第7話 白狐


 「そ! ……なんだ。きつねか」

「ただのきつねではないぞ。白狐びゃっこじゃ」

「きつねは、きつねじゃ。何用か」

「ちと、知りとうてのう。なにゆえ、汝は、さゆりに近づく男にたたるのか」

「ふん。けものにはわからぬ道理よ」

「けものの身として、知りたい。誰が誰とつごうても、かまわぬではないか」


「これだから、畜生は……。まあよい。さゆりに近づいてくるのは、ろくでもない男ばかりだからじゃ。わがめがねにかなわん。妾はただ、さゆりの幸せを願うておるのみじゃ」

「ろくでもない男でなければ、祟らぬのじゃな。さゆりに、幸を導く男であれば、汝は、引っ込むのじゃな」

「そんな男がおればな。さゆりに見合う男なぞ、おるものか」

「それじゃ、さゆりは、ずっと、独り寝か」

「妾がついておる」


「しかし、汝は……魔物に男も女もないか。じゃが、汝に、マラは、ないのう」

「こら。匂いを嗅ぐな」

「マラなくば、さゆりが、かわいそうではないか」

「そんなものなくてよい。さゆりには、わが能うる限りの幸せを授けた」

「なんじゃ、その幸せとは」


「……むかし語りじゃ。昔、わらわがまだ、髑髏どくろ|じゃった頃……」

「髑髏だと? いつの話じゃ、それは」


「なに、ほんの一昔前のことよ。この身のしばし|化野あだしのにありし時、わが右の眼窩がんかの下から、クマザサが生えて来よった。痛うて痛うて、たまらぬ。右目だけではない。頭全体が、割れるように痛むのじゃ。畜生に、この苦しみがわかるか?」

「そもそも、頭が痛んだことがないからな」


「単純な奴よのう。うらやましいぞ。そこへの、まだほんの子どもだった、さゆりが来たのじゃ」

化野あだしのへ、そんな子どもが、か?」

「糸ばあさんが、連れて来たのじゃ。あの婆は、変わり者じゃった」

「霊魂と話せるのだったな。そういえば、あの婆も、妙な死に方をしたな」

「こっちを見るな。だいぶ前の話じゃ」

「だいぶ前ねえ」

「続きを聞きとうはないのか」

「おう、聞きたい。聞きたいぞよ」


「……笹を抜いてくれと、妾は頼んだ。しかし、あの婆、知らぬふりをして、通り過ぎようとする。その袖を引いて、かわいそうじゃ、気の毒じゃと言うてくれたのが、さゆりじゃ。かの女は、わが苦痛を、取り除いてくれた。お礼にな。妾はさゆりに、わが持てる限りの美を授けた」

「さすれば、さゆりの、あの美貌は……」

「おうよ。わがしゅよ。わが呪によりて、さゆりはかくまでうつくしいのじゃ」

「気の毒に……」

「気の毒? 何を言う。妾はさゆりに、わがあたうる限りの幸を……美を、授けた」


「うつくしいは、不幸じゃ。外見しか見てもらえんからな。魔物を助けたばかりに、気の毒な――」

「黙れ。黙れ黙れっ。さゆりは、わが造り出したるうつし世の珠、畢生ひっせいの傑作ぞ」

「わからぬな」

「きつねになど、わかってもらえなくともよいわ。往ね! 往ね!」


「さゆりはな、恋をしておるぞ」

「こ、恋、だと?」

「さよう。恋じゃ」

「けものといえど、嘘は許さぬぞ」


「ほ、怖、怖。嘘と思うなら、さゆりの文箱ふばこをのぞいてみるがよい。螺鈿らでんを巻いた、百合の花模様のじゃ。やけどをしそうな恋文が、大事に大事に、仕舞われてあるからの」

「妾に内緒で……。い、いつの間に……」

「さゆりとて、魔物に報告の義務はなかろう。汝は、月のものが始まったのも、知らされなかったではないか」

「……」


「どうせ今度の男も、魔物のめがねに叶うまい。しかし、今回は、いつもと違う。なぜかわかるか?」

「わかりたくもない」

「さゆりの方から、仕掛けた恋だからじゃ」

「なに? さゆりから?」

「やはり、マラの欠けた身では、不足ということよ」

「下品な。失せろ」


「かんら、からから。かんら、からから。かんら、……」

「笑うな。きつね、失せろ!」


「かんら、からから。かんら、からから。かんら、……」

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