第40話 滞在


「冴島くん。本当に大丈夫?」


「うん。大丈夫」


 俺は変な奴が店で暴れたせいで巻き込まれた形で殴られてしまった。

 結果、鼻血だけで済んだが、被害届など出すつもりはない。

 その手続きをする暇があれば速水さんと少しでも長く過ごす方が大事である。


「ならいいんだけど。でもよかったね。店の人がサービスでハンバーガーのセットを貰えて」


「まぁ、そこは良かったと思うよ。おかげで食費が少し浮いた」


 俺と速水さんはその騒動から店に滞在して勉強をしている。

 夜の時間帯になり、客層は学生から仕事終わりの社会人に切り替わっていた。

 何時間も滞在しても店員に注意されないことを見れば結構、自由な環境である。勉強したい俺たちとしては嬉しいポイントだった。


「冴島くん。ここなんだけど」


「えっと、どれ?」


「ここ……」


 向かい合わせで座っているので教科書が逆さまになり読みにくかった。

 わざわざ教科書を反転するのも一々手間だと感じてしまう。


「ねぇ、冴島くんの横に座っていいかな?」


「あ、うん。どうぞ」


 速水さんは俺の横に座る。

 急に距離が近くなった。肩と肩がぶつかる距離感だ。


「やっぱりこっちがいいね。なんか不便だなって思ってさ」


「俺もそれは思った」


「えへへ。それでここなんだけど」


 なんか今日の速水さんはやけに親しみがあり、距離が近く感じた。

 この近さは兼近さんの比ではない。


「ん? 冴島くん。どうかした?」


「いや、何でも。そこなんだけど、こっちの方程式を使うと解けると思うよ」


「あぁ、なるほど。私もそうだと思ったけど、改めて冴島くんに聞けて良かった。じゃ、こっちの問題なんだけどさぁ」


 と、速水さんが俺の顔を見た時である。

 目が合ってしまった。ずっと速水さんを見ていたことがバレてしまったのだ。


「私の顔に何か付いていた? もしかしてケチャップが?」


「いや、何も付いていないよ。何も」


「なんか怪しいな。さっきから何か私に隠しているでしょ?」


 違和感を覚えた速水さんは俺に言い寄った。


「隠しているって別に何もないけど?」


「そうかな? 何か言いたそうな顔をしているのは気のせい?」


「気のせいだと思うよ」


「んー」と速水さんは見つめるように俺を直視した。


 眼鏡の奥から見えるその眼差しが可愛い。


「冴島くんが言いにくそうだから私が代弁して言ってあげようか?」


「え? 何を?」


「この間、冴島くんの家に行った時のこと」


「行った時ってもしかして」


「あの日、兼近さんが寝ている影に隠れてしたこと覚えている?」


「そ、それは勿論。記憶にも新しい出来事ですし」


「私に何をしたんだっけ?」


「えっと、それはその……」


「キス! それと胸も触ったよね?」


 速水さんは口元と胸元を差しながら言った。


「ちょ、速水さん。今、それを言いますか?」


「言うよ。女の子の胸を触ったんだもん。友達としてでもちょっとないかな」


「それは速水さんの許可があってのことじゃ」


「なーんて。嘘だよ。冴島くんは根が真面目だからからかっちゃった。ごめんね」


「は、速水さん」


「それでこの間の続き、いつしようか?」


 ボソッと速水さんは俺の耳元でそう呟いた。


「えっと。いつにしましょう?」


「じゃ、今度冴島くんの部屋に行くね。ただ、兼近さんが確実に居ない日に限るけど」


「わ。分かった。スケジュールを確認してまた調整しよう」


「うん。そうだね」


 時刻は二十時を過ぎていた。店内はガラーンと静まり返っている。


「さて。そろそろ帰ろうか。何だか疲れちゃった」


「そ、そうだね」


 片付けを済ませて長時間滞在した店内を出る。

 帰り道。少し歩いて分かれ道に差し掛かった。


「今日はありがとう。私の都合に付き合わせちゃってごめんね」


「いえ。いつでも誘って下さい。速水さんとの時間は常に楽しいので」


「そう言ってくれて私も嬉しいよ。嬉しさのついでに素晴らしいプレゼントをあげる」


「プレゼント?」


 速水さんはギュッと俺の手を握り、何かを握らせた。


「あげる。じゃ、またね」と速水さんはそのまま手を振って帰っていく。


 俺は手を広げてみるとそこには新品の消しゴムがあった。


「消しゴム? 嬉しくないわけじゃないけど、このタイミングで貰うのか」


 俺は貰った消しゴムをそのまま筆箱に入れた。意味を特に考えずに。

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