第21話

 数日ぶりのアルコールは、なんとも言えない味がした。

 酒は嫌いではないし、人並程度には楽しめるタイプだ。

 ただ、今日はいろいろとタイミングが悪い。

 できれば仕事が終わったらすぐ帰りたかったのだが、上司も出席する飲み会に誘われてしまった。

 久しぶりの出社は特に問題もなく、同僚からも体調を気遣ったりしてもらえた。

 まぁ、病み上がりだとわかっているのに飲み会に誘うのは、どうかと思ったけど。

 正直に言えば断りたかったが、三日も休んで迷惑をかけた手前、参加するしかなかった。

 こんなことなら、もう体調は万全ですなんて言わなければ良かった。

 飲み会に誘われてから実は、なんて覆せたら苦労はしない。

 こうなったらせめて二次会には参加せず帰れるよう、存在感を薄めておくしかないだろう。

 素直に酔えないのは、そういう理由だ。

 それとまぁ、もう一つ理由があると言えばあって。

「もう温くなってない、それ」

「少しな」

 グラスを持って隣に座る彼女にそう答えつつ、ジョッキに口を付けた。

 彼女の指摘通り、最初に注文したビールはすでに冷たさを失っている。

 温くなったビールほどマズいものはないが、まだジョッキには三割ほど残っていた。

「お酒、控えてるの?」

「そういうわけじゃないけど、ほら、病み上がりだし」

「ん、それもそっか。ま、無理しないのはいい心がけかもね」

 彼女は楽しげな笑みを浮かべ、グラスを傾けた。

 今このテーブルには、俺と彼女しかいない。

 飲み会が始まってすでに一時間。

 最初の席に大人しく座っているのは、俺と酒を注がれる立場の上司くらいだ。

「いいのか、こっちに来てて」

「偉い人たちの相手は他の人がしてくれるみたいだし、いいでしょ」

「……みたいだな」

 賑やかな向こうのテーブルを横目に見つつ、彼女に合わせるように苦笑した。

 隣に座る彼女――滝川咲奈も当然、この飲み会に参加している。

 ほとんどのメンバーがいい感じに酔っている中で、彼女もそれなりに酔いが回っているように見えた。

 だが俺は知っている。

 アルコールで頬が紅潮していても、意外としっかりしているのが咲奈だ。

「無理に参加しなくて良かったのに」

「付き合いは大事だろ」

「普通ならね。でもほら、達明は今、あるんじゃないの? いろいろとさ」

「体調なら本当に大丈夫だって」

「じゃなくて。いやまぁ、それも一応は気になってたけど」

 どうやら咲奈が気にしているのは、俺の体調ではないらしい。

 薄々なにが言いたいのかはわかっているけど、スルーさせてもらえるのならスルーしたいところだ。

「あの子、いいの?」

 テーブルに肘を乗せ、咲奈が俺の顔を覗き込んでくる。

 好奇心と悪戯心に輝く瞳は、実に厄介だった。

 俺の望み通り、スルーはさせてくれないらしい。

 わざわざ隣に来たのも、その話が聞きたかったからと考えるのが自然か。

「別に問題ない」

 あえて素っ気なく答え、この話はこれで終わりだと一方的に宣言する。

「ってことは、まだ一緒なんだ、あの子」

「……性格悪いぞ」

「年下の女の子を部屋に連れ込む男より?」

「…………」

 勝てない戦をするのは愚か者らしいので、俺は顔を背けつつジョッキを傾けた。

 こんなに苦いビールは初めてだな……。

「そんな顔しなくても。大丈夫、会社で広めたりなんてしないから。こっちにまで飛び火しそうだし」

「……ま、そこは心配してないけどな」

 滝川咲奈という女性の人となりは、よく知っている。

 それに咲奈が言う通り、俺のそんな噂話は元カノである彼女にも飛び火しかねない。

 俺たちの以前の関係は、公言していたわけではないが、隠していたわけでもない。

 同僚たちも上司たちも、ほとんどが知っていた。

 当然、別れたことも。

 わざわざその話を持ち出してくる人がいないだけ、マシな職場だと思う。

 俺というより、咲奈に気を遣ってのことだろうけど。

「いきなり飲み会で文句とか言われない?」

「さぁな……でも大丈夫だろ、たぶん」

「まさか連絡してないの? それ、どうかと思う」

「仕方ないだろ」

「なにが?」

「……いろいろあるんだよ」

「いろいろ、ねぇ」

 連絡をしようにも、俺は彼女――花芳の連絡先を知らない。

 そのことに気づいたのは、出社したあとだった。

 昨日まではずっと部屋にいて、連絡の必要もなかったから抜け落ちていたのだ。

 そもそも彼女がスマホなどを持っているかも謎だし。

 今の時代なら、持っているのが普通なのだが、彼女がスマホを使っている姿は見ていない。

 正義の味方だって、スマホくらい持っていそうなものだけど。

 もし持っていないのだとしたら、ちょっと考える必要がある。

 安いものでもいいから、最低限の連絡手段は欲しいところだ。

「で? 結局なんなの、あの子」

「なんだよ急に」

 肘で小突きながら、咲奈が距離を縮めてくる。

 内緒話でもするように……というか、内緒話そのものをしたがっているのは間違いない。

 内容は、確かめるまでもなく居候のこと。

「見逃すのは一回だけ。今日はちゃんと教えて貰うから」

「……ずっと見逃しといてくれよ」

「上司としてそれは無理。会社を休んで女の子を連れ込んでた部下のことだし?」

「完全に誤解してるからな……」

「なら、教えてくれる?」

 薄々こうなる気はしていたんだ。

 あの状況を見て、気にならない人間なんてまずいない。

 とりあえずこの場で咲奈を納得させることが、今日の残業ってことになるらしい。

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