◇ 内側から石になった男は落馬して死んだ。

 パルフェの仮病を知ってから、彼女が望んだ通りにエオルに会わせないまま数か月が経った。パルフェは明日、十五歳になる。


 いつもなら、誕生パーティの飾りつけやらプレゼントや当日の料理の話をしているのに、当日は主役が神と式を挙げる為パーティは行われる予定もなく、その日のリャーナルド家は静かだった。


 たった一部屋──ファニーシュの自室以外は、の話だが。


「駄目よあんなの! もうもう! ぜんっぜん駄目だわ!」


 ファニーシュは怒りながら、クローゼットをひっくり返す勢いで自身のドレスや装飾品を漁っていた。


 今日の昼、パルフェは出立するそうなのだが、花嫁衣裳に身を包んだパルフェを見て、ファニーシュは怒っていた。質素すぎたのだ。


「何よ、あれ! 何の刺繍も入ってない、真っ白なドレス! フリルもレースも無い! 庶民のワンピースの方がよっぽど豪華じゃない!」

「し、質素倹約を、神は好まれますから……」

「それに! アレ! 何!? その辺で拾ったような枝を髪に差して! あんなの変よ! パルフェの綺麗な髪に全然似合ってないわ! ──ああもう、喉が渇いた! 飲み物持ってきて!」


 宥めるのにも疲れたらしいメイドは、ファニーシュの要望を聞く事で退室した。


「供え花の剪定された枝を、その辺で拾って来た枝呼ばわりとは! 愚かな令嬢ここに極まれり!」


 残ったベリーの笑い声がより響く事になったが、ファニーシュも負けじと声を張り上げた。


「だって!! 枝は枝よ! 駄目じゃない! パルフェは銀細工がすっごく似合うんだから! もー! どうしてわたくしは金細工しか持ってないのかしら!」


 パルフェに似合いそうなものはその都度あげてしまっていたので、残ったのはファニーシュ好みの派手でくっきりはっきりとした色のドレスや装飾品ばかりだ。せめて餞別だけでもと思っていたのに、これでは渡せるものが無いではないか。こんなことになるなら、前もって父にパルフェに似合いそうな物を買ってもらっておけばよかった。


 ふくれっ面になりながらも、あちこちの戸棚を開けては散らかしながら探し物をするファニーシュに、ベリーは乗馬したまま近づき、「怒るな、怒るな! 憎き女狐が自ら去るのだぞ! 喜べ!」と大笑いをした。


「今回、パルフェはエオル様を盗らなかったわ! 可愛い妹に餞別の一つや二つ! いいえ! 十個でも二十個でも渡したいのに贈れそうな物が無いのよ! こんなの怒らないでいられないわ!」

「ガハハ! じきに分かる! 見える見える! お前が罰に溺れる未来が!」

「何よ!」


 怒りながら別の戸棚を開け、奥へと手を突っ込んだ時だった。手に当たった物を引っ張り出し、見覚えのない箱に首をかしげる。


「何かしら、この箱?」


 塗装もされていない質素な木箱を開けてみると、金細工の髪飾りが入っていた。それも、ファニーシュが普段使っているような大振りで派手なものではなく、細やかで、淡い白と緑の宝石で彩られている。


 ただ、錆びていた。


 この部屋の主であるファニーシュが覚えていないということは、手入れもせずずっと引き出しにしまわれていたということだから、当然と言えば当然かもしれない。


「ん~……ベリー、貴方の力って」

「我の力は人間の尊厳を飾り立てるもの! それからあらゆる金属を黄金に変えること!」

「そうよね! ねえ! この髪飾りの金属の部分だけ、黄金に変えられるかしら!」


 形はそのままよ! と追加注文をして両手で髪飾りを差し出す。


「無論!」


 ベリーは楽しそうに頷くと、ファニーシュと、髪飾りの間に手を差し込み、二回振った。彼が手を抜き取ると、髪飾りは形をそのままに錆が消え、室内の灯りを眩しく反射させる黄金へと変貌していた。


「さすがだわ! これをパルフェにあげましょう!」

「ふははっ! 悪魔の力で作られし物を、神に嫁ぐ娘への餞別とするとはなぁ! 真実を知れば、大抵の人間は嫌がらせと思うだろう!」

「大丈夫よ! こんなに綺麗なんだから、誰が作ったとか関係ないわ!」


 さっと立ち上がり、ファニーシュは髪飾りを片手にパルフェの部屋に駆け込んだ。丁度、家族が一人ずつ彼女に別れの言葉をかけているところで、扉を開けた音に気づいたリーヴィが顔をあげてこちらを見た。涙をこらえているものの、目尻は赤く酷い顔をしていた。


「何してたんですか、急に部屋を飛び出して……」

「パルフェにあげようと思って、探してきたの!」


 こんな時まで貴方は……。と小言を垂れようとしたリーヴィの横を通り過ぎ、父からの言葉を貰ったパルフェの前に立つ。


「……お姉様」

「これあげるわ!」


 剥き出しの髪飾りを見せたからか、パルフェの表情が一瞬引きつった。質素な木箱でも箱に入れて渡した方が良かったな、と反省しつつ、パルフェのプラチナブロンドに髪飾りを差した。


「お、お姉、様、それは」

「うんっ、やっぱりパルフェはこのぐらい綺麗な物をつけなくちゃ!」

「これ、どうして」


 パクパクと口を動かすばかりで言葉にならないパルフェを気にせず、ファニーシュは満面の笑みを浮かべて彼女を正面から抱きしめた。


「おさがりで、ごめんなさいね。貴方の花嫁衣裳がこんなに質素だと知っていたら、贈り物を頼んでいたのだけど」


 体を離し、もう一度髪飾りをつけたパルフェを見る。質素な装いに金細工の髪飾りはやや目立っていたが、彼女の美しさを十二分に引き立てることに成功している。


「綺麗よ、パルフェ! わたくしの結婚式の時にも、それをつけて来てくれると嬉しいわ!」


 その時が来たら、その髪飾りが似合うようなドレスを選んであげよう。なんて考えながら、ファニーシュはパルフェの両手をとってぎゅっと握った。彼女は震えていた。


「パルフェ?」

「う、受け取れません……これ、は……お姉様の、だ……大事な、物、です……」


 今にも泣き出してしまいそうなほどに青ざめたパルフェを見て、ファニーシュは首を振った。


「いいのよ、あげるわ! わたくしだと思って、大切にして頂戴!」


 気負いやすいパルフェのことだから、神様の下に行ったら滅多に帰って来られないから、高価な物を受け取るのを遠慮しているのだろう。もしかしたら、神の物となったパルフェは二度と人間と関わり合いにはなれないのかもしれない。それなら寧ろ、受け取ってほしい。こうして話せるのも、今日で最後かもしれないではないか。


 そう懸命に伝えると、パルフェはようやく頷いてくれた。


「……分かり、ました。ありがとうございます、お姉様」

「よかった!」


 まだ少し震えが治まらない手で握り返し、パルフェはにこりと微笑んだ。


 それから出立の時間いっぱいまで、ファニーシュたちはパルフェと会話を楽しんだ。時間になってからも、家を出るまでにパルフェは使用人一人一人に一言貰いながら、惜しむようにゆっくりと玄関まで歩き、この家のものではない馬車に乗った。


「式を見届けられないのは残念だわ!」


 本気でそう思って言うと、リーヴィに小突かれてしまったが、パルフェはどこか安心したように顔を綻ばせた。彼女は祈るように胸の前で指を折り重ねる。


「お父様、お母様。お姉様。リーヴィ。皆のことを遠くから、想い続けます。どうか、お元気で」


 パルフェを乗せた馬車が動き出す。手を振ると、パルフェも手を解いて応えてくれた。姿が見えなくなるまでは見送ろうと思い、ファニーシュは精いっぱい手を伸ばして振り続ける。パルフェの姿が小さくなり始め──振り返していた彼女の手が、


 ……嗚呼。


 風が吹く。空気が揺れる。瞬きの間の緊張。を、ファニーシュは知っていた。一度経験すれば、忘れるはずがない。


 振り返る。リャーナルド家の屋敷の奥、小高い丘に人がいる。侍従や使用人に囲まれて馬に乗った少年は、黄赤色の髪を風で揺らし、ぼうっと馬車を眺めていた。


「……エオル様」


 無意識の内に声が漏れた。


 二人は今回も、一目で恋に落ちた。こんな遠目でも、交わす言葉が無くても、分かる。二人は互いに好意を持ち、そしてその恋を隠し、何事も無かったように振舞う。叶うことのない悲恋だ。


 神様の下へ嫁ぐ美しい少女と、少女の姉の婚約者の許されない恋。今この瞬間に始まって、たった今終わりを悟った失恋の物語。


「エオル様には来ないように、釘を刺しておくべきだったのかもしれないわ……でもパルフェ、貴方……」


 神の下へ行くのに、他の男に現を抜かすなんて。人のものを盗るなんて。それを隠そうだなんて。嘘を吐くなんて。


 なんて、罪を。


 いつの間にか握り拳が出来ていた。刃物があったら、パルフェがまだ手の届く範囲にいたのなら、ファニーシュはまた襲い掛かっていただろう。


「……? お姉様──」


 ぶつぶつと独り言を洩らすファニーシュを、リーヴィが怪訝そうに顔を覗き込み──大きく目を見開いて仰け反った。


「な、」


 リーヴィの驚きように気づき、両親もこちらを振り返り、固まった。


「どうして、咎の証が……!?」


 父の声で我に返り、ファニーシュは額を触った。それで何が分かるわけでもなかったが、周囲の反応で分かる。また、咎の証がファニーシュの額に浮かんだのだ。


***


「どうしてかしら! 今回は正真正銘、誰も殺そうとしていないわ!」


 牢獄でファニーシュは声を上げた。寝転がり、床に菜種色の肩口で切りそろえた髪を広げ、憤慨する。


 あの後、ファニーシュはほとんど自主的に地下牢に入り、やってきた衛兵に連れられて裁判を待つ身となっていた。前回と違い、処刑の順番が空いているとかでファニーシュの処刑はすぐにでも行われるそうだ。


 檻の隙間を馬で行ったり来たりをして遊んでいたベリーは、豪快に笑う。


「言っただろう! お前は罰に溺れる日が来ると! 神はそれを見過ごさぬ!」

「どうしてわたくしだけ厳しいのよ! 皆、ちょっとぐらいムカっとしたり、目の前の人にカッとなることぐらいあると思うんだけど!」


 食事を抜いて二日目なんてまだ慣れたもので、腕を振り回して抗議すると、ベリーは線でぐちゃぐちゃになった顔でにたりと唇を弧の形にした。


「大天使に気に入られた女に殺意を向けただけでも、十分な理由であろうなぁ!」

「よく分からないわ!」


 ふくれっ面になって、ファニーシュはもう深く考えることはやめて寝返りを打った。罰したい相手はもうすぐ、もしかすればもう、神様の下へ行ってしまった。行き場のない怒りを抱え、ため息を吐いていると、バタバタと忙しない足音が聞こえて来てファニーシュは扉の方に視線をやった。


「何かしら?」


 誰に尋ねたわけでもなかったが、ベリーがくつくつと笑いをかみ殺して肩を揺らした。何か知っているのかと彼に視線を折ろうとしたところで、暗い廊下の奥から駆けこんで来たその人が檻を掴んだ。


「きゃっ」

「……っファニーシュ」

「お、お父様っ」


 息を切らしてやって来たのは父だった。牢獄にやって来るのは前回前々回と会わせても初めてで(おそらく娘に咎の証が浮かんだ事で、ディアンヌ家との婚約話の解消やら、領民への説明だとかで忙しかったのだろう)、ファニーシュは目をぱちくりとさせる。


「どうされたの? もしかして、わたくしの処刑って今日──」

「エオル様が……」

「……エオル様が、どうしたの?」


 思いもしなかった人物の名前が出て来たので聞き返す。父は数回口をぱくぱくとさせ、落ち着かせようと深呼吸をし、檻を掴んだ手では体を支えきれずずるずると膝から崩れ落ち、俯いて、言った。


「亡くなられた、と……」

「え?」

「昨晩、自室で……首を吊って……」

「……え、どうして?」


 何を言っているのか分からず、否、理解を拒み、ファニーシュは狼狽えた。


 エオルが、自死? 何故? 前回も、前々回も、パルフェがいなくなると彼は知っていた、ファニーシュに咎の証が浮かんでも彼は生きていたではないか。どうして。


 その場で動けないファニーシュ達を見下ろして、陰気さすらも消し飛ばしてしまいそうな勢いでベリーが豪快な笑い声を上げた。騎乗したまま、腹を抱え、これ以上ないとばかりに嗤っている。


「がはははっ! くふっ、あーっはははははは! そうだろう、そうだろうなぁ! 一目で愛した女はその日に失い! 心打たれた尊き人には咎の証が浮かび、民衆の前で首を刎ねられるのだ! 十やそこらの子どもに耐えられようか!」

「!」


 そうだ。しまった!


 エオルと親睦を深めたあの茶会! 今回はベリーの力により、エオルはファニーシュに対して以前よりも好意を持たせていた!


 ファニーシュは思わずベリーをキッと睨みつけた。


「ん~? おいおい、まるで我が悪いかのように見るな! 我は嘘などついていないぞ! 、愚かな令嬢よ!」

「~っ!!」


 握り拳を振り回し、あっさりと避けられて、ファニーシュは悔しくて地面を殴りつけた。こんなはずではなかったのに。ただ、エオルに好かれたかっただけなのに、パルフェよりもこちらを見て欲しかっただけなのに。だってそうすれば、二人は恋に落ちなくて、それならパルフェを殺したいと思わないはずで──でも結局二人は惹かれ合って──。


「っふ、はははははは!」


 ベリーの笑い声が響く。


「契約は契約! 今更白紙になど戻せぬぞ! お前の魂が穢れたその時、我は必ずお前の魂をもらい受けよう! しばしさらばだ!!」


 声を牢屋に反響させて、ベリーはその姿を消した。


「っの……嗚呼、どうして! エオル様……わたくしのせいで……っ!!」


やるせなくて、ファニーシュは涙が滲み始めた目を強く瞑った。


 ベリーの力で着飾ったりしなければ、エオルはファニーシュとの婚約を取り消した後に、他の誰かと幸せになる道があったのに。全て奪ってしまった。


「ファニーシュ……もうすぐ亡くなるお前に、こんなことを言うのは酷だが……」


 父がぽつり、ぽつりと続けた。


「お前とエオル様の婚約は、まだ正式な取り消しに至っていない……咎の証が浮かんだ者と繋がりを持ったまま亡くなったエオル様は、神に救われることなく、闇の中とさ迷う存在となっている……せめて、見つけて、共にいてさしあげなさい……」


 こんなことになると分かっていれば、エオルにパルフェの出立日をずらして教えるぐらいしたのに。檻の隙間から差し込まれた手に撫でられながら、ファニーシュは反省し、顔を上げた。


「お父様。ペンか、石のような硬い物は持っているかしら」

「……今は、これぐらしいか」


 突然のファニーシュの問いかけに戸惑いながら、父は返答しながら胸ポケットから小さな鍵を取り出した。


「貸して頂戴。わたくしが亡くなった後、返すわ」

「……。……まあ、もういいか……」


 差し出した両掌に鍵を乗せて、父は項垂れていたが、看守に支えられて、引きずられるようにして牢から遠ざけられて行く。


「お父様、さようなら! わたくし、頑張るわ!」

「ああ……神よ……」


 すっかり落ち込んだ父を見送り、ファニーシュは受け取った鍵を手のひらの上で転がした。頭の部分に林檎の絵が彫られている、棚か引き出しの鍵のようだ。硬さを確かめ、床に当てた。カツリ、と硬い音が小さく響く。


 床を削り、魔法陣を書く。今回は書物で勉強したので、いくらか不格好ながらもしっかりとした魔法陣を描くことが出来た。


 視界から色彩が消え失せ、魔法陣が光る。暇な悪魔たちは今回もファニーシュを見ていたらしい。


「……やり直すわよ! もう一度!」


 ファニーシュの呼びかけに、しばらくざわめきが響いていた。

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