無垢なる咎人・『ザヌ』

◇ 少女は幻聴を神託だと信じていた。

 人間にそれぞれ性格や技能が存在するように、悪魔にも“質”というものがあるのだと、ファニーシュは知った。


***


 三度目の契約。ファニーシュはパルフェの神様との結婚を取りやめさせようとした。


「違う! どうしてわたくしが言った通りに力を使えないの!」

「そうは言ってもね~? これが僕の能力の限界だから~」


 しかし契約した悪魔が下級で大した力が無く、失敗。ケラケラ笑って、名も無き悪魔は去っていた。


***


 四度目の契約。前回は一応エオルが自死を選ばなかったので、パルフェと会わせないよう奮闘しようと決めた。


「……ってことは? 君は相手を傷つけることを望んだとも言えるという事だね?」

「ああ言えば、こう言うのね! 屁理屈よ、それは!」


 悪魔の力でファニーシュはパルフェを階段の上から突き飛ばしてしまい(幸い、パルフェは軽い怪我で済んだ)、やり直して一分で咎の証が浮かび、失敗。なんとでも言えよ、とスカした態度で悪魔は消えた。


***


 五度目の契約。もういっそのこと、ファニーシュとエオルの結婚を早めてしまうというのはどうだろう? 迷走しているのを感じながら、ファニーシュは悪魔に豪華な式を願った。


「ちょっと! わたくしそんなこと願ってないわよ!」

「あ? いいじゃん、こっちのほうが派手だろ?」


 結婚式というより豪勢な葬式会場に案内されたディアンヌ家から、婚約を考え直したいと言われてしまった。あと、知らない間にパルフェとエオルは顔を合わせて恋に落ちていたので、二人の表情から察したファニーシュはまた襲い掛かり、失敗。にししっと子どもっぽく笑って、悪魔は闇に溶けて消えた。


***


 ……結局、三~五度目の契約とやり直しでは何も変化はなく、エオルとパルフェは何をどうやっても出会うし一目で恋に落ちるし、その度にファニーシュは殺意に満ちて咎の証が浮かび処刑への道まっしぐらで、もはや第二の自室と化した牢獄の床に寝転がった。


「エオル様はベリーの力でわたくしに惚れこんでさえなければ、自死しないというのは分かったけれど……わたくしに浮かぶ咎の証だけは毎回出て来て困るわ!」


 不貞寝したい気持ちをぐっとこらえ、ファニーシュはもう一度やる気を入れ直して、部屋の隅に転がったスプーンで床に魔法陣を描く。


「次こそ、完璧に、誰も犠牲にならず、やり直すわよ!」


 時間が巻き戻るから無かったことになっているものの、悪魔と契約が履行されるたびに家族が犠牲になっているので、あまり何度もやり直しはしたくない。そんな本音を溢しつつ、完成した魔法陣の中に入り、ファニーシュは「さて」と周囲を見渡した。


 元々薄暗い牢の中では分かりにくいが、色彩が薄れ、空気が重くなっていく。魔法陣が光り、悪魔を呼び出す環境が整う。ざわめく何者かの声に、ファニーシュは呼びかける。


「ねえ! 名のある悪魔はいないの!? わたくしの願いは、わたくしに咎の証が浮かばず、パルフェに楽しい思い出だけを持って神様の下に向かってもらうことなの!」


 ざわめきに嘲笑が混じる。馬鹿にされているのを感じてムッとし、文句を言おうと口を開いたところで、カツン、と硬い足音が響き周囲の声が静まり返った。


「──退け」


 女性の声だった。ざわめきと共に確かにあった悪魔たちの存在感が消え、足音が近づいてくる。思わず辺りを見渡すと、前方から、大きな翼が生えた牝牛が姿を現した。


「挫けぬそちの想い、しかと受け取った。わらわが特別に契約してしんぜよう」

「貴方、お名前は?」


 ここ数度、名も無き悪魔たちによって振り回されてしまったので改めて聞くと、牝牛は気を悪くした様子もなくしなりと答える。


「わらわの名は、ザヌ。そちが先程まで相手した、名も無き悪魔どもの総裁である」

「あら、偉い人が来てくださったのね! ありがとう!」


 ベリーの話では悪魔たちはそれぞれ個々人で好き勝手に生きているようだったが、組織を形成している者もいるらしい。落ち着いた雰囲気のザヌを見て、彼女ならこれまでの悪魔たちよりも話が出来そうな気がして来た。


 ちら、とザヌが天井を見上げた。


「そろそろか。戻ってから、契約の話をしよう」

「分かった──」


 しっかりと返事をし終わる前に、視界がぐにゃりと歪んだ。時間が巻き戻る感覚にも、もう慣れたものである。


***


 目を覚ます。清潔に保たれた自室を確認し、ファニーシュは体を起こした。布団から出ると、ひやりとした空気に身震いし、裸足のまま窓辺に近づきカーテンを開けた。雪が積もった中庭が見える。


「あら! 冬だわ!」


 随分戻ったな、と感想を思い浮かべていると、物陰からゆっくりとした動きで翼が生えた牝牛が姿を現す。


「……戻ったようだな。契約の前に、まずは今日の日付を調べよ」

「ちょっと待って頂戴ね!」


 机の引き出しを開け日記帳を取り出すと、ザヌは意外そうに「ほお」と呟いた。


「日記か。几帳面だな」

「八歳の誕生日に大叔父様から頂いたのよ! 回復祝いなんですって!」


 毎日寝る前につけるようにしている日記の頁をめくり、一番新しい日付を確認する。冬の月、二日だ。


「これが昨日の日付だから……今日は冬の月の三日ね!」

「その日、何をしたか覚えているか」

「ええ勿論! この日はリーヴィの家庭教師が風邪を引いたから、いつもとは違う人が来ていたわ! その人が声も体も大きいものだから、パルフェが少し怖がって、ヴァイオリンのお稽古でよく失敗していたの! それから、そう! 供え花の蕾が一つ開いたわね!」

「……よろしい」


 一つ頷き、ザヌはファニーシュの前に歩み出ると、「一つ言っておかねばならぬことがある」と平坦な調子で続けた。


「わらわとの契約で、そちの願いは叶えられぬ」

「どうして!」

「そちの願いは、自身に咎の証が浮かばぬ事、そして妹のパルフェに問題なく神の下へ向かわせる事。違いないな?」

「そうよ!」

「嘘偽りなく伝えるが、今のそちと、そしてパルフェでは、その願いは叶えられぬ。理由は簡単だ。そちが、問題を理解していないからだ。そして、理解したとしても、わらわとの契約の間にその問題を片付けるには時間が足りぬ」

「どういうこと……?」


 再度問いかける。ザヌは巨大な翼をゆっくり折りたたみ、その場に器用に足を畳んで座った。


「そちは何故、パルフェが神の下へ向かい、式を挙げねばならぬか知っているか」

「……? 大天使様に、気に入られたからでしょう? 毎日お祈りをして、その心がきれいだから」

「ああそうだ。では何故、彼女が祈っていると思う? 

「え?」


 何を言っているのだろう? パルフェは昔から、物心がついた頃からずっと、毎朝毎晩祈り続けて来た、信心深い人間だ。この家の誰よりも、神を信じている。


 ファニーシュの戸惑いを見透かしながら、ザヌは問う。


「そちは何故、毎月教会に呼ばれるのか知っているか?」

「お友達がいるからよ! わたくしも、以前まで教会暮らしだったから!」

「何故?」

「え……」

「妹も義弟も、教会で暮らしてはおらぬな。何故、そちだけが教会で暮らしていた?」

「え、と……お、お父様やお母様が決めたからじゃ、ないの?」


 理由は知らないけれど、家で多分何かがあったのだ。教会は近くに大叔父も住んでいるし、安心して預けられたのだろう。……多分、そうだ。


 多分。


 自信が無くなってきたファニーシュに、ザヌは問いかける。いや、問い続けた。


「何故、そちは貴族令嬢としての教育がなされていない? 何故、そのように未熟なそちとの婚約を公爵家は了承した? 何故、そちよりも先にパルフェがデビュタントを済ませた? 何故、そちばかり咎の証が浮かぶ? 何故──」

「そっ──そんなにたくさん質問されても答えられないわ!」


 まだまだ続きそうだったザヌの言葉を遮り、ファニーシュは「わたくしはまだ子どもなんだから、知らないことだってあるのよ!」と抗議する。だが、ザヌは冷静なまま口を開く。


「探れ。気づけ。理解せよ。そして、知れ。でなければ、そちはいつまでも己を救えぬ」

「そうなの?」

「そうとも」

「じゃあ……頑張るわ!」


 ぎゅっと拳を作って意気込むと、ザヌは「よろしい」と頷いた。


「その為に、“今回”は捨てよ。そちの此度の願いは己を救い、妹を救うことではない。“知る事”だ。契約が履行された時、そちの近親者から穢れた魂を受け取るが、どうせまた巻き戻ればそれも無かったこととなる。罪悪感はあるだろうが、耐えよ」

「それだと貴方はタダ働きじゃない! 駄目よ、対価は受け取らなくちゃ!」

「……気にするでない。これまでそちが契約した悪魔も、こうなると──何も変わらず、巻き戻ると──知っていてそちと契約をしてきた」


 なんと。思わず「そうなの!?」と反応を返すと、ザヌはやれやれと呆れた様子で腕に顎を置いてくつろぐ姿勢になった。


「じゃあ、じゃあ! ラァムの大怪我も無かったことになっているのかしら?」

「否。巻き戻っているのは下界のみ。神や悪魔の世界は進んでおる。あの若造はそれを見誤ったのだ。痛い授業料だと学んだ事だろう」


 自業自得、気にするな。とザヌは付け足し、「すべきことは理解したか?」と少し顔をあげて尋ねてきたので、ファニーシュは大きく頷いた。


「分からない事を知ればいいのね! それでわたくしやパルフェの為になるなら、喜んでお勉強するわ!」

「よろしい。では、これでわらわとそちは契約を結んだ事とする」

「ありがとう! ザヌはこれまでのどの悪魔よりも親切だわ!」


 明るい気分でファニーシュはちらりと時間を確認すると、椅子に引っかけたまま放置していたブランケットを羽織り、適当な靴を履いた。


「起こされるまで少し時間があるわ! 早速、何か調べるわよ!」

「そうせよ」


 ザヌの相槌に屈託のない笑みを返し、ファニーシュは自室をこっそりと出た。


***


 意外と人気のない屋敷の中を歩きながら、庭園が見える窓の方に顔を向けると、パルフェが数人の使用人に見守られる形で供え花に祈りを捧げているのが見えた。白い息を吐き、指先や鼻頭を真っ赤にして尚、祈りを捧げる彼女は健気さの化身のようで、使用人だけでなくファニーシュも見入ってしまい足が止めるほどだった。


「……彼女の護衛で、屋敷内は静かなようだな」

「そうみたいね……」

「あれほど懸命に祈るとは……──さぞ、後ろめたいことがあるのだろうな」


 弾かれたようにザヌを振り返る。牛の姿をしている彼女の表情は読めないが、貶されたということは分かるので、ファニーシュはムッとして両手を腰に当てて、声を潜めてザヌに詰め寄る。


「パルフェはそんな子じゃないわ」

「人とはそういうものだ。敬虔な者は金が貯められぬ程豪遊し、正しさを説く者は間違いを好む。他者を貶す者はそれが愛だと信じ、夢見る者は現実を嫌う。規則を同じとせねば、人は色も形も関係なく皆野蛮よ」

「……難しくて分かんない」


 勉強をして多くを知れば、ザヌの言っている意味が分かるだろうか。そう問うと、ザヌは、子どもは知らぬままである方が望まれる、とよく分からない返事をした。


 書庫を覗く。人はいない。そうっと入り込み、以前パルフェに教えてもらった悪魔の本を取り出した。


「まずは、貴方の事を知りたいわね」


 ザヌの項目を探し出し、開く。そこに書かれているザヌは牛ではなく山羊で、羽は鳥の翼ではなく虫の羽のようだった。


「ベリーの時もそうだけど、絵が全然違うのよねぇ……」


 ベリーの絵は、赤色という部分は合っていたが、熊のような大男で、やたらと金銀宝石で着飾っており、馬がいなかった。ラァムは首のない鶏だったうえに、あの大きな目は尻の方についていて、なんだかよく分からない状態になっていた。彼らに比べれば、ザヌはまだ雰囲気が近い。


「……正しく描く必要がないからな」

「ふーん」


 本棚の間に隠れるように座り込み、一行ずつ指でなぞりながら読んでいく。ザヌの記録は、少し難しかった。


 というのも、この本は基本的に契約者だという人間に長期取材し、それを文字に起こしたものなのだが、ザヌの契約者は小難しい言葉や言い回しをよく使う上に、誰も彼も最終的に取材者には理解できない言語になり、最後は失踪するのだ。


「この人が最後どうなったのか、ザヌは知っているの?」

「……知らぬ、と答えなければならない、とだけ言っておこう。世界の仕組みを知って、口にしてしまえば、管理者に目をつけられる……それが分からぬから、愚者を機知に富ませても、愚者のままなのだ」

「? よく分からないけれど、ザヌは人を賢くできるのね!」


 良い先生になりそうだ。そんな感想を零すファニーシュの膝に頭を乗せて、ザヌは暇そうに文字を読んでいた。頭が良いみたいなので、人間がまとめた悪魔の記録書なんて彼女にかかれば大したものではないのだろう。


 ちら、と遠くの壁にかけられた時計を見て、まだ時間がありそうだと確認し、読み終わった頁を更に捲り、丁寧に一文字ずつ追うように指でなぞり読む。


【──記録・エジルダ=リャーナルド】


「あら」


 以前は読み飛ばしていた取材者の名前に目を留める。うちと同じ名前だ。頁と飛ばし、他の悪魔の取材記録にも目を落とす。


【記録・サイル=ジルド】


 こっちは大叔父の家名──ようするに母の旧姓だ。そういえばリャーナルド家とは遠縁だと聞いたことがある。他は……。


【記録・リック=ハナ・リャーナルド】

【記録・シオン=エスト】


 エスト家は従妹の家名だ。


【記録・サイオン=シティアック】


 シティアック家は遠縁だが親戚にいる。


【記録・アイーディア=リャーナルド】【記録・エナ=リャーナルド】【記録・シーニャ=リャーナルド】【記録・オリビア=リャーナルド】……。


「リャーナルド家と、その親戚が多いわね……? どういうこと?」


 ザヌに視線をやると、彼女は質問に答えず、


「そちは、父親がどのような仕事をしているか知っているか」


 と、逆に問いかけてきた。


「え、と……あちこちに出かけて、色んな人とお話されているってことしか知らないわ」

「そうか。では質問を変えよう。リャーナルド家が何故、“清き一族”と呼ばれているか、その所以はどうだ?」

「神様と何か約束をして、それを守っているからでしょう? 約束の内容までは知らないけれど……」


 信心深く、代々神への祈りを忘れず続けて来た。だからリャーナルド家では供え花が他の家のものと比べものにならないほどの種類と量がある。と、聞いて育ったのだがどうだろう?


 正解を求めてザヌに視線を送ると、彼女は「その約束が、それだ」と本を鼻先で押した。


「悪魔の事を調べていたの?」

「……最初は、ただの知的好奇心だったのだろう。悪魔とは何者か、どのような力があり、どのようにして契約するのか。そして契約した者はどのような末路を辿るのか」

「そうね! 良く調べられていると思うわ!」


 図解は間違っているが、後は悪魔の力にも負けずよく調べてまとめたものだと思う。なんて、複数回悪魔と契約するという本来ならありえない経験をしたファニーシュならではの感想を思い浮かべていると、ザヌは見透かしたように鼻で笑った。


「最初は、な。知りすぎたのだ。悪魔とは何者か、どのようにして生まれるのか。知ってしまったから、神に首輪で縛り付けられた」


 きょとんとしてザヌの顔をまじまじと見つめていると、彼女は顔をあげて視線を合わせた。


「神々は信仰無くしては生きていけぬ、そういう生き物だ──あるいは、神を名乗っているだけで、あれは本当の意味で神ではないのやもしれぬ──。故に、神々は知りすぎたリャーナルド家を脅した。『一度でも信仰を忘れ、一族に穢れた魂が現れたのなら、神の怒りを見せてやる』とな」


 それは、一体どのような。前のめりになったファニーシュの耳に、


「──お嬢様ーっ!? ファニーシュお嬢様っ!? どちらですか!?」

「あっ」


 毎朝起こしてくれるメイドの声が届き、慌てて本を引き抜いた棚に仕舞う。それから、ザヌを振り返ると、彼女は巨大な翼を畳んだままゆっくりと体を起こし、どこか遠くを見つめていた。

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