読書感想文 太宰治『トカトントン』を読んで

藤屋順一

太宰治『トカトントン』を読んで

 最初に、この作品を読むきっかけとなったのは、某小説投稿サイトで『トカトントン』から着想を得て書いたというアマチュア作家さんの短編小説を読んで興味が湧いたことからでした。

 僕はと言うと小説を読んだり書いたりすることを趣味としているのですが、国語に関してはかなりの不勉強で、太宰治先生の作品は『走れメロス』と…… 『羅生門』は太宰だったかな? と思って調べてみたら芥川だった。といったような知識しかありませんでしたが、この作品のタイトルである『トカトントン』という謎の言葉の響きになんだかよくわからない魅力を感じ、短編だし青空文庫で読めるのでちょっと読んでみようかな。と、こんな経緯で『トカトントン』に触れることになりました。


 この作品はまず、書き出しが「拝啓」となっていて、続いて「一つだけ教えてください。困っているのです。」と。つまり、誰かに当てた手紙という形で作品が始まります。すると、誰が誰に当てて書いた手紙なのか、というところが気になります。

 手紙なので、まずは差出人の自己紹介から書かれており、青森の寺町で生まれた二六歳の男で、中学校を卒業し三年間軍需工場で事務員として働いた後、四年間従軍してから、戦後母方の実家で郵便局員として働いている。などと身の上を宛先人に伝えています。

 一方の宛先人はというと、差出人が軍需工場で働いていたときに読んでいた小説雑誌に短編小説が掲載されていた同郷の小説家。つまり、この作品の作者である太宰治その人でした。

 この作品は作者がファンから貰った手紙の体裁で書かれているというわけです。


 僕はこの時点で、いやぁ、なんだか面白そうな作品だぞ。と思いました。とんでもない作品だな。とも思いました。

 なんの前置きもなく、いきなり「拝啓」とはじまって、続く自己紹介と手紙を書いた経緯の中で、宛先人である太宰と、太宰のファンである二六歳の郵便局員という登場人物が明らかになるわけです。

 小説を書いている経験上、どういった構成で舞台と登場人物を登場させるかというのは悩みどころなのですが、『トカトントン』では、読み始めるやいなや、いとも鮮やかな手口で手紙という舞台と二人の登場人物が読者に示されました。

 さすが、近代日本文学史で最重要人物の一人に挙げられる文豪ですね。言葉の性質を理解し、意のままに文章に綴っていることに驚嘆させられました。


 さて、その手紙の内容についてですが、郵便局員は太宰のファンではありますが小心者で、同じ町にいるとわかっていても会いに行く勇気がなく、用もなく手紙を書こうとしても何を書くかに当惑し「拝啓」と書いたまま筆が止まってしまうと告白していて、今回は火急の用事なので手紙をしたためた。ということで、作品冒頭の「拝啓」の後にある「一つだけ教えて下さい。困っているのです。」の正体が明かされていきます。


 ことの初めは昭和二十年八月十五日正午。厳粛な空気の中、郵便局員は終戦を告げる玉音放送を兵舎の前の広場に集められ並ばせられて聴いた後、空虚感とも喪失感とも取れる感情に打ちひしがれ死を思っていたところ、背後の兵舎から金槌で釘を打つ音が幽かに「トカトントン」と聞こえてきた。そうすると眼から鱗が落ちるように悲壮も厳粛も消え、きょろりとなって、白々しい気持ちで何の感慨も無くなったというのです。


 ここで、タイトルである『トカトントン』が登場します。よくわからない魅力を持つ謎の言葉『トカトントン』とは、この時に聞こえた金槌で釘を打つ音だったのですね。


 それから軍を離れ、郵便局に勤めることになった男は、ことあるごとに「トカトントン」が発作のように聞こえるようになります。それは物事に感激し奮い立とうとすると、どこからとも無く幽かに聞こえてきて、きょろりとなって、何ともはかない、ばからしい気持ちになってしまうと。


 郵便局員になって自由に好きな勉強ができるのだと、まずは軍隊生活の追憶を小説にして太宰に見せようと、仕事の合間を縫って、大いに努力をして、原稿用紙百枚近くに書き進めて、いよいよ今日明日のうちに完成だというところで銭湯に行って湯に浸かっているうちに「トカトントン」が聞こえて、原稿を見返してみるとばかばかしさに呆れ破り捨てる気力もなく鼻紙にしてしまったり、無気力になっている中で芸術に触れて精神生活が復活し、今度は労働こそが神聖なものだと、郵便局の円貨の切り替え業務で眠る間も惜しんで仕事に励んで、その最終日の朝の掃除を終えたところで「トカトントン」が聞こえて、途端に全てがばからしくなって自分の部屋に行き布団をかぶって寝てしまったり……

 その後、郵便局に貯金に来る旅館の仲居の花江さんに恋をしたり、労働者のデモに強く共感したり、郵便局で行われるスポーツ大会の駅伝に感動したりするのですが、そのたびに「トカトントン」聞こえてきて虚無に帰してしまう。そんなエピソードが書き連ねられています。


 実際に作品を読まないと分からないのですが、これらのエピソードの一つ一つにおいて、郵便局員の私的な物事への取り組みや情緒が非常に詳細に書かれているのがこの作品の特徴で、それは恐ろしく執拗な自分語りと言うのがしっくりくるかと思います。


 郵便局員は手紙の括りに、郵便局員は太宰にこの音は何なのか、この音を止めるにはどうしたらいいかを問い、そして、この手紙を半分も書かないうちに「トカトントン」が聞こえはじめ、つまらなくなりヤケになってウソばかり書いた。花江という女もいないしデモも見ていない。その他のこともたいがいであると告白し、ただ「トカトントン」だけはウソではない。として手紙は終わります。


 全くこれには驚かされました。今まで執拗に書かれてきた自分語りのほとんどがウソだといい、どこまでが本当でどこからがウソなのかも明らかでありません。

 ですが、手紙の通り「トカトントン」が本当であるのなら、これだけの長い文章を書けるはずもなく、その点を疑って読み進める余地はあったかなと思います。

 太宰はこの作品の構想段階で、郵便局員はこの手紙のどのあたりから「トカトントン」が聞こえているのかを設定しているはずで、読み返してみての僕の個人的な感覚としては、芸術に触れて精神生活が復活するあたりではもう「トカトントン」が聞こえていたのではないかと考えています。


 作品自体は手紙を受け取った太宰(明言されていませんが)の郵便局員への返信で締めくくられます。

 気取った苦悩であまり同情していない。いかなる弁明も成立しない醜態を避けている。真の思想は叡智よりも勇気を必要とするとして、最後に聖書のマタイ十章、二十八を引用し、その言葉に霹靂を感じる事ができたら君の幻聴は止む筈だと。


 僕が郵便局員の手紙の中で思うことは、結末が明確になることを無意識に避けているのではないか? ということです。それは終戦の玉音放送の後から、ということに示唆されており、ウソが含まれる各種のエピソードも結末の先が明らかにならないように「トカトントン」聞こえてそこで終わりになり、太宰の返信もその点を指摘した物になっています。


 メタな部分を含めた考察になりますが、この作品や『トカトントン』というタイトルは太宰が実際に受け取った手紙から着想されていますが、作品として、この郵便局員の手紙は実は太宰本人の鏡映しとして書かれているのではないかと思っています。

 それは手紙の中で「他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから」とある通りです。


 読み終えた全体的な感想としては、太宰先生やりたい放題だなぁ。という感じです。

 言葉や文章の持つ可能性を最大限に活かそうとする純文学の力、まさに筆による暴力ですね。

 僕もこのような作品が書けるようになりたいなと思いながら、どうか「トカトントン」が聞こえませんように。

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