17

 ※ 視点が変わります。


=====


 ヘルマンニの能力『遠見』により、敵の集団が迫ってきていることは事前にわかっていた。

 その集団には統率者がおらず、何を目的としているのかがわかりづらい。

 おそらくこの集団は反政府軍の離反者で、生き残るためになりふり構わず上層部の指示に従わずに勝手に行動している紅蓮隊だ。


 ヘルマンニがハイジにその旨を伝えるとハイジはすぐさま作戦を練り、敵集団を迎撃するように伝令を出した。矢の射程は直線距離で四百メートルほど、山なりに攻撃しても倍は届かない。ならばまだ十分に間に合う。


 しかし予想外のことが起きた。

 混乱した敵が有効射程距離の外から矢を射ち始めたのだ。

 まったく予想していなかった。そんなことをしてもほとんど効果はなく、貴重な矢を無駄に消費することになるからだ。

 追い詰められた兵とは斯も恐ろしい。形振り構わぬ兵は時に実力に見合わない凶暴さを発揮することもある。常識では測れない。

 もはや統率もクソもなかった。敗戦後に処刑される恐怖にかられ、なんとか敵将軍を討ち取ろうとでもいうのか。


 当然のごとくその矢は司令部に届くことなく、かわりに武器庫や食糧庫を強襲した。

 兵站は軍の生命線だ。仮に火矢を射られたとしてもすぐに消火できるように準備がなされている。ハイジは冷静に消火と反撃を指示し、そこで目にすることになる。


 一人の娼婦が矢で射られていた。

 見覚えのある『はぐれ』の少女が大声で助けを呼び、泣き叫びながら傷ついた娼婦を慰安小屋から引き摺り出している。

 娼婦の腹からは矢が生えている――距離があったからか貫通はしておらず、腹を軸にぶらぶらと揺れている。息はあるが意識はない。生存は絶望的だろう。せめて矢を抜いてやるべきだが、荒事に縁のない『はぐれ』の少女は矢を抜いて良いのかどうか迷っている様子だった。


 ハイジは「危ない、小屋に隠れて毛布などで身を守れ」と怒鳴りながら、イヤイヤと泣き叫びながら首を激しく振る『はぐれ』の少女を守るべく走り出した。


 戦場で死んでいいのは死ぬ覚悟のある戦士だけだ。

 戦士以外が戦場で死んでも精霊たちに歓迎はされない――故に娼婦や楽師、吟遊詩人などの非戦闘員は殺してはならない。


 敵は戦士としての規範も矜持も捨て去ってしまったのか。


 ハイジの目の前で、今度は『はぐれ』の少女の胸に矢が突き立った。


* * *


『はぐれ』の女、ユヅキは目の前の巨大な戦士に恋をしていた。

 もうずっと長いこと一途に想い続け、今や黒髪に白髪が混じりはじめている。

 だというのに、目の前の英雄が今だに自分のことを少女こども扱いしていることだけは、甚だに不満だった。


 ユヅキはこの世界に飛ばされてすぐに奴隷狩りに遭った。

 よくあることだ。この世界では奴隷商が跋扈しており、身寄りがなく有能な『はぐれ』は高値で売れる優れた商品だからだ。

 しかしユヅキに商品価値のある能力がないとわかるや否や、娼館に売り飛ばされた。

 もはや自分で命を断つしかないと思い詰めた時に、その男ハイジは現れた。


 一目見て「危険な男だ」と理解した。

 凶暴で、人を人とも思わない、暴力を生業に生きる男。この世界にきてからそんな男をたくさん見てきたが、この男が一等危険だと直感した。


 ユヅキはこの男に乱暴に犯されることを想像し、抵抗して死ぬことを覚悟した。

 男が差し出た腕に力一杯噛み付いた。

 人間の顎の力は凄まじい。本気になればどんな筋肉でも噛みちぎることができる。

 せめて一太刀食らわせてやる。そうすればきっと男は激昂して自分を殴り殺すだろう。それでいい。自分が死んでから、ただの肉袋になった死体あたしを存分に犯せばいい。


 だが、男の腕は少女の歯を受け入れず、傷ひとつ負わせることができなかった。

 歯型すら残すことができず――これでは単に怒らせただけで終わってしまう。

 ユヅキは絶望し、恐怖でガタガタと震えた。

 しかし、噛みつかれた男はどこか悲しそうな顔をして、


「怖がらなくていい。お前を守ってやる」


 と言って、自分を抱き上げたのだ。

 それはあまり優しくない乱暴な抱き方ではあったが、男が自分を傷つけるつもりはないことだけは伝わってきた。 


 ユヅキはこの世界に飛ばされてから一度も人に優しくされたことがなかった。

 そんな中、彼女は一つの能力を身につけていた。

 それは「人に好かれる」能力。相手が自然に自分のことを「守りたい」と思うように弱々しく振る舞う、いわば「演技力」強化版だ。

 この力で、ユヅキは今日まで、殺されたり犯されたりすることなくなんとか生き抜いてきた。


 しかし、死を覚悟したユヅキは目の前の男に『能力』を使わなかった。

 むしろ嫌われて殺されることを望んだ。

 男の暴力を利用することを考えた。

 だというのに、この大男はどこか寂しそうに「お前を守る」と言ったのだ。


 自分など、この世界では何の価値もない。

 露天で見かける串焼きの肉にも劣る――だから守る意味などないはずなのに。


「なぜあたしを守るの?」


 何の役にも立たないのに、とユヅキは男に言った。


「知らん」


 と男は冷たく言い放ち、しばらく間が開いたあと、ぽつりと


「生きてくれ」


 と呟いた。


 その言葉を聞いて、ユヅキはポーッとなってしまった。

 ユヅキは冷静な女だ。もちろんこれがただの刷り込みプリンティングであることは自覚している。なにしろユヅキからすれば、この男はまったく好みではなかったからだ。

 ちなみにユヅキの好みは紳士的で笑顔の似合う小柄な男だ。つまり乱暴でぶっきらぼうな筋肉の塊は好みの真逆を行っている。有体に言えば一番苦手なタイプだ。


 だが仕方ないではないか、と茹で上がった脳みそでもどこか冷静にユヅキは思う。

 絶望の淵に颯爽と現れて救われてしまえば、脳がエラーを起こすには十分なとなる。


(ずるい)


 しかも、こんなにも優しくされてしまえば――好きになるなという方が無理がある。


 この日ユヅキは、決してこの不器用な男にだけは『能力』を使うまいと決めた。

 そんなずるチートに頼らず、いつか絶対に愛されてみせると心に誓った。


* * *


 男から多額の寄付を受け取った娼館のマダムは、ユヅキをお嬢様のように扱うようになった。優しく何でも教えてくれるようになり、いつしか娼館の経営を任せたいと言われるまでになった。

 娼婦たちも優しかった。歳は言うほど変わらないはずだが、かわいいかわいいと幼児かペットのように扱われた。甚だ不満ではあったが、意図せず『はぐれ』の能力が発露し、ユヅキは女たちに可愛がられる方を選んだ。

 ユヅキはこの世界で生きていく術を見つけたのだ。


 この世界のことを学ぶうちに、ユヅキは自分を助けた男の名が「ハイジ」であることを知って、微妙な気分になった。


 なんだよハイジって。


 同時にあの男が自分のような黒髪・黒目の異邦人――『はぐれ』を保護して回っていることを知った。

 さらには、サーヤとかいう『はぐれ』の姫を愛していることも。


(なぁんだ、彼があたしを守ってくれたのは、あたしだからじゃないのか)

(『はぐれ』っていうカテゴリーが大事だっただけなのね)


 ユヅキは自分の恋が絶望的であることを思い知らされた。

 これまでずっと、何とか振り返ってもらおうと必死にアピールはしてきたが、ことごとく無視されたことを思い出して死にたくなった。

 それでも恋慕の想いは失われなかった。


 ならば、せめて男が幸せであるように祈ろう。

 いつかこの孤独な英雄の心を慰めるような女性が現れてくれればいい。

 そして、それはのだ。


* * *


 娼館の裏手には、ハイジのためだけに用意された部屋がある。

 もともとは応接室だったが、いつしか宿屋代わりに使ってもらうようになると、ハイジは月に一度か二度ほど顔を出すようになった。


 どうやらこの男、金はあっても使うのが嫌であるらしい。

 とんだケチな男もあったもんだ。


 しかし、たまにでも顔が見られるならそんなことはどうでも良かった。

 ハイジが来ても一言、二言挨拶を交わすだけではあるが、ユヅキにとってはそれだけでも十分だった。


 そんなある日、ハイジが『はぐれ』の少女を拾って育てているという噂を耳にした。


(嘘だぁ)

(あのハイジさんにそんな甲斐性があるわけないよ)


 ユヅキは信じなかった。

 ハイジにはサーヤ姫という想い人がいるはずだし、もしそれが本当だったら自分は一体何だと言うのだ。


* * *


 噂は本当だった。

 何でも飄々として掴みどころがない、変な女だという。

 夏の間はエイヒムの名物食堂で働き、冬になればハイジと一緒に寂しの森で狩り暮らしをしていると言う。


 俄には信じられなかった。

 しかし噂の「リン」という少女が、娼館を訪ねてくると言うではないか。


「ハイジさん、お客様?」


 本来なら放っておくべきだったが、どうしても気になって声をかけた。


「ユヅキか」

「後にしたほうが良い?」

「いや、構わない」


 許可をもらって部屋に入る。


 一瞬で目が奪われた。

 そこにいたのは目もとの涼しい、吊り目がちの少女だった。

 真っ黒な瞳にはどうかすると吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力があった。

 馬鹿でかい目、磁器のような肌、小ぶりな鼻、色素の薄い唇――いかにも東洋人らしい見た目の少女に、仕事柄で美しい女性を見慣れていたユヅキは「なんて可憐なのだろう」と驚嘆し、そっとため息を吐いた。

 なのに当の少女は自分の見た目に全く頓着していない様子だった。

 今も怪訝そうに巨大な目を細め、ユヅキを品定めするようにジロジロと見ている。


(ああ、この子もハイジさんのことが好きなのね)


 ユヅキは女性特有の勘の良さで一目でそれを見抜き――自分でも不思議なことに、なんだか浮き立つように嬉しくなった。

 いつもそっけない英雄ハイジの様子が柔らかく変化していたからだ。

 この少女なら、ハイジさんの孤独を癒してくれるのではないか。

 そんな期待が膨らんだ。


 しかし思った。


 このふざけた見た目はどうだ。

 素材はいい。だが見た目に頓着しなさすぎだ。容姿に興味がないのは仕方ないにせよ、もう少しくらいどうにかならなかったのか。

 特にその髪型はない。いくらなんでも酷い。どう見てもナイフで適当に短く切っただけだ。不揃いだし、毛量が多いのかブワッと広がってしまっている。

 それに花柄のおばさんぽいワンピースに剣を帯びている――なんだこれは。ファッションセンスがなさすぎる。鏡を持ってないのかこいつは。女性として許せない。


 顔には出さなかったが、ユヅキはこのとき目の前の少女をどうにか女性らしくしようと心に決めた。


* * *


 ハイジとリンの仲はゆっくりだが順調に進展しているように思えた。


 ユヅキは安心した。

 嫉妬ジェラシーもあるにはあるが、それ以上に祝福したい気持ちの方が大きかった。

 仕事を通して少しだけリンとも仲良くなれた。

 いつか二人が一緒になってくれたら、きっとあたしも安心できる。


 そんなある日、今までにない規模の戦争が起きた。

 ハイジは将軍として参加することになったという。

 そしてリンも一人の兵として参加する。


 心配でたまらなかったが、そんな時にギルドを通して中央政府から依頼が来た。


 ――戦地に赴き、心に傷を負った兵たちを癒してほしい

 ――娼婦の安全は保証されるが、万一に備え遺書を書いておくように


 これは特に珍しいことではなく、従軍の依頼はこれまでにも何度もあったことだ。

 いつもなら断るところだが、今回は半ば強制だ。上がりも良いし、希望者を募って数人送り出そう。


 そしてユヅキは思いついた。


 あたしも行こう。

 ハイジさんとリンちゃんの戦いを近くで見るのだ。


* * *


 仲の良かった娼婦が矢に射られるのを目にし、ユヅキは半狂乱になった。

 前回の従軍でも一人の娼婦が流れ矢に当たって死んだ。

 しかし、目の前で人が殺される瞬間を見たのは初めてだった。


 泣き叫びながら、腹から血を流し続ける友人を小屋から引き摺り出す。

 助けを求めるが、騒乱状態で誰も気づいてはくれない。


 これが戦場。

 甘く見ていた。

 ここは世界で一番死に近い場所なのだ。


 そんな中、眩しく輝く英雄を見た。

 ユヅキはハイジを見た瞬間に強烈な安堵感を覚えた。

 いっそ、このままハイジさんの目の前で死んでしまいたい。

 そうすれば、あたしはずっとハイジさんの心の中で生き続けられる。


 それは果たしてその通りになった。

 ドツッ、と想像よりも重たい衝撃が胸のあたりから伝わる。

 とてつもなく痛い。どうしようもなく熱い。苦しくて息ができない。

 体は硬直して動かなかった。

 パクパクと口が動かしたが、悲鳴すら上がらなかった。


 パニックになる中、ユヅキは「あ、あたし死ぬんだ」と、そこだけ人ごとのように感じた。


 ハイジが何やら叫びながら駆け寄ってくる。


(そんなに叫ばなくて良いのに)

(女が二人死んだくらいで、司令官が取り乱しちゃだめだよ)


 そう口にしたかったが、もはや口は動かなくなっていた。

 そのうちに眼球すら自由に動かせなくなり、ハイジの姿を見失った。

 嫌だ。最期の瞬間くらいは好きな人を見ながら迎えたい。


 抱き起こされる感覚があった。もう首どころか視線さえ動かせない――ハイジはユヅキの顔を覗き込んで何かを叫んでいる。

 動かなくなった眼球が最期にハイジの顔を捉えた。

 ユヅキは嬉しくなり、それだけで満足した。


(ああ、この人の胸の中で死ねるなんて、なんて幸せなんだろう)

(最初は噛みついちゃったからなぁ……最後の抱擁かぁ)


 悪くないね、と、ユヅキは呟こうとして失敗する。

 すでに事切れていた。


 ハイジは黒髪の少女を抱きながら、獅子のように咆哮した。

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