第27話 私は私、君は君

「――これが、俺と母さんが引き起こした、過ちの全てだ」


「……」


 事の発端となった過去を聞いた彩理は、言葉を失った。


 創が彩理に対して隠した秘密は、あまりにも深すぎる海に似た暗さを持ち合わせていた。


 その海は深ければ深いほど、水圧で心を押しつぶすものだ。


 エリシアから簡潔に聞き取った話と照合しても、やはり不一致する箇所は無かった。


「俺は、彩理ちゃんを信じている。彩理ちゃんは?」


 真剣な表情で問いかける創に、彩理は柔らかな表情で答える。


「わたしは何も変わらないよ。どんな過去があっても『創』は『創』なんだから」


 少し胸をなでおろすことができたのか、創の表情が和らいだ。


「必死で守ろうとしていた女の子に、まさか助けられたなんてね」


「そんなことないよ。わたしは創みたいにクロロの力を使えるか、わからないし」


 今までの行動を振り返っても、それらに繋がる要素はなかなか見当たらない。


「そうかな? もう一度アンプルを飲んだ時には、やっぱり暴走しなかった。ちょっと使ってみようよ」


 それは創の経験とエリシアの説明による正しさであった。


「う、うん。ちょっと怖いけど、頑張る」


「十分に回復しているみたいだし、点滴を外してもらおう」


 創は谷崎にスマートフォンで連絡し、許可を取った。


 しばらくすると芦川家に看護師がやってきて、彩理の点滴が外れることとなった。


 あれだけの負傷をした彩理の身体は、異常な速度で回復を遂げ、起床してジルに抱きつかれた部分の痛みが完全に消えていた。


 元々バイオロイドである創も、看護師がやってくる頃には包帯を外し、傷口があったという形跡すら無くなっていた。


 創から跡形もなく消えていたため、彩理はふと左腕を見やった。

しかし、過去に自傷してしまった箇所までは、痛みは癒えても、傷跡を消してはくれなかった。


(この傷があるからこそ、今があるのかもしれない)


 心の中でつぶやいた。


 病衣から着替えようとした彩理は気づいた。


 自分の着替えがないことに。


 この服を脱げば、ショーツは着用していても、上は付けていないのだ。


 近くに異性として創がいるため、彩理としてはこの格好が改めて恥ずかしいのだ。

彩理が顔を真っ赤にしていると、何かに気づいたように創が大きな紙袋を持ってきてくれた。


「はい、彩理ちゃんの服。寮長さんが持ってきてくれたよ」


 受け取った中身は、スカートや長袖のパーカー、ジャケットに肌着など数日分が詰まっていた。


「あ、ありがとう」


 気を利かせた夢が、事情を説明して持ってきてくれたらしい。


 一体どんな口実で持ってきたのか、それは不明なままであった。


   *


 私服へ着替えた二人は初めて出会った時と同じように、路地裏へと続く庭に出た。

 

 初夏の時には、名前も知らない植物の植木鉢があった場所に、秋の訪れなのか落ち葉が地面に降り積もっていた。

 

 創による“正しいクロロ発現方法“と題された授業がこれから始まる。


「よし、早速やってみよう」


 クロロを再現しようにも、彩理にとっては偶発的な事象として発生したため、上手くその状況を思い出すことができない。


「うーん……どうやるんだっけ?」


 感覚を取り戻そうと深く考え込む彩理を見て、創は自らの経験から発現する方法を提案した。


「一番楽なのは、目を瞑って身体の力を抜くイメージをすること」


「そんな簡単なことでいいの?」


 シンプルなアドバイスに加え、創は堂々と頷いた。


「うん」


 うろ覚えな記憶と共に、とりあえず目を瞑ってみる。

「――つぶったよ?」


「クロロを使う前に、どんな気持ちがあったか、それを思い出してみて」


 彩理にとっての出来事、それは暴走し、意識が身体から消える前のこと。


 重症の彩理は、自らの肉体が消えることを覚悟で、動けない創を守ろうとした。


 それは「創を守りたい」という、強い願いだった。


 記憶の海底から引き上げられた映像を、瞼の中にある真っ暗な映写室で投影する。


「――思い――出せた――」


「よし。その中で何か心臓の音がひとつ、大きく聞こえたと思ったら、目を開けてみて」


 まもなく、瞼に映しだされた記憶が消え、全身が熱くなるような感覚を、脳が察知している。


 太陽にも似た眩しい光が意識を介在しながら見える。

 

 あたかも別の場所にある肉眼が捉えているように。


 ドクン、というひとつの鼓動が血液を全身へ行き渡らせる。


 創の言う、大きな鼓動というものは、これのことなのだろうか。


 鼓動が静まったあと、恐る恐る光を閉ざした瞳を開ける。


「ど、どう?」


 彩理の見る視界は、何も変わっていない。


 彼女の目の前にいるのは、笑顔で瞳を覗き込む不思議な青年のみだった。


 創は、自らの目を大きく見開いて、感動している。


「すごく綺麗だよ。オレンジ色の髪が、キラキラしている」


 風で揺らいだ髪が、橙色に染まっている。


 指先で触れると、透き通るような、地球の外で作られた物質に思える錯覚を伴った。


 そして先ほど触れた指先から腕にかけても、橙色に浮かび上がる、創とは異なった模様。


「鏡で見てみなよ。もっとびっくりするよ」


 彩理は、創が持ってきた手鏡を受け取り、震える手で自らの顔を覗き込む。


 そこで、彼女自身がクロロに染まりきったと言える根拠が映し出された。


 元々髪が長かったせいか、全長はあまり変わっていない。


 クロロを使う創の顔には、緑色で浮かび上がる模様がある。


 それが彩理にもはっきりと広がっていた。


 髪の色と同じ橙色のラインで、頬に幾何学模様が展開されていたのだ。


「な、なに……これ……? すごい……」


 適応のための暴走を終了させた彩理のクロロは完全に彼女自身と同化していた。


「成功したね」


 溢れ出してくる平熱が、彩理を守って包み込むように温かい。


「うん……」


 クロロの確認を終え本題に入ると言わんばかりの創も、クロロを紐解く。


 髪が大幅に長くなり、ゴツゴツとした大木の表面を持つ皮膚と、顔に浮かび上がる緑の模様が、力の解放を示していた。


「さぁ、クロロがうまくいったところで、ここまで跳んでみよう」


 言い出したそばから、創が飛び上がり、芦川家の2階部分にある屋根へ着地した。


「できるかな――?」


 確実な意識のある状態で動くのは初めてだった。


「普通にジャンプする感覚で跳べばいいから」


 創の言葉通り、少しかがんで両足をバネの形につくり、屋根へ向かって跳んだ。


 それは川幅の短い地点をジャンプして渡る動作に近い感覚で跳んだにもかかわらず。


 あっという間に飛距離が伸び、狙っていた地点に到達してしまったのだ。


 着地時にバランスを崩した彩理に、創は手を伸ばしてサポートする。


 なんとか立ち上がった彩理は、今までになかった体験を得て、怖さを持ちながら同時にワクワクが止まらない、不思議な気分を生み出していた。


 たった一瞬の出来事が、遊園地のアトラクションに乗り終わったあとの状態に似た、スリルの余韻だった。


「と、跳べた!」


 たった一言、それだけしか言えなかった。


「じゃあ次は降りてみよう」


「え!? ちょっ、ちょっと待っ――」


 スパルタ気味な創は、間髪入れずに彩理の手を握ったまま彩理と一緒に降りた。


 今度はお姫様抱っこなどではなく、自身の両足によって地に足をつけた。


「うひゃぁ!」


 着地に驚く彩理ではあったが、着地後の衝撃を殆ど日常の感覚に置き換えられている、面白くも恐ろしい状態が続いている。


「どう?」


「す、すごい……」


 心臓がここまでバクバクしたのはいつぶりだろうか。


 少しだけしゃがみ、乱れた心拍数を整える。


「こんなふうに、クロロは身体の一部になってしまえば、あとは感覚的に動かせてしまうんだよ」


 クロロはまるで、魔法のように自在に移動できるほどの身体能力を向上させる。


 これは使う者によって、良いことにも悪いことにも繋がる。


 彩理は内心、自分が悪行を行う人間じゃなくてよかったとホッとしている。


「よくわからないけど、すごく身体に馴染んでいる・・・」


 水のように内部へ入り込み、血液のように力は浸透してゆく。


 最後に創は、もはやおなじみになった、平たい金属の棒を彩理へ渡した


「次はバイオツールだ」


「これも、もしかして?」


「ああ。手に持って頭の中で形を作るといい」


 創もバイオツールを持ち、従来使ってきたダガーナイフに変形するように操作した。


 彩理も彼の作り出したナイフの形をよく見て、同様にイメージすると、あっという間にナイフへ変形してしまった。


 ナイフの色は、髪の毛や模様の色と同じ、橙色に染まっていた。


「で、できたっ! できたよっ!」


 初めてクロロにまつわる操作を、自分の意志でできるようになったことに、感動が溢れ出していた。


 この日、クロロを使った練習はこれで終了した。


 変身を解いた創が、同じくクロロを解除した彩理へ錠剤を手渡す。


 クロロは短時間でも急速に体力を消耗し、バイオロイドの身体に負担をかけるためだ。


「慣れてくると目を瞑らなくても出来るようになるよ」


 薬を受け取った彩理は、創の飲み方を真似て、お菓子を食べる感覚で飲み込んだ。


 身体に現れた倦怠感が少しだけ回復した。


「彩理ちゃん。ちょっと手を見せてもらえる?」


「手? いいけど?」


 創の言葉を素直に受けた彩理が両手を創へ見せる。


 彩理の両手はいつの間にか、皮膚の表面がひび割れていた。


 正確には冬の乾燥ではなく、クロロによる体組織の入れ替えに伴って死滅した細胞だった。


 出血などはないが、干ばつした地面にように、裂け目が深く入っていた。


 彩理に痛みは感じなかったが、バイオロイドになったことを自覚される要素がまた一つ増えている。


 そして創の両手にもまったく同じ症状が出ていたのだ。


「消耗した時の俺と一緒だ。手先の皮膚がボロボロになってるけど、すぐに治るよ」


 小さく頷いた彩理であったが、唐突に不安が彩理の脳に襲いかかる。


「少し怖いよ。まるで、わたしじゃないみたい。ちょっと前まで“人だった”のに」


 覚悟していたことを必死に受け入れようとしたが、なかなか簡単に脳は受け入れてくれなかった。


 うつむく彩理を見る創はわざとらしいほどの明るさで彼女をフォローする。


「彩理ちゃんは彩理ちゃん! ほら、さっきまで俺に言ってた言葉はウソだったの?」


 肩をポンポンと叩かれた彩理は、気づかないうちに自らの矛盾を抱えていた事実を知った。


「う、ううん! そんなことない!」


 創に対して告げた言葉は、嘘ではないのだ。


「うっし、その意気だ! 彩理ちゃんはそれでいいんだよ」


 初めて出会ったときの笑顔が、創に再び宿っているように思えた。


 明るく笑う創に、彩理は問いかけた。


「ねぇ、創」


「ん、どうした?」


 彩理はただ、一言だけ伝えた。


「クロロを教えてくれて、ありがとう」


「いいってことよ!」


 スフィア・プラント社による事件は終わっていない。


 こんな悠長に話せるほど、周囲は穏やかでないのだ。


 それでも、今の彩理たちができることは暗闇に包まれる時こそ、笑顔でいることであった。

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