第2話 小さな旅人 森に立ち寄る

 空に薄明うすあかりが広がり始める前、小さな旅人が目を覚ました。

旅人の朝は早い。

目覚めてすぐに旅人は目を擦りながら、松明を用意して小川に向かった。

夜間に冷えきった川の流れで顔を洗う。

冷たさで交感神経が刺激されて血管が収縮し、血液の流れが早くなる。

全身に新しい血が通い、脳が活発になり、曇りのないスッキリとした覚醒に至る。

清流を汲み、小鍋で火にかけはじめる。

背負い鞄リュックからイネ科タケ亜目の長い葉が特徴の笹という種類の植物の葉で包んだ干し肉を取り出して、はし小刃物ナイフぎ、小鍋に落とし込む。

乾燥かんそうさせたキノコと野草やそうも適量をみ入れて煮込む。


「良いにおい♪」


 スタッカートの効いた小気味こきみの良い鼻歌はなうたを歌いながら、年季の入った木製の取り皿へ盛り付ける。

干し肉とキノコの煮込みと、少しの木の実を幸せそうに口に運ぶ。

小柄こがらな旅人は口も小さい。

ちょびちょびと口に運んでは味わい、運んでは味わう。


 食べ終えて小川で小鍋を洗い、歯をみがく。

取り出した荷物1式を背負い鞄リュックに詰めて直して、焚火たきびの火を清流で完全に消火させて、旅支度たびじたくを整える。

プッシュ式の噴射機構が備わった小瓶を取り出した。

植物から精製せいせいしたオイルを少量の水で薄めた香水が入っている。

それを首や手足など露出カ所ろしゅつかしょに吹きかける。

虫や獣対策だ。

ことあるごとに活用しているその植物は、なまのまま持ち歩いてもある程度の効果がある。

香袋かおりぶくろにする手もあるが、精製油せいせいオイルにすると長期保存ができ、かつ、

香り成分が濃縮のうしゅくされ効果が数倍になる。

薬の調合ちょうごうにも役立つため、最低でも小瓶こびん数本分すうほんぶん在庫ざいこ確保かくほするようにしている。

決して治安ちあんが良いとはいえないご時世じせいに一人旅だ。

油断ゆだんするとすぐに危機ききおちいる可能性がある。

相当に旅慣たびなれしていても、旅人は体格が小さく、筋力的にも大人より非力なので、用心ようじんおこたらぬことが旅を続けることができる秘訣ひけつだ。


 旅人の次なる目的地であるダーラム交易都市の外壁が見えている。

すぐ横には鬱蒼うっそうしげる森がある。

ダーラムへ立ち寄る前に、森で動植物どうしょくぶつの観測や薬草の採集さいしゅうをする予定だ。

手持ちの地図によると、あと数キロメートルほどで

森とダーラムを行きする太い道に行きあたる。

その道を森の方に進めば、ある程度は人が通るような道をたどって森の中程なかほどまで土地勘とちかんのない素人しろうとでも立ち入れるはずだ。


 これまでの旅路でも森には幾度いくどとなく立ち寄ったが、森の地形や気候によって動植物の植生しょくせい生態系せいたいけいがかなり異なっていた。

各地の森をめぐればめずらしい動植物に出会えるかもしれない。

運が良ければ新しい薬の材料にめぐり合えるかもしれないし、通常の薬草を採集できれば路銀ろぎんかせぐ商品にもなる。

ダーラムでもある程度のかせぎと物資ぶっしの補給が必要だ。


 太い道を曲がり、森の入口からさらに道沿いに森へと入っていく。

森ではどんな生態系が形成けいせいされているかわからない。

毒蛇どくじゃ毒性どくせい胞子ほうしを出す菌類きんるいの存在や、危険な昆虫、猛獣もうじゅうとの遭遇そうぐう

岩やぬかるみ、木の根、つる性植物などに足を取られてケガをしないようにするなど、森に入ると気をつけることは案外あんがい多い。

気を引きめて注意深く行動しないと一人旅ではそく命取いのちとりとなる。

道があっても森の中では完全な整備の行き届きは期待できない。

とにかく全方位ぜんほういに注意を向けつつ先へと進む。


 しばらく道沿いに進んできてわかったのだが、道中いくつか広めの休憩スペースや野営地やえいちを張った形跡けいせきがあった。

どうやらダーラムの人々は、この森で何かを採集か狩猟しゅりょうなどを日常的に行っているようだ。

森の中なのに道がかなり森の深くまで続いている。

道幅みちはばから推測すると、数名が横に並んで森へ立ち入っても問題ない幅がある。

数十人の規模で往来おうらいがあることが容易よういに想像できる。

おそらく、定期的に大規模に行っているのだろう。

大きく太い道なので、このまま道沿いに進んでも動物たちはこのような活気かっきのある道の近くに

寄り付かないだろうし、植物の植生も人の介入が顕著けんちょで生態系を観測するには向いていない。


 一旦、来た道を少し逆戻さかもどりして、野営地跡やえいちあとと思われる開けた場所に戻ってきた。

思い切って野営地跡のわきを流れる小川へ降りてみることにした。

森の中の探索は、地形に慣れていないと方向感覚をつかむことが難しいので、目印として川沿いに進むことでまようことがなく、人工の道に頼らずに探索ができる。

自然の道しるべだけをたよりに、まずは人の手が入っていないところを歩いて、森の地形や植生しょくせいなどを把握したい。


 小川の上流へ向かって二時間強ほど歩いた。

この辺の川の中には小魚やカエル、イモリなどが所々にひそんでいてる。

川沿いに来て良かった。

この辺りで植生を調べてみようと思う。

少しだけ見通しの良い川のほとりが見つかったため観測に移る。


 まずは頭上を見上げる。

樹木じゅもくは良く育っており、どっしりとした根元とみき樹幹じゅかんも大きくびた太い枝としげ光沢こうたくのある葉。

この地域の気候帯きこうたいから広葉こうよう常緑樹じょうりょくじゅ主要しゅようだろう。

中には紅葉樹や落葉らくよう針葉樹しんようじゅも混ざっている。

今は新緑の季節。

落葉樹の若々しい黄緑色の葉っぱが生存競争の激しい森で懸命けんめい枝葉えだはを伸ばしていることから、地中の養分ようぶんが十分なのだろう。

大木たいぼくの周りに寄生植物きせいしょくぶつが巻き付いているものもある。

日当たりの悪い北面にこけや菌類が群生ぐんせいしているものもある。

樹木だけでもこれだけ植生がゆたかなのはこの森が人の手によらずに生きている証拠しょうこだ。


 目線を少し下げると、低木や中木についてはあまり元気がない様子。

枝や幹が細く、根元から傾いていたり、土の隆起りゅうきがほとんどない。

それもそのはず、見上げると光が射し込める隙間が

大木によってさえぎられているので、生存競争に勝てないのは明白めいはくだ。


 さらに視線を下げて地面付近の植生も観察する。

樹木から養分を横取りする寄生植物や苔類が優勢ゆうせいで地をうようにおおっている。

草や花などの植物はこの寄生植物や苔から身を守るすべを持っているか、生存競争に負けない強靭きょうじんな種が占めているようだ。

紫色の小さな花弁かべんがたくさんついた花がわずかに射し込む日光を受けてところどころに群生している。

その花の香りが五メートルほど離れているにも関わらず、強く鼻をかすめていく。

薬草の一種で生命力が非常に強いことで知られている。

良い薬品の原料になるし、フレグランスとしても人気が高い。


 さらに見渡すと、暗がりで僅かに光る植物もあるようだ。

光る種類の植物は珍しい。

その植物が地中からミネラルを取り込む際に発光する元となる金属をふんだんに取り入れられる場所に咲いているのか。

または、その植物が取り込んだミネラルを発光素子を含む物質として合成ができる。

あるいは、特殊な土壌地質、空気質、魔素の源泉に接しているか、地脈などの条件に合致しているか、旅人の知らない未知の環境下に存在しているかである。

いずれにしても、その仕組みには多大な興味がある。

しかしながら、こうした珍しい植物は、扱いが非常に難しく、摘み取った瞬間に変質してしまったり、ものによっては息をふきかけただけで使い物にならなくなってしまうほど繊細であったりする。

収穫するにも、ある程度の数が確保できてなおかつ、様々な方法で採集を試みて最適な収穫方法を模索するにはそれなりの時間と物質が必要だ。

先程の薬草と併せて、ぜひとも採集はしておきたいところだが、生態系を崩さないように、最適な収穫方法を調べてむには、まだ手持ちの手持ちの情報では心もとない。

まずは、それらの植物の植生状況をもう少し広範こうはん観測かんそくで把握しておく必要がある。

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