その出会いは呪われている3

 ウィルフレッドに連れられて、シャノンは魔術師協会から彼の宿泊している宿に移動することになった。中央通りを海に突き当たるところまで歩いた場所にあるその宿は、間違いなく高級宿だ。入り口にはドアマンが立っていて、薄汚れたシャノンのことを一瞬だけいぶかしげに見たが、ウィルフレッドの連れであることを察知し、すぐに何事もなかったように優雅な手つきで重厚な扉を開ける。


 宿のエントランスには白と黒の二色の大理石が使われていて、格子模様のコントラストがまぶしい。広いエントランスの先には緩やかな曲線を描く階段がある。吹き抜けになっている高い天井からは豪華なシャンデリアがるされ、ロウソクの明かりが灯されていない状態でも、圧倒的な存在感を放っている。

 ウィルフレッドの到着にエントランスにいた従業員たちが作業の手を止め、頭を下げる。従業員たちの動きを気にとめる様子もないウィルフレッドに先導されるシャノンは慣れないことに居心地の悪さを感じていた。


 建物の二階にある一室がウィルフレッドの宿泊する部屋だ。いったん皆でその部屋へと入る。

 エントランスとは違い、部屋の床は紺色の絨毯じゅうたんが敷かれた落ち着いた内装だった。天蓋つきのベッドに豪華なソファとローテーブル、ダイニングテーブルなどが置かれた部屋の中で、シャノンはキョロキョロとあたりを見回す。


「レイ様、もしかしてこの子をあなたの部屋に泊めるおつもりですか?」

「当然だ。監視しないわけにはいかないからな。……何か問題でも?」

「いいえ、そういうわけではありませんが、シャノンさんは、その……いいんですか?」

「えっと、私に拒否権ってあるんでしたっけ?」

「貴様にあるわけないだろう」


 それならば、聞かないでほしい。シャノンはそう思ったが口にはしなかった。

 二人の軍人の部屋はウィルフレッドの部屋の向かいにあり、それぞれ挨拶をしてから自室へと入っていく。

 二人きりになったところで、ウィルフレッドはシャノンを頭から足の先まで何度も往復するように見る。


「な、なんですか!?」


 不躾ぶしつけな視線にシャノンが抗議するが、ウィルフレッドは無視して話を切り出す。


「今後についてもう少し説明をしたいが、その前に風呂と着替えを。不潔は嫌いだ」

「そ、それは申しわけありませんでした! じゃあ、公衆浴場にでも行って来ます!」


 確かにウィルフレッドと比べたらシャノンは薄汚れているかもしれないが、旅人としてはむしろ清潔なほうである。年頃の女性に対し「不潔」と言い切るウィルフレッドに対しシャノンは憤りを覚え、同時に汚れていることが恥ずかしくなる。


「待て。自由にそのへんを歩かせることなどできないと言ったはずだ。風呂は部屋にある。着替えはあるのか?」

「お風呂が? 部屋に!? ……着替えはありますけど、今着ている服と大差ないですよ。綺麗な水で洗っているわけじゃないですし! 生乾きのままかばんにつめていますから」


 チェルトンに限らず、庶民の家には風呂などないのが当たり前だ。夏は川で水浴び、冬は沸かしたお湯をたらいに入れて汚れを拭うくらいしかやらない。

 旅をしている間はさすがに川で水浴びというわけにはいかなかったが、時々公衆浴場へ行く程度だった。洗濯は川か宿でもらうおけの水一杯で済ませて、生乾きの服をそのまま着て乾かすような生活をしていた。そんなシャノンにとって、宿の一室に風呂があるということは衝撃だった。


 メインルームから扉を隔てた所にあるバスルームは、大理石の床で脱衣所には清潔なマット、ラタンで作られたかごが置かれている。その中には厚手のタオルが置かれていて、洗面台の横にはさりげなく生花が飾られている。さらに奥の部屋が浴室でこちらは小さなタイル張りの床の上に金属製の脚の風呂が設置されている。


「うわぁ! すごい……。でも、お湯はどうするんですか?」

「従業員に言えば、すぐに運ばれてくるのだが、私がやったほうが早いから、今日はそうしよう」


 そう宣言をしたウィルフレッドが風呂のほうに手をかざす。すると、先ほどよりも大きな光の環――――『陣』が描かれていく。ほどなく水蒸気と一緒に大量のお湯が降ってきて浴槽を満たす。

 ウィルフレッドが慣れた手つきでお湯の温度を確認し、近くに置かれていた小瓶の中に入っていた液体を数滴たらす。すると風呂全体にすっきりとしていて少しだけ甘い、不思議な香りが広がる。


「すごい! すごい! 私こんなの初めてです。本当に入っていいんですか? レイ様」

「あぁ、そこまで喜ぶとは……。服は私の物を貸そう。大きいだろが、臭いよりはましだから我慢しろ。それと、貴様のような子供に『様』という敬称で呼ばれるのに違和感がある。貴様は私の生徒ではないが、『先生』と呼ぶように。そちらのほうがまだマシだ」

「わかりました。レイ先生」


 シャノンはもし解呪できたとしたらだが、もうじき二十一歳になるので、子供と言われたことに少し違和感がある。人の移動が少ない田舎で暮らしてきたせいでわからなかったが、もしかしたら実年齢より若く見えるのかもしれない。彼女はそう結論づけた。そんなことよりも早くお風呂に入りたかったのだ。


「これが石鹸せっけん、頭はこれで洗うといい。仕上げにこのクリームを髪に馴染なじませ少し時間を置いてから流せ。貴様のパサパサの髪が少しはましになるだろう。それから今、浴槽に入れたのは香油で、ラベンダーほか数種類のハーブが主原料だ。安眠をもたらす効果があってだな――――」


(説明、長いです。子供じゃないんですけど)


「――――いいか、熱いお湯に急に入ると最悪の場合、その衝撃で心臓が止まることがある。まずは体を清め何度か桶を使って自身に湯をかけてから湯船につかるように」


 シャノンはせっかくのお湯が冷めてしまうことが心配で、ウィルフレッドの話がまったく頭に入らなかった。


***


 いちおうウィルフレッドの指示どおりに体を洗い、髪にクリームをつけて馴染ませてから洗い流し、全身を清めてから湯船につかる。たっぷりと温かいお湯を一人で独占することなどシャノンにとっては初めての経験だ。

 慣れてしまったせいで、香油の香りをあまり感じられなくなったことがもったいない。

 体が温まると、シャノンはウィルフレッドのことを考えた。彼は少し顔が怖いが、もしかしたらとても親切な人なのかもしれない。怖いと思った顔も、眉間に皺があるだけで、それがなければ案外整っているし、淡い色の金髪は長く伸ばされていて、絵画の中の天使のようだと思う。不潔だと言われたことには腹が立ったが、こうして湯の準備をしてくれた。そしていとも簡単に、それこそ呼吸でもするかのように自然に魔術を使う彼ならば、自分のことを救ってくれるかもしれない。そんな期待がシャノンの中で生まれる。


(いけない! いけない! 私がこの二十日間で学んだことは『期待しない』ことだもの……)


 戒めのように、その言葉を心の中で唱える。彼女にとってウィルフレッドの存在は救いにはならない。そう考えた方が残りの人生を穏やかに過ごせるのだから。ウィルフレッドが可能性をくれるのだとしたら、それは心を壊す凶器でしかない。不確かな希望にすがりながら死を待つことはつらいのだ。


(やっぱり怖い人だ)


 シャノンは自分自身のためだけに彼を怖い人だと思うことにして、もう一度その身を浴槽の中に深く沈める。

 ゆっくりお湯につかっていると、慣れていないシャノンは少しのぼせてしまいそうになる。ふらつかないように気をつけながら浴室を出ると、脱衣所の篭の中にウィルフレッドの物と思われるシャツとズボンが綺麗にたたまれて入っていることに気がつく。

 そでを通すとかなりブカブカとしていて、すそは長い。あまり肉づきのよくない彼女の体には大きすぎる。皺のないシャツの袖やズボンの裾を折ることはためらわれるが、ほかにどうしようもなく、袖も裾も大きく三回折って引きずらないようにする。腰のベルトは彼女が使っていた物をそのまま使う。そうしないと三歩歩いたら脱げてしまうだろう。


「レイ先生ありがとうございました!」

「……ふむ。体は温まったか? それにしても貴様、ちゃんと食事はしているのか? 痩せすぎではないのか?」

「そうですか? 田舎の人間なんてみんなこんなものですよ。田舎の庶民を知らないからそう思うんじゃないですか?」

「そうか。貴様の言うとおりだな。私は諸事情により、行動に制限があるし今日のように外に出るときは監視がついているから庶民の暮らしには疎い。……失言だったな、謝ろう」


 シャノンは少し慌てて首を横に大きく振る。彼女が知っている身分の高い人間といえば、村の代表や領主に仕えている役人、織物の工場こうばの経営者くらいだが、こんなふうに簡単に謝る人間は初めてだ。不機嫌な顔で、大きな態度と話し方が標準装備ではあるが、庶民を見下すのとは少し違う。とても不思議な人だと彼女は思った。

 それと同時に「監視」というのはどういうことなのかわからずにいた。ドミニクという軍人は国一番の魔術師を護衛するために同行しているのだとシャノンは勝手に思っていた。けれどもウィルフレッドが彼らに対し使った言葉は「監視」である。たずねたら答えてくれることなのかもしれないが、会って数時間も経っていないウィルフレッドに聞いていいことなのか迷い、胸の内にとどめた。


「あの! 少しバルコニーに出てもいいですか?」

「かまわない。だが、少しにしろ。もうすぐ食事が運ばれてくるからな」

「はい!」


 いつの間にか、日の沈む時間になっていた。海のある南側に面しているバルコニーに出ると、波の音が心地よく響く。西に沈む太陽はもう見えなくなっている。だが、先ほどまでそこにあったのだという名残のように、沈んだはずの太陽が赤く空を染めていた。

 東の空は藍色だ。藍色に染まった空には早くも星が瞬いている。シャノンは藍色が好きだ。自分の瞳の色で、優しい思い出を残してくれた亡き母と同じ色。美しく優しかった母のことを思い出す、そんな色だ。


「綺麗……」


 海沿いの街道の方が便利なので、旅の後半はずっと海沿いの宿場町をとおってきた。でも、こんなに穏やかな気持ちでただ海を眺めるのはシャノンにとって初めての時間だった。

 秋の冷たくなった風が彼女の髪を乾かし、少し温まりすぎてしまった体を冷やしてくれる。


「もうすぐ、食事がくる。冷えるから中に入れ。それから髪は乾かさないと風邪を引く……びしょ濡れではないか! 愚か者が!」


 ウィルフレッドはシャノンの後ろに立ち予告なしに魔術で髪を乾かす。

 ふわりと頭全体が暖かい空気に包まれる感覚が心地よくてシャノンはついされるがままになってしまう。

 どこから取り出したか不明だが、乾いた髪に丁寧な手つきでくしを通されると、それまで不規則に跳ねていた彼女の髪は綺麗にまとまり、旅に出る前のような艶を取り戻していた。


「ふむ。少しはましになったようだ」


 国で一番の魔術師は、本当に息をするように魔術を使う。魔術師協会で相談料すら払えなかった庶民の髪を無料で乾かしていいのだろうか。気安く使いすぎではないのかと思いシャノンが笑うと、ウィルフレッドの口の端も少し歪む。

 まったく笑っているようには見えないがもしかしたらこれが彼の笑顔なのだろうか。そう思って見ていると不器用な笑顔が面白くて、シャノンはつい声を出して笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る