第2章 前触れ

第9話 メンテナンス

「よう、彩理ちゃん」


 人間は自分のイメージ可能な部分の範疇を超えると非常に混乱するときがある。

 

 バイオロイド、クロロ、バイオツール、細胞。

 

 もう驚くことは何もないだろうと彩理は確信していた。

 

 はずなのに――これはショッキングだろう。


 ホラー映画のスプラッタ極まりない


 お昼頃に授業が終わり、早めに研究室へ向かった午後。

 

 ドアを開けた瞬間に立ち込める錆びた鉄―――いや、血液の匂い。

 

 声の聞こえた方向へ向かうと、ビニールシートの上にバケツを置き、その上で創が上半身裸で血だらけになっていた。


 彩理は言葉を失ってしまい、思わずトートバッグが手から滑り落ちた。


 誰かに危害を加えられたのだろうか、と肝を冷やした。


 出血していたのは左腕。


 他人がやったのではなく、創が右手に持っているバイオツールの形状がナイフであったため、すぐに事件ではないと理解することだけは出来た。


「ああ、ごめんな。メンテナンスをしなきゃいけなくて、時々こうやって切断するんだ。後始末とかは俺一人でやるから大丈夫だよ。気持ち悪いよな、これ」


 何が起こったのか、頭の中でうまく理解ができていない。


一度呼吸を整えて創の言葉に答えた。


「え……ううん、ちょっと驚いたよ。それ――どうしたの?」


 困ったように笑う創。


「まぁ、簡単に言うと剪定だよ。木々の枝を切る感じでね、月に一度くらい確認して切っているんだけど、出血がいかんせん酷くて――」

 見た目があまりに痛々しい。


 彩理は即座に質問を投げかけた。


「痛く、ないの?」


 最初の実験のように問題はなくとも、心配はしてしまう。


「んー、俺はどういうわけか、痛覚が鈍いらしい。貝類と植物の細胞がメインだから尚更痛くないのかもな。傷ついてもすぐ回復するし」


「創、無茶しないでよ?」


「大丈夫。俺には彩理ちゃんも母さんも谷崎先生もいる。サポートしてもらえる限り、生きることができる」


 創が自ら剪定した部分の傷口が少しずつ塞がっているのを伺えた。


「うん――それで、何を剪定していたのさ」


「腕から生えてきた小さな葉っぱや枝みたいなものだよ。切っておかないと服を着ることができない」


「葉っぱや枝?」


「バケツの中を見てみなよ。血が混ざっちゃってるけど、葉っぱがたくさん入っている」


 創の近くに置いてあったバケツの中を覗いてみる。


 すると、血が少し混じりながらも生い茂ったと考えられる枝や葉が多く見つかった。


 中に入った綺麗な一枚の葉を手にとってみると、手触りも感触も、新芽のように柔らかく、紛れもない木の葉だった。


 葉をバケツへ戻した彩理の指に、手のひらに創の血液が付着した。


「バイオロイドだからって完全に人と同じようにはなれないんだ。こうやってメンテナンスを行うたびに感じる」


「辛いの?」


「大丈夫だよ、痛みはそこまで強くない」


「そうじゃなくて、心の問題。辛いの?」


 創はすぐに言葉を返さなかった。


 笑顔は気丈に振舞う、脆く崩れそうな状態に思える。


「辛くないと言ったら嘘になるね。本当は、辛い。俺は考え方や姿かたちは人であっても、根本的な構造ではヒトではない。一体俺は何者なんだ?」


「・・・・・・」


 彩理もすぐに言葉を返せなかった。


 なぜなら、私は人だからだ。


 バイオロイドになることは、出来ない。


「俺は自分の意志で死ぬことなんて出来ないからな。仮にできたとしても、細胞が勝手に再生を始めてまた生きなければいけない。首を吊って千切れ、落下しても、生きようという意思の下で身体の機能を戻そうする。駅のホームから飛び降りたって、高いビルの上から飛び降りたって、何度も、何度も、再生を繰り返すんだ」


「・・・・・・」


 自殺未遂を行い、それで生きていたとしても後遺症が残ることが多い。


 しかし、創のように何度でも再生できる身体は、後遺症すら許されていないのか。


 非科学的ではあるが、もしこの世界に神と名のつく存在がいたとすれば、創は何らかの罪を犯し、罰として自らは死ぬことができないように課せられた呪いなのだろうか。


 宗教的に人に寿命があるのは、人が人を創ろうという禁忌を犯したために死を与えたと聞いたことはある。


 では、目の前にいる創は人が創造した「人」というくくりであると仮定する。

人を創造した夢は禁忌を犯した。


 しかし、既に死は与えられている。


 そして、死を与える罪の代わりに、自ら死ぬことを許されなくなってしまった―――それが創なのだろうか。


「わかんない、わたし、わかんないよ、どうしたらいいのか、わかんないよ」


 頭の中で勝手に思考が加速する。


 何を考えたらいいのかわからなくなってしまった。


「ごめんな。無理に理解する必要はないよ。こうやって考えることが癖になってしまったから、理解できなくて当然だよ」


「ごめん、ごめんね……」


 胸が苦しい。


 大事な人ではあるはずなのに、目の前にいる「人」のことを理解しようとしてもできない。


 その不甲斐なさだけが彩理の身体に残ってしまっている。


「悲しまないで。死は、生き物が考え出した最も優れた発明だよ。リンゴのマークの会社を創った人はそう言った」


「発明って、どういう意味なの?」


 彩理の頭の中に、また一つ疑問が浮かんだ。


「人間に関係なく、すべての生物はライフサイクルに沿って生まれて、生きて、死んで、消えていく。どんな姿で、どんな場所であっても同じように死を迎え、そしてゼロに戻るんだ」


 私があの時、自殺という形で死んでいったとしても、すべては同じ場所へ行く、ということなのだろうか。

創の話を聞きつつ、思考を傾ける。


「俺は自由に生きる権利はあっても、自由に死ぬ権利はない。おそらく生物学という学問が絶えない限り、俺は生き続ける」


「それでも生まれたことを……後悔はしていないの?」


「していないよ。母さんは愛してくれている。昔も今もね」


「創……」


 人の過去を直接見ることはできない。


 できることは話を聞き、共感すること。創が彩理の話を聞いてくれたように、今度は自分が創の話を聞きたい。


「今度は、わたしが創の話を聞いてあげるから、何でも話して欲しい」


 創が彩理の方へ顔を向け、目が点になっていた。


「本当に?初めてだよ、こんなふうに俺の話を聞きたいなんてさ」


「ギブアンドギブってことにしてよ。わたしばかりもらっていたら申し訳ない気持ちになっちゃう」


「そういうことか、すまないな。でも大方話してしまったし、今日はもう大丈夫だ」


「大丈夫なの?」


「ああ。ほら――傷も治って血も消えたからな」


 創の身体を見ると、葉や枝を切り落としたあとの傷口はほとんど消えていた。


「それなら、いいけれど。さっきの剪定が定期的な習慣だとしても、初めて見たときは心配したよ」


「剪定は痛みも少ないし、あんまり気にしなくていいよ」


 解剖写真などで血を見たことはあるが、生で見るのは慣れるまでが大変だ。


 ホラー映画のDVDでも借りて慣らしておくべきだろうか。


 創がバケツを片付け、シャツ着てジャケットを羽織った。


「創、先生はいつごろ来るの?」


 複雑な表情を見せたあとにソファの背もたれに体を乗せた。


「ん~、分からないな。会議とかほかの先生、学生の相手もあるだろうし、いつも唐突にメールや電話が来るから大変なんだよ。だから俺が研究室に待機しているのもあるんだけど、今は授業っぽい」


 確かに彩理のスマートフォンにも、連絡は来ていない。


 急な予定変更があったのだろうか。


 いつものことだろうけど。


 その時、研究室の電話が鳴り響いた。


 彩理は対応がわからないため、放っておこうとしたが、代わりに創が受話器を取った。


「はい、芦川です――なんだ、母さんか。どうしたの? ――はぁ!?」


 創が素っ頓狂な声を発した。


 夢のことだ、普通のことで電話するはずがない。


 ふと電話機の横に目をやる。


 夢先生、どうも授業用のタブレット類一式を忘れてしまったらしい。


 いくら頭のいい人でも、こんなふうに凡ミスをする。


 弘法も筆の誤りという諺か。


「――はいはい、わかったよ――うん、彩理ちゃんに?――了解」


 通話が終了し、雑に受話器を置く。


「母さん授業用のプレゼンにタブレットを忘れたらしい。彩理ちゃんに届けてもらいたいって」


「どうして私が?」


「俺が届けると変身しなくても目立つし、留守番をしてなきゃいけないからな」


「…なるほどね」


 夢の理由に思わず納得。


 大きい声では言えないが、創はいろんな意味で目立つ。


「わかった、どこに届ければいいの?」


「講堂へ届けて欲しいそうだ。十分以内だと助かるってさ」


 研究室の時計を確認すると時刻は十二時四十九分。十分なら歩いても間に合う距離だ。


 渋々トートバッグにタブレットを入れ、講堂へ向かうことにした。


「じゃあ、行ってくるね」


「うい、いってらっしゃい」


 創の適当な返事を聞いたあと、研究室のドアを閉め、念のため早足で向かった。

 

   *

 

 講堂へ到着し、スマートフォンで時計を確認すると、十二時五十八分。

授業開始まであと二分。


 息が切れることもなく、余裕を持って入ることができた。

 

 教壇側のドアから入る。やけに段差上に作られた席を見ると男子学生が異常に多い。


 先生目当てか。


 理系男子らしく、チェック柄の花が色鮮やかに咲いているようにも思えた。


 実際は花じゃないけれど。

 

 教壇の近くへ目をやると、置いてあった椅子に先生が座って待っていた。

 

 こっちよ、と彩理を手招きした。


「ありがとう新島さん。助かったわ」


「珍しいですね、先生が忘れ物をするなんて」


「たまにあるのよ。考え事していると、物忘れが酷くなるの」


「今日の夕方はどうしますか?」


「ごめんなさい、先延ばしになりそうだわ。急に仕事が立て込んでしまって、しばらくお休み。創と話したら適当な時間に帰っていいわ」


「本当に忙しいんですね」

 

 同情するかのように彩理はそんな言葉を返すほか無かった。


「ええ、最初に考えていた予定はだいたい二ヶ月ほど伸びそうなの。重ねてごめんなさい」


 彩理自身はまったく気にしていないのだが、先生が非常に申し訳なさそうに言った。


「だ、大丈夫ですよ。そんな深刻にならなくても、私は学生なので先生のように権威とかもないですし」


「それなら良かったわ。これから授業だから戻って大丈夫よ。あなたの好きな創が待っているのだから」


「はい…って私たちはまだそんな関係じゃ―――」


「あらあら、照れなくてもいいのよ」


 先生、こんな忙しい時でも私をからかってくるのか。


「もういいです! 失礼します!」


「ふふふ……」


笑みをこぼす夢を尻目に、彩理は研究室へ戻る。

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