18
森に戻ると、自分らしさが戻ってくる感覚がある。
なんだかんだ言って、エイヒムでは無理をしているらしい。
「はぁ……疲れた」
本当は、できればこのままずっと森で過ごしたいのが本音だ。
だが、あたしは世捨て人ではないのだ。
街の恩恵に授かっていることも多いし、街の人たちとの関係も大切にしなければならない。
だから、与えられた役割は果たさなければならない。
それに――
(少しずつでも変えていかなければ)
このまま何も気づかない振りをして生きていくことはできない。
ハイジのことだ。
本人はうまく隠しているつもりなのだろう。
だけれど、明らかに昔のハイジとは違う。
今でもきっと、あたし程度が相手なら問題はないのだろう。
それでも――もうハイジに戦ってほしくはなかった。
* * *
秋になると、森の様子が一変した。
勢いのあった緑は形を潜め、白樺が一気に紅葉するのだ。
バラバラと秋色の葉を落とし、それに応じて魔物の種類にも変化がある。
この時期になると、きのこが大量に採れる。
売り物にもなるし、乾燥させておけば長期保存もできる。
ただし、きのこの種類の判別ができれば……の話である。
この世界には毒きのこは多くなく、判別は難しくない。
難しいのはきのこの魔物、
「……見分けがつかないんだけど」
「毎日観察していればわかる。
「……自信ない」
「なら、腹を押せ。
「……わかった」
ただし、腹を押すと腹(軸)に指の跡がついて売り物にならないのだ。
何としても見分けがつくようになりたい。
たまに現れる大型の魔物――猪など――を狩りながら、自分なりにきのこを集める。
仮に間違えたとしても、幼菌の時点では
そうなると絨毯みたいに
胞子には幻覚作用があって、旅人などを迷わせ、餓死したところを苗床にするのだ。
故に、きのこの絨毯は、見た目は幻想的でも死の領域となる。
そうなると駆除が大変なので、ここでも
* * *
「半分くらいはダメだな」
収穫物を見せると、ダメ出しを食らった。
ハイジは簡単そうにポイポイと選別するが、どこが違うのかわからない。
「……どこで見分けてるの?」
「表面の質感などだ」
「これは?」
「
「こっちは?」
「きのこだ」
「見分けがつかない!」
「慣れだ」
どう見ても同じなのに、ハイジは迷うことなく選別を続ける。
結局三分の一くらいが
「
「どうにもならん。うまくないだけだ」
「毒はないんだ?」
「あるが弱い」
どうやら一朝一夕で何とかなる世界ではなさそうだ。
なお、
麻酔として利用したり、一部の好事家が好んで食べたりもするらしい。
どちらもエイヒムでは禁忌とされている。
ハイジはカゴの中身をガサガサしながら言った。
「きのこの種類が少ないな」
「え、あとは毒きのこっぽい気持ち悪いやつばっかりだったけど」
「赤い卵型のものはなかったか?」
「あっ、あったあった、あれって食べられるんだ!」
「脳みそに似た黒いものは?」
「それも見かけたけど、え、あれ食べるの? 毒じゃなく?」
「いや、毒だ」
「だめじゃないの」
何を言ってるんだ、この男は。
「とりあえず狩ってこい。準備しておく」
「……わかったけど」
よくわからないが、言われるがままに毒きのこたちを集めて回った。
* * *
小屋に戻ると、レンガでかまどが作られていた。
水の入った巨大な鍋が置かれ、ハイジが火を起こしている。
「ただいま。何やってるの?」
「毒抜きの準備だ」
「毒抜き!」
「どれ、見せてみろ」
カゴを取り上げて、選別を始める。
今回は
ただし、毒抜きしても食べられないうような本当の毒きのこだけは選別された。
あとで火にくべてしまうらしい。
「どうすんの、これ」
「三度ほどゆでこぼせば無毒化できる。良い値がつく」
「そ、そう……」
相変わらず、億万長者のくせにお金に細かいハイジである。
一つ一つのきのこを指差しながら、説明が続く。
「これとこれは、そのまま売れる。特にこいつは高値がつく」
「ほほぅ」
「これは毒抜きすれば食える。高値がつく」
「気持ち悪い見た目なのに……」
黒い脳みそみたいなきのこをザーッとお湯に放り込む。
「あまり蒸気を吸うな。毒がある」
「わかった」
顔を背けるが、なんだかいい香りがする。
しばらくきのこを茹で、ザルにあけるとまたお湯を沸かして茹でる。
これを何度か繰り返す。
「これを干す」
「手間がかかるのね、そこまでして食べたいものなの?」
「食べればわかる。そうだな、今日はおれが飯を作ろう」
「やたっ! ご馳走?」
「いや、いつもの食事にきのこを足すだけだ」
「なんだ」
とりあえずハイジの料理は美味しい。
期待しておこう。
* * *
「……見なきゃよかった」
ちょっとした好奇心でハイジの下拵えを見てしまい、げっそりする。
きのこを割いて塩水に入れるのだが、出てくるわ出てくるわ、大量の虫が……。
それがもう怖気が走るほど気持ち悪い。
きのこが嫌いになりそう。
「気持ち悪い……」
「きのことはこういうものじゃないのか?」
「
「それは……旨いのか?」
「虫もつかないほどまずいんじゃないかと思ってるなら杞憂よ。虫がいないところで育てただけの普通のきのこです」
「育てる? きのこをか」
「
「育ちやすい環境にすることはあるが、きのこなんて勝手にいくらでも生えてくるだろう」
「……まぁ、旬の味は大事よね」
とりあえずハイジがピンと来てないことはわかった。
何度か水を換え、虫がいなくなったきのこは水気を切ってザルに揚げられている。
それをいつものスープ材料と芋と一緒に炒めはじめた。
いつも通りのスープに芋ときのこが入っただけだが、香りがめちゃくちゃいい。
例の脳みそきのこも刻まれて一緒に入っている。
「手が空いているなら、うさぎと燻製を持って来い」
「わかった」
言われたものを用意するために倉庫に向かう。
倉庫の片隅に山積みになっているきのこ。
童話の挿絵にありそうなころんとしたやつが多く、見慣れた椎茸やエノキはないようだ。
やはり世界をまたぐときのこも違うのだなぁと思いながら、あたしは倉庫をあとにした。
* * *
「いい香り!」
ハイジの作ったきのこ尽くしを目の前に、あたしは歓声を上げた。
ものすごくいい香りを漂わせている。
スープを口に運んでみる。
見た目はいつものスープにとろみがついただけに見えるが、口にした途端目を見開いた。
「何これ!? あたしの知ってるきのこと全然違う! めちゃくちゃ美味しい!!」
例の脳みそ毒きのこも恐る恐る口に運ぶが、一口食べたらもう止まらなかった。
「おいしー!」
興奮のあまり賑やかな食卓になってしまったが、騒いでいるのはあたしだけでハイジはいつも通り――いや、ちょっと得意になっているのか、あたしの顔を見て肩をすくめて見せた。
「虫食いは気持ち悪いんじゃなかったのか?」
「虫なんてどうでもいいわ……そりゃ虫も食うわ。あたしが虫でも食べるわ。むしろ虫になって食べたい」
「意味がわからん」
匙が止まらないとはこのことである。
あっという間にスープを食べ切り、そしてウサギ料理を見てゴクリと喉を鳴らす。
見た目はぶっちゃけそんなに良くはない。
焼いたうさぎ肉にきのこソースが乗っているだけだ。
でもわかる。これはおそらく覚悟が必要な食べ物だ。
よし、と覚悟を決めて口に運び、絶句。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
言葉にならない。
美味しいとか美味しくないとか、そういう次元を超えている。
これはもう、人間程度が食べていい食べ物じゃない。
神々の……いや、精霊たちの食べ物だ。
きのこ、恐るべし。
秋の間この味覚を堪能できるとあれば、多少のことなら頑張れる。
山盛りきのこをエイヒムに売りに行くのが楽しみだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます