第15話  青いトンネルの向こうには

※この話からエピローグは「G線上のアリア」のバイオリン演奏を聞きながらお読みいただけるとうれしいです。おすすめは髙木凜々子さんの演奏です。https://www.youtube.com/watch?v=mpnLM322vJU

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今年の桜は少し早く咲き、蒔絵が荻島おきしまダイビングセンターを去る時にはもうほとんど散ってしまっていた。


佑斗ひろとさん、いろいろありがとうございました。私、佑斗さんと海に潜れてよかったです。この荻島の海の景色を私、忘れないです」


「琴子さん、私を本気で叱ってくれてありがとうございました。琴子さんのビンタ、凄く痛かったです」


「オーナー、私をかばってくれてありがとうございました。そして....父の友達になってくれてありがとうございました」


「蒔ちゃん、きっと今が踏ん張りどころだよ。がんばってね。荻島ダイビングセンターはみんな蒔ちゃんを応援しているからね」


琴子さんは鼻水を吹くのを忘れるほど泣きじゃくっていた。



「私、この荻島での想い出を胸にがんばります。 ..あの、最後に皆さんに私のバイオリンを聞いてほしいんです。明日の朝、もう一度バイオリンを持ってきます。今の私のバイオリンの音をみなさんに聞いてほしいんです」


・・・・・・

・・


翌日、蒔絵の演奏会は6:30の早朝に行われた。

なぜなら、彼女が演奏する場所はあの場所以外ないからだ。

沿岸の工事は進んでいたが、蒔絵と次郎さんのあの大岩はまだ手付かずに残っていた。


蒔絵が着ているのは俺と海に落ちた時に着ていたクラシカルなワンピースだ。

あの時と違うのは彼女の髪が後ろに束ねることが出来るほど長くなっていることだった。


バイオリンを持ちながらひょいひょいと身軽に岩を移動する。


そして岩の上に立つとみんなに会釈をし、大きく息を吸った。


ブン・・弓を弦にあてるとわずかに音が震える。


そして彼女は滑らかに演奏を始めた。


誰もがどこかで聞いたことのある曲。




その曲の名は『G線上のアリア』




かつて蒔絵の父・次郎さんも岩の上で何度も何度も練習をしたあの曲だ。



オーナーは目を赤くしながら涙を潤ませていた。


演奏しながら蒔絵は海に何かを見つけると、少し驚き、そして清々しい表情となった。


やがて体を海へ向けるとそのまま演奏をつづけた。


その音色はとてものびやかでやさしく、そして力強くもあった。


演奏に その音に 合わせるように海が穏やかに揺らめきながらきらめいている。


それはまるで彼女の未来を暗示しているように....



余韻を残しながら演奏が終わる。

深々と頭を下げた後、はにかんだ笑顔をみせる蒔絵に、みんなは惜しみない拍手を送った。



そして蒔絵は荻島を離れて行った。


・・

・・・・・・


あの時、蒔絵は海に何を見たのだろうか....


いや、もうわかっている。


あの時、蒔絵は『青いトンネル』みつけたんだ。


次郎さんは『青いトンネル』は都合よく現れないと言っていた。

でもそうじゃないのかもしれない。


『青いトンネル』は強く希望を持つ者の前に必ず現れるんだ。


そしてそのトンネルの向こうには、きっと彼女の望んだ未来があるに違いない。

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