第13話

「とにかく、無事みたいで安心した。いきなり三日も休むって聞いたときは、さすがに驚いたし」

「俺もまさか、こんな形で初めて休むことになるとは思わなかったよ」

「繁盛期だったら、立場なかったかもね」

「そこはな、本当に良かったっていうか、不幸中の幸いってやつだろうな」

 ただの平社員とは言え、残業が増えてしまうような時期だったら、無理をしてでも出社しようとしていただろう。

 そういう意味ではこのタイミングで良かったと思う。

 いやまぁ、一度死んでいるらしいので、良し悪しを語るのはおかしな話だが。

「っていうか、あの子が看病してくれなかったらどうするつもりだったの?」

「そのときは……どうだろうな」

 事の始まりが彼女との出会いにあるだけに、もしもを考えるのは難しい。

 ――あの夜、自室で目覚めたときに俺一人だったら。

 ――蘇生をさせた段階で彼女が俺のもとから立ち去っていたとしたら。

 あの拷問みたいな痛みを和らげるすべもなく、一人残されていたとしたら、きっと正気ではいられなかっただろう。

 彼女も言っていた。

 本来なら目覚めるのはもっと後だったはずだと。

 身体の修復が完全に終わってから目覚めたのなら、あんなに苦しむこともなかったのだろう。

 まぁ、その場合は何日も意識を失ったままだったのだろうけど。

 となると、会社も無断で休むことになっていた。

「なんで笑ってるの?」

「ん、ちょっと考えたら、なんかな」

 もし無断欠勤が続いたら、どうなっていただろうか。

 その場合も咲奈は、こうして心配して様子を見にきてくれただろうか、なんて考えてしまった。

 咲奈が来てくれたことが、自分で思うよりも嬉しいのかもしれない。

 そんな資格はもうとっくに失くしたっていうのに、な。

「わけわかんない」

「俺もだ」

 懐かしい空気に、俺は苦笑する。

 咲奈も同じ空気を感じているのか、口元を綻ばせていた。

「さて、それじゃ私、もう帰るから」

 区切りをつけるように言って、咲奈は立ち上がる。

 俺もつられるようにして立ち上がった。

「せっかくだし、夕飯食ってくか?」

「なに、達明が作ったの?」

「まぁ、流れでな」

 余っていた野菜と肉を全部使ったので、量はそれなりにある。

 もし咲奈が一緒に夕飯を食べたとしても、十分足りるはずだ。

 キッチンのほうをちらりと見た咲奈は、すぐに向き直る。

「お誘いはありがたいけど、まさかでしょ。あの子と二人でどうぞ」

「変な言い方するなよ」

 そして茶化すように言って肩を竦めると、玄関へと向かった。

 先ほどまでの空気を引きずっているのは、俺だけだったようだ。

 当然と言えば当然だな。

 玄関で靴を履く咲奈の背中を眺めながら、静かに息をつく。

「じゃあ、また会社で」

「あぁ。わざわざありがとな。差し入れまで持ってきてくれて」

「大したことじゃないって」

 当たり前のことをしただけだと、その柔らかな表情が物語っていた。

 思わずホッとしてしまう笑みを残し、咲奈が玄関を開ける。

「――――っ!」

 そして、ここからでもわかるくらい、咲奈の両肩が跳ねた。

 何事かと思い、咲奈の肩越しに外を見る。

「…………」

 そこには無言で佇む女性――花芳がいた。

 静かな瞳が咲奈と俺の間を行き来する。

 それから彼女はするりと咲奈の隣をすり抜け、部屋の中に入ってきた。

「ずっとそこにいたのか?」

「はい。他に行くところもないので」

 てっきり近くをぶらついているのかと思ったが、まさか玄関の前にずっといたとは。

 ご近所様に妙な噂を立てられそうなので、できればやめて欲しかった。

「もういいんですよね?」

「ん? あ、あぁ、そうだな」

 当たり前の確認なのだが、なんだろうか。

 居心地の悪い気配を感じてしまうというか……。

 彼女の視線が玄関の外へと向かう。

 咲奈はまだ、そこにいる。

「…………」

 物凄くなにかを言いたげな目で、俺を見ていた。

 その視界には俺のすぐ隣に立つ女の子の姿も含まれているだろう。

 一応は納得してくれたはずだが、下手をしたらまた話し合うことになるかもしれない。

 が、咲奈は軽く鼻を鳴らしただけで廊下に出る。

「休んだ分、しっかり働いてね」

「お、おう、わかってる」

「ん、それじゃあね」

「あぁ、またな」

 まるで何事もなかったかのような態度で、咲奈は玄関を閉じた。

 途中まで見送るべきだったかと一瞬考えたが、たぶん必要はないだろう。

 そこまでするのはさすがに未練がましい。

「いつまでこうしてるんです?」

「っと、そうだな」

 見送りが終わったのだから、玄関にいる理由はない。

 彼女に促されて、俺は部屋に戻った。

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