第18話 今日はまだ、弓弦葉とは会話できていない…

 貴志湊きし/みなとは色々なことを思い、放課後の今、活動している。

 学校近くのランニング場を、部員らと共に走っていた。


 弓弦葉の件についてはどうすればいいんだろ……。


 昨日の出来事が、脳裏をよぎる。

 今日の授業中も、そればかり考え込んでしまい、集中できていなかった。


 湊はランニング部の練習として、トラックを十周している最中である。


「……」


 湊は先を走っている弓弦葉の背を見る。


 彼女は普段通りに練習に励んでいるものの、ちょっとばかり印象が違う。そんな気がした。


 今日はまだ、藤咲弓弦葉ふじさき/ゆづるはとは会話していない。


 校舎にいる時は、元から教室が違うこともあり、出会うことはなかった。昼食時間も廊下ですれ違うことなく、中庭で見かけることもなかったのだ。


 部活開始時も、彼女の方から話しかけてくることすらなかった。


 弓弦葉も悩んでいることがあるのだろう。


 湊の方から話しかけようとも思ったが、昨日の出来事を思い出し、踏み止まっていたのだ。


 昨日の夜。弓弦葉が湊の家から立ち去る時に、婚約者らしき人物が乗用車で迎えに来た。

 婚約者は、湊と同い年ではなく、十歳ほど、離れているような人。

 それは乗用車の窓を通して、わかったのである。


 やはり、弓弦葉は今後のためにも、婚約者と付き合った方がいいのかもしれないと思った。


 湊の速度はゆっくりと落ちていく。

 気分が低迷していることで、それが顕著に表にも表れてきたらしい。


「湊先輩ッ、なんか、さっきから遅いですよ。もっと真剣に走らないと」


 背後から近づいてくる存在。

 その子から声を掛けられる。

 ランニング専用の運動着に着替えている高井紬たかい/つむぎが、湊の隣を走り始めた。




「紬か」

「なんですか、嫌そうな顔して」

「別に、そういうわけじゃないんだけど」

「元気を出した方がいいですよ。今のままだと、走っていてもつまらないですよね?」

「まあ、そうだけどさ……」


 湊は考え込んでいた。

 が、ふと、右の方を見やると、走ると同時に揺れ動く、爆乳が見えたのだ。


 Tシャツに隠れている二つの膨らみが、ハッキリと湊の瞳に映る。

 悩んでいたとしても、爆乳の存在に、ドキッとした。


 やはり、どんなに苦しくても、おっぱいが救世なのかもしれない。


「湊先輩、なんか、エッチな視線を感じるんですけど?」

「あ、いや、そうじゃないんだ」

「でも、いいですよ。ほら」


 紬は走りながら、湊に見せつけるように左手で胸を触っていた。


「やめろって、そういうのはさ」

「湊先輩は、それが目的だったんじゃないの?」

「ち、違うから……」


 湊は気まずげに言い。走っている熱さと違う、緊張感の熱さに苛まれていた。


「悩んでいるなら、なんでも言っていいですからね、相談には乗りますから」


 紬は愛想良く、笑みを見せ、ウィンクする。


「耳を貸してくれませんか?」


 湊は一旦立ち止まり、右にいる彼女の身長に合わせ、少し膝を曲げる。


「他にも色々と、お世話してあげますので、色々とね♡」

「――⁉」


 何を言われるかと思ったら、意味深なセリフだった。

 余計に体が熱くなる。

 変に意識してしまい、彼女の方を見ることができなくなったのだ。


「では、お先にしますから。あと私、湊先輩よりも一周リードしているので頑張ってくださいね」


 紬は速度を上げ、背を見せ走り去っていく。


 湊が困惑し、佇んでいると――


「ねえ、あんた、邪魔なんだけど。そこで立ち止まられると本当に走りづらいから」


 湊はハッとする。

 ここはトラックの中。


 湊は右を見ると、強気な姿勢を見せる石黒楓音いしぐろ/かのんがいた。


「ただでさえ邪魔なのに」


 不満そうな言葉を漏らしている。


「ごめん……」

「謝るくらいなら、ちゃんと走ればいいのに、本当に邪魔」


 楓音から、いつも通りのディスりを入れられる。

 彼女は不満そうな溜息を吐いたのち、余計なことを言わず、そのまま走り去っていった。

 これって……皆に一周リードされ始めている?


 考えてみれば、湊は考え込み過ぎていて、今の練習と向き合っていなかったことを実感する。

 湊はひたすら走り続けることにした。




「湊も十周走り終わったことだし。じゃ、十分の休憩な」


 宮原世那みやはら/せな先輩がいつも通りに、部員らを仕切っていた。


「それと、湊。ちょっと話したいことがあるんだけど」

「なんでしょうか?」


 湊は先輩がいる元へと、歩み寄っていく。


「湊が決めた練習表だけどさ。もう少し、このような感じにスケジュールを構成した方がいいと思うんだけど? その方が、効率よくないか?」


 世那先輩は練習表を手に持ちながら、湊に問いかけてくる。


「そうですかね?」

「逆に、湊は、この練習手順でやっていけるか?」

「……やっぱり、難しいかもしれないですね……」


 現実的に考えて、練習の予定の立て方が少しズレているような気がした。そのことに、先輩に言われてから気づいたのだ。


 構想上では、問題ないかもしれない。

 けど、実際にやるとなった場合、変にハードすぎる練習になってしまうだろう。


 スケジュールを立てる場合、ただ、練習内容を時間に当てはめるだけではない。皆がどうしたら、違和感なく練習に取り組めるかを考えないといけないのだ。


 臨時監督になって、一週間程度の湊にとって、皆のことを意識したスケジュール管理は、そうそうできるものではないだろう。


 湊は新しい悩みに直面し、頭を抱えた。


「まあ、湊がスケジュールを管理するのは、先生の都合がつくようになるまでの間だけだけどさ。もう少しできるようになってほしいかな」

「すいません……」

「急に言われてもわかんないと思うけどさ。頑張ってくれよ」

「はい、わかりました……」


 誰かが監督にならなければ、彼女らが部活に取り組めなくなる。

 スケジュール管理というのは、彼女らが円滑に活動に取り組むためには必要なこと。


 湊は、彼女らに対し、疚しい問題を抱えているのだ。

 爆乳な彼女らの肌を見てしまった。その責任は感じている。だから、もっと真剣に、監督として、彼女らと向き合おうと思った。




「すいません……」

「なに?」


 湊が世那先輩と一緒に話し込んでいると、弓弦葉から話しかけられる。

 湊はドキッとした。

 まさか、ようやく話しかけてきたのかと、体を強張らせてしまったのだ。


 湊は弓弦葉の方へ、体の正面を向けた。


「私、世那先輩に話があって」


 なんだよ……世那先輩の方かよ……。

 残念な気持ちと、安堵の気持ち。その複雑な心境になった。


「世那先輩。その、今日は、そろそろ帰ってもよろしいでしょうか?」

「え? もう帰るの? まだ、部活が始まって、三十分だよ? 早くないか? 具合でも悪いのか?」

「そういうわけではないのですが……私、家庭の都合で、ちょっと色々ありまして……」

「家庭の都合か。じゃあ、しょうがないな。それで、具合は大丈夫なんだよな?」

「はい……皆には心配かけますが……今日はここで」

「しょうがない。今日は特別に帰ってもいいよ。それで、今週中はどう? 普通に部活に来られる?」


 世那先輩は彼女と向き合うように、やり取りを行い始める。

 湊はただ、二人の話を聞いているだけになっていたのだ。


 その時の弓弦葉の瞳は暗かった。

 悲しそうな感じであり、その視線が一瞬だけ、湊の方へ向けられていたような気がする。


 湊が弓弦葉を見やった時には、彼女は、制服に着替えるため、小さな建物の方へと駆け足で向かっていた。

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