ハンタースデイス

白井戸湯呑

日々の暮らし

 春――と言っても、冬が去ってから五、六週間ほど経った初夏も近づいてきた頃である。今年も長い冬を何とか乗り越え、多種多様な獣が目を覚ますこの季節が一年の中で最も注意すべき時期なのだ。冬眠明けの中から大型の雑食獣(丁度今回の獲物であるイヴァルドルゥのような生物)が冬眠のために施した糞詰まりをモリモゴケなどを食べることによって解消し、高エネルギーな食糧を求めて東の荒野からこの大森林へと侵入してくるためである。常よりも多くの獣が大森林の中を闊歩しているとは言っても、我々はそれを承知でこの大森林に根を下ろした者。通常であればそこまで大きな問題にはなり得ない。しかし、今回の冬越えは大変な寒波が続き、更には冬眠出来なかった獣が村の食糧を狙い襲ってくるというアクシデントが発生したために、未だ充分な備えを取ることが出来ていないという非情が現実であった。


 獣は狡猾である。ただの知恵比べでこちらに分があったとしても、こちらの肉体が奴らに比べて軟弱であることが知られては我らなどひと溜まりもない。だからこそ、可及的速やかな春備えが求められるのだ。そこで、森と共に生きる我々の生活には欠くことの出来ない生活必需品がある。それは、獣達の毛皮や骨といった素材である。獣に備えるために獣を狩らねばならないというジレンマ。わざわざ自らの意思で特に危険であるこの時期の大森林の奥地に足を踏み入れ、自身よりも幾倍も巨大な肉体を持つ獣と生死を懸けて争う。そんな生き急ぐようなことであっても、村と自分自身の生活のためにやらなくてはならないのが私たちのような狩人なのである。


 この時期の森に入る際の注意点として、あくまでも極めて個人的な考えであり村に住んでいる他の狩人はあまりやっていないことだが、擦れて音の出る金属製の物は身につけないことを薦める。獣は言うまでもないと思うが六つの感覚器官の全てにおいて我々を勝る。そのため、なるべく自然の中に存在しない音や香りを放つ物資は減らすべきである。私の場合であれば、愛用しているボルトアクション式歩兵銃と銃剣、それと銃弾以外には金属を使用する物は森に持ち込まないようにしている。金属の留め具の付いたベルトやポーチ、ブーツといった道具を着装すると、やはり自然界では鳴り得ない音を立てるため、それを聞きつけた獣が警戒し、感覚を尖らせてしまうのだ。そうするともう弾は当たらない。金属製の胸当てや籠手、肘膝当てなどは命を守るという点では装備しておくべきではあるが、やはり金属音が鳴るという欠点がある。どうしても心配なのであれば木製の装備を身につけるべきだが、私の意見としては装備は不要だと考えている。金属でも木製でも、この森に生きる生物、そのほとんどの爪や牙を防ぐことは敵わないのだから。通用するのは精々小型の肉食獣や人間相手の時くらいである。大型の獣に襲われたのであれば、覚悟を決めるか逃走した方がいくらか生存確率が上がるだろう。装備を着けて森に入るのは、初めて森に入ってから一、二年くらいのものだろう。


 森に入ったのであれば、まず初めにやるべきことは痕跡を探すことである。足跡や折れた枝、糞尿や捕食跡などなど、明日と今日の大森林の誤差としか表現出来ないような光景の違いに注意を払い、発見するのだ。どのような細かい痕跡であったとしても、ただのひとつでも見つければその道を通った生き物の高さと幅、体重くらいであれば判別出来るようになる。痕跡の種類や数にもよるが、性別や年齢もわかるものもある。詰まるところ、痕跡とはそれだけでその場所で起こった過去の出来事を振り返ることが可能な鍵穴であるということだ。そこに経験と知識という鍵を差し込めば、過去の扉は開かれる。ただ枝が折れているだけだとか樹皮に傷がついているという細かな変動にも気を掛ける。これは狩人だけに留まらず、大森林に入る者全員に当てはまることだ。危険というものは、出会う前から避けて通るべき道なのである。丁度今、そう古くないイヴァルドルゥのものであろう足跡を発見したので、記録しておこう。イヴァルドルゥの足跡の特徴は、何と言ってもつま先の少し先に抉ったような四つの穴が空いているところだろう。イヴァルドルゥは切り立った崖や樹木を登ることを得意とする四足歩行の中型雑食獣であるため、足場を力強く掴めるよう爪が巻いているのだ。そのため、この大森林のように柔らかな土の上を歩くと、他の生き物の足跡とは異なる独特な足跡が残ることになる。面白いことにこのイヴァルドルゥの足跡は、元の生息地である東方の荒野では驚くほどに目立たないのだ。自然の神秘というやつである。この足跡の主は、凹み方や爪によって出来た穴の様子から見て老いた雄のものだろう。他にも近辺を探ってみると、近くに辛うじて繋がってはいるがもう既に助からない様子の折れた枝を発見した。その枝の折れ目は未だに塞がっておらず、その様子と直感からして、あの足跡の主がこの道を通ったのはおよそ三時間から四時間ほど前のことだろう。


 私は今回の獲物を彼に定め、その痕跡を追っていくことにした。残された手掛かりが新しいものとなっていく毎に獣道から距離を取って行き、遂に足跡の主の姿をこの目で捉えた時には、その距離目測で百メートルにもよ及んだ。


 側にある樹木の幹に銃剣を刺して、肩から取り下ろした歩兵銃の銃身を銃剣に預ける。イヴァルドルゥは全身を硬い毛皮に包まれているため、発射された銃弾は毛皮に減速されてしまい肉の中で止まってしまう。しかし、仕留めるために何発も撃ち込んでしまうと毛皮が穴だらけになるため、価値が半減。下手をすると七割減に成りかねない。狩りの基本、LESSON1「一撃で仕留めろ」。狙うのは脳味噌か心臓だ。しかし脳は分厚い頭蓋骨によって守られていることが多く、頭蓋骨をすり抜けて脳を撃ち抜こうとすると眼か鼻、あるいは口内から弾を通す必要がある。しかし、眼球は小さく狙いを定め辛く、口内なんてとても狙えたものではない。ならば鼻から脳を狙えば良いと考えるだろう。だがしかし、鼻周りというものはあるとないとではこれまた大きく取り引き価格が変動してしまうのだ。鼻周りがあり毛皮に傷が少なくなると、もう少し都会の方のお偉いさんの家が鑑賞用  床に敷くとか何とか、別の狩人が話しているのを聞いたことがある  として高値で取り引きして貰えるのだ。命を頂くのだ。頂いた命を最大限に活用するのは、我々森と共に生きる者として当然の行動である。ならば、最大限に活用するための努力は怠ることが出来ないというものなのだ。。


 暴発の危険を考慮して抜いていた弾丸を込めて、ボルトを引く。弾丸が装填されたことを確認した後、アイアンサイトを覗いて狙いを定める。撃ち抜くのは心臓。弾丸を通すのは左肩後方。距離は五十メートル。イヴァルドルゥはこちらに気付いていないようだ。リアサイトとフロントサイトを合わせて覗くことで更に狙いを合わせ、同時に指を引き金に掛ける。狙いは一撃必殺でなければならない。着弾予想地点だけに全身の神経を集中する。耳の奥に響いてくる心臓の鼓動に耳を傾けて、血液が送り出された瞬間でリズムを取る。四、五回目の心拍で私の集中力が極限状態へと突入する。心臓が血液を送り出した瞬間に、自然、引き金に掛けられた指は引かれることとなる。力強い反動に押されるも、最早癖となっている全身を用いての受け流しを行う。大音量で鳴り響いた発砲された銃弾の行方を追ってみると、発射された銃弾は強力な回転エネルギーを纏いつつ狙い通りイヴァルドルゥの左肩後方へと呑み込まれるように突撃して行ってくれたようである。撃ち抜かれぐったりと倒れたイヴァルドルゥへと接近し、毛が寝ていることを確認する。今回も、何とか生き残ったのは私の方であったようだ。私はイヴァルドルゥの解体に入った。解体し終えたイヴァルドルゥは持てるだけを持ち、残りはこの場に置いて村へと帰る。残りは明日、村の人を数人引き連れてもう一度この場を訪れ持って帰るのだ。勿論その間に他の生物に食べ漁られるが、私たちは食べ漁られるた分は森に帰ったのだと考えるのだ。


                ――エドワード・ヴァレン「手記」より引用。




     *




『未だおらぬ息子に贈る』


 この手帳の一ページ目にはそう綴られていた。

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ハンタースデイス 白井戸湯呑 @YunomiSiraido

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