第45話

 ハンバーガー店を後にした俺たちは、そのまま午後も街を歩いた。

 特定の店には立ち寄らず、どこにどんな店があるのかを一つずつ確かめるように。

 このあたりで暮らし始めて数年目だが、知らなかった店を知ることができて、俺自身も楽しめていた。

 まぁ、デートとして見た場合にどうなのかは、やっぱり疑問だったけど。

 そのまま歩き続けた俺たちは、駅から少し離れた川沿いへとやって来た。

 河川敷があり、野球などをするスペースも設けてある。

 屋根のついたテーブルやベンチなどもあり、すぐ近くには大きめの公園もある場所だ。

 その公園は主に、小さい子供を連れた家族が利用している。

 駅前の賑やかさとは対照的に、こっちは時間の流れが緩やかに感じる。

「全然違う場所みたいですね」

「距離はそんなに離れてないんだけどな」

 だが彼女の気持ちは理解できる。

 店の音や混雑で賑わう駅前とこっちでは、音の質が違う。

 子供の元気すぎる声が苦手という人はいるだろうけど、俺はこっちのほうが落ち着く。

 自分でも不思議なのだが、そうなのだから仕方がない。

「ここで休憩にしてもいいですか?」

「丁度涼みたかったところだ」

「じゃあ、飲み物でも買って、それから木陰のベンチに行きましょう」

 彼女もこの場所が気に入ったのだろう。

 その表情を見れば言葉にしなくてもわかる。

 自販機で飲み物を買い、家族連れから少し離れた場所のベンチに座った。

 木陰を選んだこともそうだが、川沿いでもあるので涼しさを感じられた。

 穏やかな空気の居心地の良さに比べると、晴れた午後の気温は高く感じる。

 冷房の効いた室内もいいが、こういう外で感じる自然な涼しさも悪くない。

 子供の元気すぎる声と、野球に精を出す少年たちの声が聞こえてくる。

 久しく感じていなかった緩い空気に、自然と肩の力が抜けていった。

「……本当はもう、いいかなって思ってたんです」

 その眩しいくらいの光景を同じように眺めながら、彼女は静かに呟いた。

 視線を向けると、彼女は真っ直ぐに前を見つめたままだった。

 そうか、とだけ俺は答えて、同じように目の前の日常を眺める。

「ずっと、全然考えたこともなかった。でも、なんだか疲れちゃって……」

 どうして彼女が急にそんなことを話し始めたのかは、やっぱりわからない。

 事情を話したくないのだろうと思って、あえて訊くこともしなかった。

 でも、知りたくないわけじゃなかった。

 だから彼女の、独白とも言える静かな声に耳を傾ける。

「たくさん失くしました。戦って戦って、ずっと戦い続けて……当たり前の生活なんて、一番最初に」

 それはある意味、彼女の人生そのものだった。

「私の前は、兄が戦ってたんです。でも、ダメになっちゃって……そのとき兄と、両親が亡くなって、私と妹だけが残って……今は、私だけで」

 一つ一つのことを知るたび、彼女という人間の輪郭がはっきりとしていく。

 だが同時に、それが輪郭は歪なんじゃないかと思えてしまった。

「家族だけじゃない。親友もいなくなって、一緒に戦ってくれた仲間も、もういません。学校にも行かなくなってたから、本当に友達も知り合いもいなくなっちゃって……天涯孤独、みたいな感じです」

 薄々はそうじゃないかと、どこかで思っていた。

 時折見せる寂しげな表情も、帰る場所がないという言葉からも。

 あれは家があるとかないとか、そういう意味じゃなくて。

「あの日のことです。全部、失くしちゃったのは」

 彼女は一瞬だけこっちを見て、笑ったように思う。

 俺がそっちを見たときにはもう、正面を見ていたから実際にはわからないが。

 声の柔らかさが、そう思わせた。

「たった一つだけ残ってた戦う理由ももうなくて、なにしてるんだろうって、一瞬でも考えちゃいました。だって、私が戦ってるってこと、もう誰も知らないんですよ? なのにひとりで、なんで戦ってるんだろうなって」

 正義の味方はフィクションの中にしか存在しない。

 少なくともあの日まで俺は、そう思って疑わなかった。

 彼女のような存在がいるなんて、知りようがない。

 俺の感覚はそのまま一般人のそれと同じだろう。

 誰も彼も、人知れず戦う正義の味方がいるなんて、想像もしていない。

「お疲れさまもなくて、お帰りなさいもなくて……もちろん、感謝されることも尊敬されることもない」

 針のように突き刺さる言葉のはずなのに、声は柔らかい。

 でもそれは優しさなどによるものではなく、達観……諦めのようなものにしか、俺には思えなかった。

 一ヶ月足らずの同居生活だが、ずっと彼女を見て来たから。

「あ、言っておきますけど、別にそんなの求めてませんでしたよ。感謝されたくて戦ってたわけじゃないし。もちろん尊敬なんてされなくてもいい。考えたことすらないまま、ずっと戦ってました。疑問もなく、ただひたすらに、そうするのが当たり前だと思って」

 でもあの日、一瞬だけそんな考えが初めてよぎったのだと、彼女は自嘲の笑みを浮かべる。

 どうしてその瞬間だったのか、答えを推測するのは難しくはない。

 それだけ失ったものが大きく、彼女の心に隙を作ったのではないだろうか。

 いや、俺が推測していいようなことじゃない、か。

 全部彼女が抱えた、彼女だけの感情だ。

「結局、それが仇になったんでしょうね。戦いの最中にバカなことを考えて、失敗して……あの世界から強制的に弾き飛ばされて、そのとき制御できないくらい力が歪んじゃって……」

 途切れた言葉の続きは、彼女の視線に込められていた。

 やっと目が合った俺は、思わず苦笑する。

「そこに俺がいて、巻き込まれたってわけか」

 半笑いで答える俺を見て、彼女は一瞬目を丸くする。

 それから少し悲しげに笑い、無言で頷いた。

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