第2話 国司


 おや。どこへ行ってしまったじゃろう。

 さきほどまで、わしを案内してくれていたわらわは……。


 なにやらけったいな屋敷じゃな。

 やたらと廊が長い上に、半蔀はじとみが閉め切ってあるから、月の光も届かぬ暗さじゃ。

 自分の鼻先も見えぬわい。

 今宵、儂が来ることは、糸刀自とじも、ご存じであろうに。

 なんと、愛想のない……。


 うわっ。

 ……猫か。

 ああ、驚いた。

 危うく踏み殺すところじゃった。

 これ、そのような目で、見るでない。

 暗がりで、目ばかり光りおって。

 おお、気味が悪い。

 いやじゃ、いやじゃ。


 ……。

 噂では、さゆりの君は、光り輝くほどの美形とか。

 それに、まだ手つかずの純真無垢。

 糸のばばさまと、昵懇じっこんのわしだからこそ、つかめ得た、この幸福。

 ふふふ。

 まったく、どのような味の良さであろうの。

 これぞ、色好みの理想というもの。

 そう思えば、この暗さも、屋敷の不気味さも、風情があろうというもの。


 ……。


 しかしのう。

 女の童はいなくなってしまうし、猫は出るし。

 何やら、ちょっとばかり、うんざりしてきたのう。


 おおっと。

 足が、ぬるっと。

 ありゃまあ、床板がぬるぬるするわい。

 何か、こぼしたのか?

 こう、暗くては、足元も見えぬ。


 おう、御簾みすの向こうに、紙燭しそくの灯が……。

 人の気配……?

 若い女ではないな。抹香まっこう臭い匂いがするわい。

 してみると、ここは、糸刀自の、居所きょしょ

 ちょうどよい。

 この婿むこあしらいに、一言、文句をつけてやらねば。


 糸殿。失礼つかまつるぞ。


 おや、文机ふづくえに向かっておられるのか?

 向こうをむいて、うたたねか。

 人を呼んでおいて、 いい気なものじゃの。

 これ、糸殿。

 礼を違えてはおられませぬか。

 客人を回廊に置きっぱなし、しかも灯もなしときた。儂は今まで、このような非礼に出会うたことはございませぬぞ。

 糸殿!

 ……ぴくりとも動かぬ。

 年も年じゃ。よもや、ぽっくりいっておるのではあるまいな。

 この年齢なら、遠慮はいらぬ。つぼねの内に男が入っても、文句はなかろう。


 どっこいしょ。

 あれ、さっきの猫が、こんなところに。

 おや、何か舐めていたようじゃ。口の周りが……。

 紙燭の灯では、充分に見えぬな。

 糸……ど、……。

 うわあ。

 うわうわ、うわあー。

 く、く、く……。

 くび、くび、くびが、ななな、な、な、な……。

 ねこねこねこねこ!


 ふふふ。


 ばばさまのくび。千切れて飛んだ。

 しらがの頭、遠くにねた。

 灯の陰で、にゃあにゃが、なめる。

 まあるい頭の、お首の切れ目を。


 うふ。うふうふ。

 うふふ。

 はははは、は、はははは。

 あーっはっはっはっは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る