その出会いは呪われている4

 ウィルフレッドに促され、シャノンは食事の席に着く。ほどなくして給仕係がワゴンにのせたアツアツの料理を運んでくる。

 上流階級の食事について、ぼんやりとしたイメージはあるもののマナーなど知らない彼女は、正直どうすればいいのかと戸惑う。そして迷いながら、正面に座るウィルフレッドの食べかたを参考にして食事を進めることにした。

 失敗したら恥ずかしいという緊張もあり、シャノンの手が少し震える。彼女のそんな様子を見たウィルフレッドが少し笑って気遣う。


「貴様がマナーを知らないのは生活環境が違ったのだから当然のことだろう。恥じる必要はないし、失敗しても叱ったりはしないから緊張するな」

「は、はい!」


 ウィルフレッドのその言葉で、シャノンにも食事を楽しむ余裕がうまれた。有り金を全部使い切ろうと考えていたとはいえ、ここまで高級な宿に泊まることも、こんなに豪華な食事をすることも二度とないかもしれない。そう思って彼女はこの機会を楽しまなければ損だと、気持ちを切り替えた。

 心に余裕が出てきたシャノンは、ウィルフレッドのグラスと彼女の前に置かれたグラスの中に注がれている液体の違いに気がつく。食事の内容に差別はないのに、ウィルフレッドのグラスには濃い赤い液体が注がれているのだ。一方のシャノンのグラスの中身は水だった。

 庶民に飲ませる葡萄酒はない。ということなら、そもそも食事の内容だって同じである必要はない。


(やっぱり私のこと、子供だと思っているわね……)


 とっくに成人していることを告げれば、あの葡萄酒を飲ませてもらえるのではないか。彼女はそう考えたが、このタイミングで年齢の話をするのは「葡萄酒をよこせ」と催促しているようではばかられる。シャノンは黙って食事を続けることにする。

 皿の上にあった料理が全て片づくと、二人はソファに移動してあらためて今後について詳しい話をすることになった。


「貴様が故意にその呪いを他人に移すつもりなら、とっくにやっているはずだと私は考えている。その点は信用しているが、不慮の事故という可能性を考えて今後は不用意に他人に触れられない魔術――――壁のようなものだが、そういったものをかけさせてもらう」

「はい、それは構いません」

「そうか。今すぐは無理だが、できるだけ日常生活に支障のない物を検討しよう。それは王都に行ってからだな」

「王都へ行くのですか?」

「そうだ。私はここへは視察で来ているだけだし、屋敷のほうが研究もはかどるだろう。……だが、私はあくまで王国に所属する魔術師で教師という肩書しかない。そのことは肝に銘じておけ。勝手な行動は最悪の結果を招く」


 そもそもウィルフレッドが解呪の研究をするのは完全な善意だ。シャノンのような庶民を拘束してあと二ヶ月間、他人に触れさせないようにすることなど、権力を持った人間にとっては簡単な話で、そうなるほうが普通だろう。


「……えっと、先生は権力を持った人間から命じられたら逆らえないということですね? そして、私は危険な存在だから王都の治安を守るお役人さんに捕まってもおかしくない?」

「理解が早い人間は好ましい。私が貴様を助けるのは研究目的だと思っていろ。私の力の及ぶ範囲での自由は、その対価だ」

「わかりました」


 シャノンの返答にウィルフレッドは満足気にうなずく。ウィルフレッドは決してシャノンのことを「絶対に助ける」とは言わないし、同情で助けるのだとも言わない。そのことが逆に彼女を安心させた。

 同時に、彼の話したことが彼の考えの全てではないということも理解していた。無責任な希望の言葉を口にしない。それは彼が優しい人だからなのだとシャノンは思う。


「明日は早朝に出立する。さっさと寝ろ……子供は寝る時間だ」

「私は子供ではありませんよ?」

「そうか? それは悪かったな。以後、気をつけよう……歯を磨いてから寝るように。悪いが、貴様にはソファで寝てもらう」

「大丈夫です。私は小さいですし、普段の寝床よりフカフカです」

「それから、先ほど話したが、貴様の周囲に結界を張る。朝まで出られないから手洗いには今のうちに行っておけ」

「は、はぁ……? わかりました」


 必要なことだから言うのだと理解できるが、女性に対し手洗いに行くように命ずる、どこかずれた気遣いにシャノンは戸惑うばかりだ。

 上流階級の男性が女性に優しくするのは当然のことなのかもしれないが、シャノンの知っている身分の高い男性は、平民に対しては男でも女でも関係なく横柄な態度だった。

 王都に住む本当に身分の高い人間というのは、下の者を卑下する必要がないくらいお金にも心にも余裕があるのだろうか。彼女はそんなことを考えながらおとなしくウィルフレッドの言うとおりにする。

 その後も枕の高さは大丈夫か、毛布一枚で寒くないか、毛布から足がはみ出している、と母親にでもなったかのようにシャノンをかまい、やっと就寝準備が整う。


「先ほど少し説明したが、念のため魔術で貴様の周囲に結界――――つまり、壁のようなものをつくらせてもらう」

「どうぞ、お願いします」


 ウィルフレッドがソファの下を見つめると、そこから光が漏れ始める。その光は文字や線を描きながらどんどんと大きくなる。そしてシャノンが寝ているソファよりも少し大きくなったところで、淡い光を放つ半球になり、彼女の周囲を取り囲む。やがて光がおさまると彼女はなぜかつるバラのドームの中にいた。


「透明にすると壁がどこまでかわからず、ぶつかる危険性があるだろう? 線状の模様を入れると牢獄のようだから花にした。……変な気分はしないか?」

「はい。なんだか少し暖かくてほわほわしますけど、大丈夫です」

「貴様も少しは魔力があるようだから他人の魔力に包まれた状態だと違和感があるはずだ。気分が悪くなったら遠慮なく言え。私は他人の魔力に敏感で、この魔術は貴様を外に出さないという目的だけではなく、私が貴様の魔力を無意識に感知しないようになっている。……そうしないと熟睡できないからな。私と行動をともにするなら、今後も似たような状態になると思っていろ」

「はい、わかりました! おやすみなさい、レイ先生」

「あぁ、お……おやすみ」


 その後、部屋の灯りを一カ所だけ残し、残りの全てを消すとウィルフレッドは浴室の扉の中に入っていった。シャノンは旅の疲れもありまぶたを閉じると一気に眠くなる。彼の魔力に包まれているせいなのか、体に残る香油のほのかな香りのせいなのか、呪いを宿してから彼女は初めて穏やかな気持ちになれていると感じていた。

 旅をして歩いているときはそうでもないが、夜の暗闇に包まれて瞳を閉じると、どうしても先のことを考えてしまうのだ。今日は出会ったばかりの不思議な人のことを考えていたら、嫌な気持ちにならずに眠れそうだ。シャノンにはそんな確信があった。


(本当に不思議な人……。それとも王都の偉い人は皆こうなのかしら?)


 村の近隣に住む偉い人とも、村の男の人とも全く違うウィルフレッドという人物。話し方は偉そうだが、平民にも優しく、風呂と食事と寝床を用意してくれるお節介な人。神経質なのに、異性に服を貸すことも同じ部屋で寝ることも気にしない人。彼の常識の基準がどうなっているのか、シャノンには全く理解できない。



(あれ、やっぱりおかしくないかな?)



 ウィルフレッドは紳士だ。よく考えると未婚の女性を同室にしていいという常識が上流階級にあるとはシャノンには思えなかった。旅の途中、よく安宿の大部屋に宿泊した。一番安い部屋は男女関係なく雑魚寝をするような大部屋だが、女性でそんな部屋に泊まるのは夫婦で行商をやっていて、夫がそばにいる人くらいだ。もし若い女性が希望しても宿の女将が拒否するだろう。男女が相部屋ということはありえない。そんな当たり前のことが王都の上流階級だけには通じないというのはさすがにおかしい。シャノンはそう考えて不安になる。


(まさか……!?)


 シャノンはウィルフレッドのこれまでの行動をもう一度思い出して、ある結論に達する。寝ていたソファから体を勢いよく起こしたとき、浴室のドアが開き、バスローブを羽織ったウィルフレッドが出てくる。

 一つしかない灯りに照らされたウィルフレッドは温まった体を冷ますためなのか、胸元が少しはだけているのも気にせずにシャノンの方に歩いてくる。意外と筋肉質な彼の肉体を見てしまったシャノンは、泣きたいほど恥ずかしくなる。


「貴様、明日は早いからさっさと寝ろと言ったはずだが?」

「ああああ、あの、あの……あの、あの」

「なんだ? 気分でも悪いのか?」


 蔓バラの向こうでウィルフレッドが怪訝けげんな顔をする。シャノンの顔が真っ赤になっていることは暗くて見えないだろうが、言動がおかしいことは伝わったのだ。

 彼は蔓バラの結界に手を触れる。すると触れた場所が一瞬だけ淡い光を放ち、結界が消え去る。


「どうした? 調子が悪いのではないのか?」


 ウィルフレッドが心配そうに眉間の皺を増やしながらシャノンの顔を覗き込む。


「いいえ! あの、レイ先生は私が成人女性だときちんと理解してくれていますよね?」



「…………今、なんと言った?」



「だ・か・ら! 私は成人女性なんですけど、ちゃんとわかっていますよね!?」

「……髪が短くて、ズボンを履いているのに?」

「それは、旅装束だからですよ! 髪を切ってからだって、一度も間違えられたことなんてなかったのに!」


 シャノンという名前は中性的な名で男性にも女性にもいる。それに裕福な暮らしをしていたわけではないから痩せていて、女性らしい体型かと聞かれればお世辞にもそうだとは言えない。


「……髪が短くて、ズボンを履いていて、胸が平たくてもか?」

「ぐっ!」


 シャノンは涙目になってウィルフレッドをにらむ。ウィルフレッドは動揺のあまりそれに気がつく様子もなく彼女のことをひたすら観察する。


「…………わかった。少し待っていろ」


 突然ウィルフレッドがきびすを返し、もう一度浴室の扉の向こうに姿を消す。ガサガサという音がしたあと、数分で戻って来た彼は先ほどまで着ていた服に着替えていた。

 再びシャノンの近くに戻ると、突然彼女を抱き上げて天蓋つきのベッドに運ぶ。


「な、な、なななな、何ですかっ!」


 丁寧な手つきでシャノンをベッドの上にストンと下ろすと、再び蔓バラの結界を張る。ウィルフレッドの表情は眉間に皺を寄せたまま、いっさい動くことはない。


「貴様がここを使え。私は別室に移動する。……では、ゆっくり休むように」


 あぜんとして返事もできないシャノンを残し、ウィルフレッドはそれだけ言って足音も立てずに部屋を出る。入り口の扉を閉める音を最後に、豪華な部屋から音が消えた。



『ドミニク――――っ! 貴様ぁ――――! なぜ、止めなかったぁぁぁ!?』

『……っ……じゃない……!』

『忠告はしただと? ふざけるなぁ!』



 防音効果の高い分厚い扉さえ意味をなさないほどの怒号がシャノンの耳に届く。先ほどまでの無表情はどうしていいかわからずに固まっている状態だったのだとわかって、シャノンは思わずふき出してしまう。誰にも聞こえないのをいいことに声をおさえることも忘れて彼女は笑った。

 しばらくウィルフレッドの怒号と正体不明のバチバチという音が聞こえたあと「ほかのお客様にご迷惑ですので」という女性の声を最後に再び静寂が訪れた。


 シャノンはその夜、本当に久しぶりに怖い夢を見ることもなく、ぐっすり眠れたのだ。

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