第11話

「思ったより元気そうね」

「ん、まぁ、おかげさまで」

 テーブルを挟んで対面に座っている女性――滝川たきがわ咲奈さなにそう答える。

 会う約束なんてしていなかったが、訪ねて来た知人を追い返すわけにもいかないので、とりあえず上がってもらった。

 これ以上ないほど完璧に着こなしたスーツ姿から、仕事帰りなのがわかる。

 定時に上がり、会社から真っ直ぐにここを目指せば、丁度今くらいの時間になるだろう。

 問題はどうしてここに来たのか、その理由だが……。

「そうだ、なにか飲むか?」

「いい。すぐ帰るつもりだったし」

「そう、か」

 つもりだった、という言い回しに、俺のほうが喉の渇きを覚えた。

 なんだか無性に出かけたい気分だ。

 が、それは不可能なので現実と向き合う覚悟を決めた。

「で、どうしたんだ、いきなり」

 目的なんてほぼ一つしかないだろうけど、一応訊いておく。

「どうしたって、お見舞いじゃなきゃ差し入れなんて持ってこないでしょ」

 バカなのかとでも言いたげに、冷めた目で見られる。

 まぁ、いろいろ予想通りの答えだ。

 ちなみに咲奈が買って来てくれた差し入れは、冷蔵庫の中だ。

「わざわざ悪いな。でも、ちょっと体調が悪かっただけだって」

「私だって暇じゃないし、普通はお見舞いになんて来ないわよ。私たち、もう終わったんだからさ」

「あぁ、だから、なんでかなって」

 頷く俺に、咲奈はこれ見よがしにため息をついてみせる。

「けどね、学校も仕事も休んだことがないっていうのが自慢だった男が、いきなり三日も病欠で会社来なかったら、さすがに心配くらいするでしょ。知り合いとしても、同僚としても」

「……まぁ、そうだな」

 もう恋人ではないとは言え、咲奈の言い分はもっともだ。

 なにより、彼女がそういう人間だというのは、誰よりも俺が知っている。

 そういうところが好きだったわけだし。

 俺が一人暮らしなのももちろん知っているから、心配になったのだろう。

 正直、心配して来てくれたことは嬉しく思う。

 思うのだが……。

「できれば連絡くらい、入れて欲しかったかな、と」

 事前に連絡があれば断ることもできたし、問題の種を隠すこともできた。

 が、そんな俺の言葉に咲奈が半眼になる。

「スマホ、見てないでしょ」

「……そう、言えば」

 目覚まし代わりのアラームを止めた記憶がない。

 というか、昨日の夜からスマホは触っていなかった。

「返事があればね、私だってそんな心配しなかったんですよ、ねぇ?」

 頬に突き刺さる、おそらくは鋭い視線を感じながら、スマホを探して見つけた。

 どうやら昨晩、どこかのタイミングでソファに置いて、そのままだったらしい。

「悪い。充電、切れてたっぽい」

「相変わらずで」

「……悪かったって」

 付き合っていた頃も、同じことが何度かあった。

 ついギリギリまでは大丈夫だろうと、後回しにしてしまうんだよなぁ。

 スマホを充電器に繋ぎ、ざっと確認してみる。

 幸いにも咲奈からの数度に及ぶ連絡以外は、特にない。

 これで仕事に関する大事な連絡があったら、変な汗を掻いていただろう。

 まぁ、今の状況も別の意味で変な汗を掻きそうなのだが。

「……で? 心配してきてみれば……どういうこと?」

 まるでそれが本題だったかのように、咲奈の声が圧を増す。

 視線は俺から少し横に逸れたところに向けられているが、なぜか胸倉を掴まれているような気分だった。

 しかし、やっぱり説明は必要か。

 さすがに彼女のことを見過ごしてくれるほど、無関心ではないようだ。

 というより、気にしないほうがおかしい。

 病気で仕事を三日も休んでいた男の部屋に、見たこともない女の子がいるのだから。

 しかもその子は、いかにもこの部屋で生活しています感が溢れる服装。

 同じタイミングの来客で通すには、無理がありすぎる。

 おまけにその女の子は、この話し合いが始まる際、当たり前のように俺の隣に座ったのだから。

 あの瞬間、咲奈の眉がピクリと動いたように見えたのは、錯覚ではなかったのだろう。

「疑うつもりはないけど、本当に病気だったの?」

「本当だった。マジで仕事に行ける状態じゃなかったんだ」

「ふぅーん?」

 じっとりと絡みつくような咲奈の視線から、目を逸らさないように踏ん張る。

 ここで狼狽えたりしたら、あらぬことを疑われかねない。

 正しくは病気ではないのだが、外出できなかったのは本当だし。

 さすがに一度死んで、なんて話をするわけにはいかないので、ここはそれで通すしかない。

「まぁ、嘘ついてる感じじゃないのはわかるけど……でも、じゃあなんなの?」

 咲奈には関係ない、とここで言えるのは余程の無神経か、度し難い考えなしだけだろう。

 問題はどう説明すれば穏便に済ませられるか、ということなのだが……。

「本当は病気なんかじゃありません」

「って、ちょっ!?」

 ずっと黙っていてくれたのに、いきなり発言したかと思えば、とんでもない暴露をされてしまった。

「い、いや、これは違うんだ。なぁ咲奈、勘違いしないでくれ。な?」

 慌ててフォローを入れようとするが、咲奈の視線はナイフのように鋭い。

 次の発言を間違えたら、取り返しのつかないことになりかねない。

「そうですね。病気というのは嘘ですけど、勘違いはしないでください。全部、私のためなので」

「お、おいコラ!」

「達明、ちょっとうるさい」

「いやでもな――」

「うるさい」

 お前は黙っていろと、視線で喉を締め上げられた。

 懐かしさすら感じる怖い視線だ。

 そして当人をよそに、二人の視線がぶつかる。

 見えない火花は、きっと散っていないはずだ。

 そう願う。

「説明、してくれるの?」

「はい。そう難しい話じゃないですし」

「そう」

 先を促すように頷く咲奈から一瞬だけ視線を外し、彼女は俺を見た。

 なにを意味するのかはわからないが、すぐに咲奈へと向き直る。

「先日、私のせいで彼……佐原さんが怪我をしてしまって」

「怪我? 病気じゃなくて?」

「はい。私に原因があったので、ここで看病していました。病気ということにしたのは、私を庇うためだと思います」

 俺の心配をよそに、彼女は簡潔に説明した。

 下手な嘘は混ぜず、常識的な部分だけを抜き出して。

 だが、その説明で咲奈が納得するかどうかはまた別の話で。

「ちょっと、二人で話、させてくれる?」

 案の定、咲奈はそう言ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る