒的に多いのだ。

何か携行できる強い武器があれば、安心材料にはなる。

もちろん扱い方を間違えれば、自分も相手の命も脅かすものなので、本当に使うべきタイミングを間違えてはならない代物ではある。


 武器として使うには、原液のままでは危険極まりない。

薄めて霧吹きか何かで散布するのが得策だと思う。

幸い霧吹きについてはいつも持ち歩いているものが複数個あるので、空いているものを1つこれ専用にすることが出来る。

あとは、霧吹きで吹きかけるにしても。

危ないので、自分や味方になるべく被害が出ないように、無色透明ではなく、効果に影響がないように着色して出せるのが望ましい。

幸いここは大きな街だ。

着色に使えるものが売っている可能性は高いので、今度ジュリーに画材屋にでも案内してもらおう。


 そういえば、化粧品店にも行く約束をしていたっけ。

この間アヌエスさんにフルメイクを施してもらった際に、アヌエスさんの化粧道具が少しだけ見えたけど、とんでもない量の道具の数だった。

薬師として僕自身も多くの道具を持ち歩いてはいるが、さすがにあの種類の豊富さと密度には劣る。

それでもまだ全ての道具が揃っている訳ではないはずなので、化粧道具の中から探せば何か植物油の着色に向いたものが手に入るかもしれない。

俄然化粧品店に行くのが楽しみになってきた。

こういう実験ができるのは、生存や商売に手一杯では無い時に限るので、今の環境にいるうちに形にしないとと思う。


 暗い廊下をロウソクを頼りに隣の部屋に向かう。

あれ、でも、僕の部屋って鍵がかかっていなかったっけ?

こんな時間に鍵を開けてもらうのは少し忍びないなぁ。

合鍵を作ってくれたりしないものだろうか。

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アルターステラ 飢餓で追放されし小さき旅人は世界を流浪する アルターステラ @altera-sterra

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