第32話

「買って来たぞ」

「いろいろすみません……じゃなくて、ありがとうございます」

 わざわざ言い直した彼女に苦笑しつつ、テーブルの上に紙袋を置く。

「嫌いなものがないって言うから、適当に買って来たけど」

「大丈夫だと思います。あんまり食べないので、どれが好きとかなくて」

「俺もそんなには食べないからなぁ」

 紙袋から食べ物を取り出して並べる彼女を見つつ、ソファに座った。

 いつもより三時間ほど遅いが、ようやく食事ができる。

 彼女の手当てをしたあとから食事の準備をするのは、さすがに無理があった。

 せめて米だけでも炊いてあれば手早く済ませることもできたが、生憎と彼女が出かけたのはその前だった。

 なのですぐ近くにあるファストフードの店まで、俺が買い出しに行って来た。

 自分が行きますなんて彼女は言ったが、当然却下だ。

 包帯と絆創膏だらけの女の子を買い出しに行かせるほど、情けない男ではない。

「えっと、私から選んじゃっていいんですか?」

「あぁ。俺は別にどれでもいいし」

「じゃあ遠慮なく。これと……こっちの二つで。飲み物とポテトまで……凄いですね」

「喜んでもらえてなによりだ」

 買って来たファストフードはハンバーガーだ。

 有名チェーン店のものなので、二人分の食事としては高くも安くもない感じだと思う。

 彼女が選ばなかったハンバーガーに手を伸ばし、包みを開ける。

「いただきます」

「……いただきます」

 そのままかぶりつこうとした不届き者を牽制するような声に、俺も渋々続いた。

 彼女は満足そうに笑みを浮かべると、ハンバーガーを食べ始める。

 俺も同じように口をつけ、その安定した味を噛み締めた。

「美味しいですね、こういうのも」

「そうだな」

 最後に食べたのは数ヶ月くらい前だと思うが、相変わらずの味で逆に安心する。

 あまりこういうものは食べないそうだが、彼女も満足してくれているようだ。

「なんて言うか、学生みたいな感じですね。二人で向かい合ってハンバーガーとか食べるの」

「俺の部屋じゃなくて、店内の席でなら、確かにな」

「男の人の部屋だとダメなんですか?」

「そうじゃないけど……まぁ」

 部屋に女子と二人きりでハンバーガーを食べる学生、というのはなにか違う気がする。

 少なくとも俺が学生だった頃は、店で食べたものだ。

 男友達とも、女友達とも。

 甘酸っぱい記憶を意識の隅へ追いやり、目の前でハンバーガーを頬張る彼女を見る。

 その様子はなんだか子供っぽくもあり、彼女が学生に見えなくもない。

 仮に制服でも着ていたら、女子高生と言い張ってもしっくりきそうだ。

 それくらいハンバーガーを食べる彼女は、どこにでもいる女の子に見えた。

「ポテトも美味しいし、たまにはアリですね、こういうのも」

「たまにならな」

 そう相槌を打ちながら、どうしても視界に入ってくる包帯や絆創膏に痛みを覚える。

 出所のわからない苛立ちや不安が混じり合って、胸の内側から刺されているみたいだ。

 自分が口を差し挟める立場じゃないのはわかっている。

 たとえ彼女が居候で、俺が家主であっても。

 彼女は正義の味方だ。

 なにかと戦わなくちゃいけない存在で、傷を負うのも当たり前。

 本人が気にしていないのだから、きっとそういうものなのだろう。

 どれだけ俺が考えても、事情があまりにも特殊すぎる。

 俺みたいな一般人の常識で考えるのは、たぶん無意味。

 俺と彼女が住む世界は違いすぎる。

 会社に行って仕事をして家に帰ってくる俺と、どこかもわからない場所に行って戦ってくる彼女とでは。

 一つ屋根の下で暮らしているのに、一歩外へ出ればなにもかもが違っている。

 でも、この部屋に二人でいるときだけは違っていて。

「あのー、一個しか食べないんですか?」

「ん? なんだ、二つじゃ足りなかったか?」

「は? いや違いますって。ただ、二つ目を食べないのかなーって思っただけで」

「そうじゃないけど……別に食べたかったらいいぞ、ほら」

「や、やめてください! それ、悪魔の誘惑っていうやつですよ? 三つも食べたら、絶対に乗ります、お腹によくないものがっ」

「気にするんだな、そういうの」

「当たり前です。これでも一応、女子ですよ?」

「……だな」

 口ぶりからすると、食べたい気持ちはあるようだ。

 ただし、女子としてのルールが許さないのだろう。

 大人しくポテトを摘まみ始める彼女に、自然と頬が緩む。

 だが同時に、自分自身の内側に痛みが広がっていた。

 彼女はどこにでもいるような女の子だ。

 でも、決定的に違うところがあり、俺のような普通の人間には立ち入ることができない。

 いや、立ち入れる強さを持つ人も、いるにはいるのかもしれない。

 けど俺はそうじゃない。

 仕事ですらろくに結果が出せず、大切な人を傷つけてしまうような俺が、一体彼女になにを言えるというのか。

 正義の味方として、たった一人で戦っている彼女に。

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