2

 恐ろしい速度で世界が改変されていく。


 それはなんだか、あたしの人生を彩っていたさまざまなものが「無駄」と断ぜられ、削ぎ落とされていくかのような感覚。

 あらかじめ定められた結末に収束していくかのように何もかもが整理されていくかのような感覚。


 もはや抗う気にもならない。

 あたしの人生は運命などのために消費されていいものではないぞ、などと思う余裕もない。むしろこれまで曖昧だった何もかもが明瞭になってゆき、研ぎ澄まされて純化されていく感覚は心地いい。


 なるほど、人生の目的を自覚するというのはこういう意味だったか。

 そりゃ、ハイジもいきなり現れた訳のわからん『はぐれ』は邪魔だっただろうな。


* * *


 身の周りのさまざまな問題が、あたしの意図とは無関係に解決していく。


 一番の懸念点であった教会の孤児たちにも生きていく術が見つかった。お金がなく貧しいことになんら変わりはないけれど、そこから抜け出せる道筋が示されただけでも御の字だ。


 浮浪児は教会の外にもまだまだ多いが、市民権が手に入るかもしれないとなると、おそらく教会の扉を叩くはずだ。治安も良くなるし、数は力だ。教会でこなせる仕事の数も増えていくに違いない。


 学校設立に関するさまざまな問題もあらかた片付いた。まだテキストなどは完成していないが、どうにでもなりそうだ。

 ユヅキなどはすでに「掛け算の歌」を引っ提げて、孤児相手に授業の真似事を始めている。


 五級に上がったニコはヤーコブと結婚が決まった。結婚すればヤーコブと一緒に教会に住むことになる。さらには忙しくなったペトラの代わりにお店を立派に切り盛りしている。


 あたしが自ら『黒山羊』を名乗るようになり、エイヒムの傭兵ギルドにとっては重要事項であった英雄役――これまでハイジがやってきたことだ――の心配はなくなった。


 そして今日、ハイジの説得に失敗し、破壊された細剣レイピアが手元に帰ってきた。


(おお…………)


 帰ってきた剣を握り、柄から抜くとシャリン、と小気味の良い音が響いた。

 よほど精度が高くないとこんな澄んだ音にはならない。

 ずっと借り物だった細剣レイピアが、ようやく本当の意味であたしのものになった瞬間だった。


 折れる前の刃はつるんとムラのない仕上がりだったが、今度は鍛え方や仕上げが違うのか、刃紋がくっきりと見える。

 あれはあれで月光を放つような冷たい輝きで目を見張ったものだが、今度は鈍く暗い輝きを放っている。

 刃の鋭さもまるで違う……というか薄い。鍔迫りなど不可能だろう。

 魔力の通し方が甘かったり、振り方が雑だとすぐに欠けてしまいそうだが、今のあたしにその心配はない。


(これはすごい)

(完全にあたしのための剣だ)


 軽く振ってみて、ほぅとため息をつく。


「あたしはもう、二度と薪を切ったりなどすまい……」

「当たり前じゃ、バカタレ!」


 思わずつぶやくと、目を三角にした武器屋が即座に突っ込んだ。


「その剣を抜くときは戦うときだけだと決めろ」

「えっ、でも狩のときとか便利なんだけどな」

「アホか! 貴様も戦士なら武器を大切にせんか!」

「してるんだけどな……」


 どうやらあたしの「大切」と、この世界の戦士の「大切」は違うらしい。

 まぁいい、郷に入っては郷に従うべきだろう。


「じゃあ、この子と同じような剣を一振りとナイフを二振、追加でお願いしていい?」

「剣は時間がかかる。ナイフはどんなのがいいんだ?」

「そうね……あたしの場合投げることはないから、包丁として使えるやつがいいな」

「……戦闘に使ったナイフで肉を捌いて食うつもりか、貴様」

「まさか。あたし戦闘にナイフを使ったことないから。使ったとしても、洗うし」


 あたしのセリフに武器屋はドン引きだったが、とりあえずあたしの細かい注文を請け負ってくれた。


* * *


 ちなみに今日はハイジは別行動である。――というか、あたしたちは普段から一人でできることを二人でやったりはしない。

 ドライなことだと思っていたが、なんせすることが多いのである。

 二手に分かれた方が、むしろ二人でゆっくりする時間が増えるくらいなのである。


 そして。


「これを受けるわ」

「…………えっ」


 あたしが名も知らぬような小国の小競り合いから生じた傭兵の徴募に応じようとすると、ミッラはたっぷりと数秒ポカンとした後、間抜けな反応を見せてくれた。


「え、あの、リンちゃん?」

「どうしたの? この徴募を受けるって言ってるんだけど……」

「えええ」


 ミッラはのけぞって、


「ハイジさん、さっき別のを持ってきたわよ」

「知ってる。なんだっけ、マッキセリの遠縁の……まぁなんでもいいけど」

「べ、別のところに行くの?」

「うん、そろそろくっつき虫を卒業しないとね」

「……喧嘩でもしたの?」

「何でそうなるの」


 心配されなくても仲良しじゃい。

 いや、側から見たら絶対わからないだろうけど。


「ちょ、ちょっとお待ちください」


 混乱したらしく言葉遣いがおかしくなったミッラがギルドの奥に消える。

 

(あーこれ、もしかして)

(ギルド長のお説教コースか?)


 まぁ、思い当たることもある。

 予想通り、奥からミッラが二階を指差しながら「ギルド長がお呼びです」と言った。


* * *


「何をふざけたことを言ってるんだ」

「ギルド長が何を怒ってるのかとんと見当がつかないのですが」

「なぜお前たちが別行動をする必要がある? 喧嘩でもしてるのか」

「ははは。馬鹿な」


 なんだか熱くなっているヴィーゴさんを尻目に、あたしとハイジは顔を合わせる。

 喧嘩なんてしませんとも。ええ。


「というか、お前が来ないと英雄役がいないだろう」

「あー、まぁそういうことですよね」

「ハイジ、リンは来ないらしい。ならお前が英雄役をやるよな?」

「断る。くどい」


 どうやらギルドとしては、そのマッキセリの遠縁とやらから英雄役が欲しいと言われているらしい。


「ならリン、遠征先を交換するか」

「ああ、それなら解決」

「解決なわけあるか!」


 なんなんだ、もう。


「お前らはニコイチだろう? なぜわざわざ別行動しようとするんだ?」


 誰と誰がニコイチだ。

 照れるだろうが。


「いや、そろそろ独り立ちしとかないと将来困るかなーと……」

「パーティを組んだわけでもなし、傭兵が自分の行動を自分で決めるのに何の不都合がある」

「あるから言ってるんだろうが、このバカども!」


 はぁー、とため息をつくヴィーゴを、あたしとハイジはボケッと突っ立ったまま眺めている。

 どうやらあたしとハイジのコンビが別行動するというのはそれだけ異常事態らしい。

 とはいえ、もはやあたしたちはいちいち隣に居なくとも何ら問題ないくらいには相棒なのである。


 隣に立つ、とはそんな意味ではない。


「じゃあ、ハイジと一緒に行動する代わりに条件があります」

「……言ってみろ。大抵のことなら聞いてやる」

「そもそもその「英雄役」とやらに、あたしのメリットがないです。金を出せ、金を」


 人差し指と親指で輪っかを作ってオラオラと見せつける。


「言い方に気をつけろ! ハイジにはちゃんとその分金貨を払ってるわ!」

「いくら?」

「……王国小金貨一枚だ」


(王国小金貨一枚って、いくらくらいなの?)

(時期にもよるが、今なら二十五万ハスクほどだ)

(……安いわね)

(今はライヒの景気がいいからな。その分王国金貨の方が安定している)

(へー)


 ちなみに、だいたい五〜十ハスクで一円くらいの感覚だ。

 故に、王国小金貨一枚で二、三万円。


 ただし、物価が日本の感覚とは乖離しているので一概には言えない。

 なにせこの世界には大量生産の手段がない。そのため長持ちするものはだいたい高い。例としてスープ鍋なら小さくても中古で十万ハスク以上する。日本円でも一万以上はする計算だ。なにせ、銅をガンガン叩いて一個一個手作りしているのだから、それでもまだ安いくらいだ。新品ならその数倍はする。

 服もそうで、新品を買うとかなりいい値段がする。だからこの世界では物を簡単に捨てないし、壊れても直して使う。買う時にも中古を買って節約する。


 反面、消耗品は安い。ペトラの店の客が喜んで飲んでいる濁った安酒エールなどは、だいたい五千ハスク、五百円〜千円くらいの感覚だ。食事などもだいたい一万ハスクに収まる。

 日本だと五百円も出せば綺麗なお店でお腹いっぱい食べられたのだから、それでも十分に高いが、そのかわり売っているものは、当たり前だがなのである。


 というか、あたしにはむしろ日本の物価が安すぎたような気がしている。

 ハンバーガーのセットが五百円て。

 しかも安全な飲み物付き――こっちじゃ考えられない。

 大量生産万歳と言わざるを得ない。


 まぁ、あたしはすでに日本円に換算するような感覚は持っておらず、すでに金銭感覚の基準がハスクになっているが。


 それはさておき。


 王国金貨一枚。

 遠方くんだりまで足を運んで、神輿にされて恥をかかされてその金額。

 流石に安い。


「王国金貨十枚」

「はぁ?! 高すぎる!」

「……と思ったけど、ギルドにお金がないのは知ってる。だけどせめて倍は出しなさい、おまけしてあげるから。王国金貨二枚。これが最低条件」

「くっ、こ、この……」

「じゃないと預けてる金貨を一気に引き出すわよ」

「破産するわ!」


 悪魔かお前は! とヴィーゴが腹を立てているが、そもそもあたしを『黒山羊悪魔』呼ばわりし始めたのはそちらの方だ。しっかり稼がせてもらうとしよう。


 そんなあたしを見てハイジがクツクツと笑っている。

 こう見えて、ハイジはライヒ領有数の富豪なのである。ギルド長ヴィーゴとはいえ無理やり従わせることはできない。


 まぁ実際はそんな大金、ハイジもあたしも使う当てはない。

 金貨数枚あれば数年困らない程度には自給自足の生活なのである。

 だからどれだけ稼いだところで結局預けっぱなしになるだろうけれど、その分ギルドのお金の使い道には口を出させてもらおう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る