第3話

「あなたは一度、死んだんです」

 目を覚ましたあとに彼女から聞かされた話は、にわかには信じがたいものだった。

 至極当然のことだと思う。

 だってそうだろう?

 あなたは一度死にました、なんて……。

「じゃあ、君はもしかして天使――」

 あの瞬間、俺は混乱しすぎていて、きっと知能が著しく低下していたに違いない。

 だからそんなバカみたいなことを言ってしまったんだ。

 天使なのか、なんて言われて彼女がどんな顔をしたのか、俺は知らない。

 バカげたことを言った瞬間、身体中に痛みが走ってのたうち回るハメになって、それどころじゃなかったから。

 そのときの記憶は曖昧だ。

 麻酔なしで全身を切り刻まれているような、本当に気が狂いそうなほどの痛みに襲われていて。

 それを和らげてくれたのは、やっぱり彼女の温もりだった。

 十分……いや、三十分以上か。

 とにかく俺が落ち着くまで、それなりの時間がかかったと思う。

 彼女はその間ずっと俺にしがみつき、体温を伝え続けてくれた。

 あれがなかったら俺の意識は、どこかに飛んでいったんじゃないかと、今は思う。

 ようやく話ができるくらいに落ち着いてからも、彼女は手を握り続けていた。

「あなたを殺してしまったのは、私です。あのとき、弾き出された私があなたにぶつかって……」

 どうやら、彼女とぶつかった衝撃で俺は死んだ、らしい。

 目を伏せて話す彼女の表情は見えなかったが、罪の意識があるのは声色から伝わって来た。

 だからというわけじゃないけど、あまり詳細な話は聞いていない。

 断片的に聞いただけでも、ぶつかった衝撃で俺の身体はとんでもない状態になっていたようだし。

 自分がどんな風に死んだのかなんて詳細は、はっきり言って知りたくなかった。

 で、どうして死んだはずの俺が彼女と話せたのかと言うと、彼女が本当に天使だったから、ではない。

「私の力を使って蘇生させました。でも、肉体はまだ完全に回復していなくて……すみません。蘇生なんて初めてで、意識がこんなに早く戻るとは思ってなかったから」

 つまりは俺が早く目覚めすぎた、ということらしい。

 本来なら肉体の修復が完全に終わってから意識が戻るものだそうだ。

 なるほどな、なんて納得できたのは現実感がなさすぎたからだと思う。

 思考力が低下していたのもあるだろう。

 そこを差し引いても、彼女が天使か、もしくは不思議な力で蘇生してくれたのか、というのは等しく理解の範疇を超えていたし。

 そもそも死んだという話も信じていいのかどうか、そのときはわからなかった。

 全てを理解するのは、すぐに諦めた。

 最低限、現状を把握できればそれでいいと。

「どうして、俺の部屋がわかったんだ?」

「免許証があったので、それを見て……近場だったから」

「あぁ、なるほど……そりゃあそうか」

 免許証を見れば住所はわかるし、部屋の鍵だって俺が持っていた。

 蘇生させた俺を運ぶことができるなら、自室で目覚めた理由は理解できる。

「でも、どうやって俺をここまで? 誰か、他にも……」

「いえ、私一人です。それくらいの力は残っていましたから」

 さも当然のようにそう言った彼女を、俺はマジマジと見てしまった。

 だってそうだろう?

 どう見ても彼女は年下で、もしかしたら学生かもしれない若さの女の子だったんだから。

 一般的な体格の俺を、彼女のような女の子が一人で運べるとは普通思わない。

 それに対する彼女の答えが、正義の味方だから、だった。

 俺は彼女について知ることを、その時点で棚上げした。

 とにかく彼女の話が本当という前提にしないと、話が進まない。

「そういうわけなので、あなたがちゃんと回復するまで、面倒を見させてください」

 だからそう言われたときも、すぐ受け入れることにした。

 わからないことだらけの状況でも、間違いのないことはいくつかあった。

 死んだとか蘇生させられたとかは、ひとまず置いておくとして。

 気が狂いそうなほどの痛みに襲われたのは事実だったのだから。

 そして彼女が直接触れてくれると、その痛みが和らぐ。

 近くにいるだけでも効果はあるそうだが、直接触れるのが一番効果的なのだそうだ。

 正体不明の女の子を部屋にいさせるのは、色々とマズいのはわかっていた。

 だが、彼女がいないと痛みでのたうち回るハメになるのも事実で。

 今は大分良くなったが、昨日なんて本当に酷い有様で、彼女が少しでも離れた状態では、指先を動かすだけでも激痛に苛まれるほどだった。

 多少は回復したおかげで、数分程度なら離れていても平気にはなってきたけど、いつ痛みがぶり返すかと想像するだけで怖くなる。

「じゃあ、具合が良くなるまでは……その、よろしく」

「はい、こちらこそ」

 だから信じるとか信じないとかは後回しにして、彼女の言葉をそのまま受け入れることにした。

 どちらにせよ一人じゃ動くことすらできないんだから、なるようになれ、だ。

 幸いにも俺は一人暮らしで、彼女の存在を咎める人はいない。

 どうせ数日間のことだろうし、会社を休まざるを得ないこと以外に問題はなかった。

「で、君はえーっと……」

「……花芳はるか、です。年下なので、呼び捨てで構いません」

「それはまぁ、追々として……あ、俺は」

「佐原達明さん、ですよね」

「あぁ、免許証か……そう、佐原。少しの間だろうけど、よろしく」

「はい、こちらこそ。お世話になります」

「世話になるのはたぶんこっちだけどな」

 変に重い空気にならないようにと、俺なりに冗談を言ったのだが、彼女は笑ってはくれなかった。

 まぁ、俺の会話センスなんてそんなものだから構わないけど。

 とにかくそんなことがあって俺は、自称正義の味方である花芳という女性と、一緒に生活することになったのだ。

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