第4話

 結局あの後、すぐに自転車を降りた。

 上り坂を二人乗りで登れるほど、俺は体を鍛えてない。蝉の声をBGMにしながら、俺たちはどこまでも続きそうな長い坂を二人で歩いている。


「あっつい、暑すぎない!?」


「そんなの今にも始まった事じゃ無いでしょ」


 ぶつくさと文句を言いながら歩く彼女を横目に、重い足を頑張って進める事数十分、ようやく俺が昨日彼女を目撃した付近へとたどり着く。


「俺が昨日カゼヒメさんを見たのはこの辺ですけど……」


「おおー、町全体が見渡せて良いところじゃん。おっ私の家も見える」


 そう言われて悪い気はしない、好きなものを褒められるのは何だか気分がいい。


「よし! ここにしよう。人も居ないし、多分大丈夫でしょ」


 彼女はそう言うと、大きく伸びをする。そうすると同時に、何処からともなく吹く柔らかな風が彼女のスカートを揺らす。


 その姿を見て、これほど夏の青空の下で風に吹かれるのが似合う人が居るのだとつい感心してしまう。


「今からするのは、本当に秘密だからね。誰にも言っちゃあ駄目だよ!」


 俺は首を縦に振り同意する。心臓が高鳴る。俺は今から彼女が何者たるのかを、目撃する事になるのだ。


「見ててね!」


 彼女はそう言うと、まるで祈りを捧げるように両手を手を胸の前で組んだ。

 彼女が目を閉じる、それと共に周囲の音がぴたりと止まった。元気よく鳴いていた蝉の音も、さっきまで吹いてた風音も。


 まるで、ここだけ世界が切り取られたかのような……時間が止まってしまったような……。


 次の瞬間——ぶわっと強い風が彼女を中心に発生する。今まで貯めていた分を吐き出すような、強い風が。


 砂が舞い上がり、俺は思わず腕で目を覆った。

 そして、目を開けると、彼女の姿は何処にもなかった。


「おーい、こっちだよ、こっち!」


 俺は声の方向を探るために左右を見渡すも、何処にも姿は見つからない。


「ほら、ここ!」


 上を見上げる。そこには青々と広がる空を背景に、彼女が太陽のような笑みを浮かべて、こちらに手を振っていた。風に吹かれゆらゆらと揺れる白いワンピースは、まるで雲のようにみえる。


「ま、まじか……夢じゃなかったんだ」


「なに惚けてるの、行くよ!」


 彼女がそう言うと、再び強いが吹き俺の背中を押す。俺はたまらず、タタラを踏んでよろける。目の前にはガードレール。

 三度風が吹き、俺の抵抗も虚しく、遂には体が転落防止のために付けられた防護柵を乗り越えてしまう。俺は、次に襲ってくるであろう落下の衝撃に備え、目を閉じ、体を丸めた。


「うぉおおお!?」


 俺はたまらず声を上げ、まるで初めて水に浸かった子供のように、見っともなくもがく。


 しかし、いくら待てども感じるのは浮遊感のみで衝撃は襲ってこない。


「大丈夫、落ちてないよ。ほら! 目を開けてみて」


 優しい声と共にそっと肩を抱かれるような感触が伝わってくる。そう言われてみると、確かに落下してるような感覚ではない。まるで浮いているような……


「えっ」


 目を開ける。一面に広がるのは、青と白。いやこの光景を2色だけで語るのはあまりにも勿体ない。

 アオ、青、蒼。俺の持ち得る語彙では、多分景色の全てを表す事は到底出来ないだろう。

 でも、多分俺は今日、この場で初めて空色という意味を知ったんだ。


「どう? 凄いでしょ!」


 彼女は誇らしげに俺の顔を覗き込む。その頃にはもう恐怖心なんてものはなくなって、むしろ不思議な安心感に包まれていた。


「すげぇ、本当に凄いよ……」


 下を見れば、さっきまで今はずの町が見渡せる。山と山に囲まれて、視線を外せば見失ってしまいそうな、小ささだ。


 ああっ、俺が住む世界はこんなにも小さかったのか。

 そう思うと、ぶるりと体が震え、鳥肌がたった。


 俺たちはそのまま、手を繋いで雲の中へと飛び込んでいく。雲の中には光の粒がキラキラと輝いていて、それが顔に当たってパチパチと弾ける。


「あはははっ! 楽しいね。人と飛ぶのは初めてだったけど、こんなに楽しいんだ!」


「えぇえ!初めてだったんですか!?」


「気にしない、気にしない。ほら、次行くよー」


 そう言うと、不意に彼女は俺の手を離し、今まであった安定感がなくなり、空へと投げ出される。


「お前! マジか!」


 俺はそのまま重力に身を任せて、風を切り裂き自由落下をしていく。俺が必死の形相でいるその横では彼女が楽しそうに、きゃっきゃと笑っていた。


「大丈夫、風に身を任せて!」


 町の景色が近づいてくる。帰宅途中であろう学生が集まる駅、空の青が写し出される少し高いビルの窓、森の真ん中ある大きな神社の赤い鳥居。

 そのどれもが、まるでジオラマのようで、落ちる速度とは裏腹に俺の目へと焼き付いていく。


 そして、再びサッと風が吹いたと思うと、それに従うように俺たちの体はふわりと浮かぶ。


「どう? 風に乗ってみた感想は」


「さいっこう!」


 風に愛される、俺はその意味を少し分かった気がした。なるほど、確かにこれはそうとしか言いようがない。彼女の風と遊んでいるかのように、自由に空を飛ぶ姿は正に風の姫、カゼヒメだった。


 それから一通り、空の旅を楽しんだ後、俺たちは元の場所へと帰ってきた。


「ちょっとは私のこと見直したでしょ」


「少し所じゃないですよ、カゼヒメさんって凄い人だったんですね」


 俺がそう言うと、彼女は不満そうに表現を顔に浮かべる。


「それ、私嫌だなー」


 おいおい、今度は何がお気に召さないんだ、このお姫様は?


「今度は何が不満なんですか……」


「それ、その敬語で話すやつ! 私の秘密も知って、一夜を共に過ごしたんだから、敬語禁止! 後、さん付けも!」


 秘密は確かに知ったけど、一夜を過ごしたは語弊があるだろ。俺は抗議しようと思うが、彼女の瞳がそれを許してくれそうになかった。


「分かったよ……カゼヒメ」


「それでよし」


 満足気に笑う姿を見て思う。この人の機嫌は、急に吹いては、急に止む正に風のようだ、と。




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