幸せの暖かい銃

鍋谷葵

幸せの暖かい銃

「朝起きても一人ぼっち、死んでみてえな……」


 薄暗いビルの路地裏で、ある酔っぱらいは目をこすりながら腹に籠るアルコールの不快感に負けず立ち上がる。酔っ払いがいつから路地裏で寝ていたのか、それは酔っ払い自身にも分からない。酔っ払いが分かることと言えば、今日の昼頃ろくでもないことが起こって、夕方から安い焼酎を飲み続けたことくらいである。しかし覚えていることはそれだけである。

 質の悪いアルコール特有の気持ち悪さに苛まれる酔っ払いの体は、平衡感覚を失っており、真っすぐ立つことが出来なかった。ぐらつく視線と痛み頭に苛立ちながら、酔っ払いはいたずら書きと、油汚れと、鳥の糞に塗れた汚らしい壁に背中を任せる。上等そうな黒いスーツが汚れることは気にしないらしい。


「クソッタレ、煙草もねえや」


 ありとあらゆるものが、ぐらつく中で酔っ払いはスーツの胸ポケットを探るが、何も得られない。アルコールに毒された脳に、ニコチンの快楽をあたえることは出来ない。これに酔っ払いは苛立ち、ほんの数十センチ先の汚れたコンクリートを蹴り飛ばす。


「いって……」


 蹴り飛ばしたところで酔っ払いの足が、ビルの壁を傷つけることは出来ない。むしろ作用反作用の法則により、酔っ払いの体に痛みが返ってくるだけである。

 痛みはある程度酔っ払いの酔いを醒ましてくれる。虚しい音は、苛立ちを虚無虚無しさに換えて酔っ払いに正気を取り戻させる。今自分が摩天楼の隙間で何をしているのか、そして今後自分が何をすべきなのかを痛みは教えてくれた。


「弔い合戦か? 下らねえ、馬鹿じゃねえの。仕事だろ?」


「yes」


「下らねえ。クソゴースト野郎」


 悪態と自覚に際し、男の背後には半透明の異形な髑髏が現れ、ぼそりともっとも簡単な部類の単語を発する。六つの目と三つに分かれた口は、見る者すべてを恐れさせるであろうが、酔っ払いは恐れるどころか悪態を吐いて見せた。

 酔っ払いの反応に対して異形な髑髏は、けらけらと笑う。声帯がどこにあるのか、どうして骨と骨が干渉する音が鳴らないのかは分からない。ただし髑髏は笑っているのだ。


「おい、ゴースト野郎。やろうぜ、早くよ、また若いお嬢さん共が死ぬのは見てられねえからよ。鷲に目をほじくられて、蛆に肉を食われるのは俺だけで良いんだ」


「yes,yes,yes」


 髑髏の笑い声に合わせ、酔っ払いも笑い出す。青髭とクマ、じっとりとした汗にまみれた疲労の顔は皮肉気な笑みで飾られる。同時に骸骨もまたケラケラと笑い声を、大きくする。

 路地裏に二つの奇妙な笑い声は良く響く。そして、この奇妙な笑い声に誘われたのか、一人の女性が路地裏に現れる。


「あら? へえ、もしかして彼女のお仲間さんかしら?」


 薄手の黒いドレスをほっそりとしながらも豊満な身に纏う長く、艶やかな黒髪が特徴的な女性は含みのある笑みを酔っ払いに向ける。


「お仲間という訳じゃねえよ。ただの同業者だぜ、ベイビー」


「それにしては随分とお怒りの様子じゃない」


 女性の言葉に酔っ払いは、声高な笑い声をあげる。顔に手を当て、空を仰ぎ、品の無い野太い笑い声を路地裏に響かせる。

 自身の言葉に対して過剰な反応を見せる酔っ払いに、シックな女性は一歩退く。彼女にとって酔っ払いの声色は、不気味な雰囲気を纏っている音らしい。同時に何か、こう、生理的な拒絶感を覚える音でもあるらしい。

 女性にとってモスキート音のような笑い声を上げる酔っ払いは、ひとしきり笑い終えるとうつむいた。そして、ため息を吐き出す。


「なあ、おい、煙草持ってねえか? なんだっていい、わかばだって、パーラメントだって、ショッポだってよ」


 再び虚無感に襲われた酔っぱらいは、うつむいたまま首をねじって女性の方に負け犬のような顔を向ける。


「……ごめんなさい。私、煙草吸わないのよ」


「そうか、そうかよお。これじゃあ良い最後じゃねえな」


「誰にとって?」


「そりゃあ、お前、俺にとってだよ。俺はそんな強くねえんだよ。弱いし、ゴースト野郎に頼らねえと手前らバケモンと戦うことも出来ねえくらい弱えんだ」


 曲げた首をぐったりと上げ、酔っ払いは手入れしてない白髪交じりの黒髪をぼりぼり掻く。そして難儀そうに深い溜息を吐き出し、自らの背後で未だケラケラと笑い続ける異形な骸骨に視線を向ける。

 まるで自分のことを見ていないような立ち振る舞いをする酔っ払いに、女性は青筋を立てる。自らを弱いと自虐しておきながら、命乞いもしない命知らずな大馬鹿者に対し、カツカツとハイヒールの靴底を鳴らす。


「そんなに苛立つなって。こんなド三流バケモンハンターに、キレたって何も出ねえぜ?」


「そういう余裕ぶった態度がイラつくのよ。強者を前にして、驚くほど平然とした態度を取る弱者が酷くむかつくの。初めから負けてる負け犬野郎は、慄いて、ひれ伏して、泣き声を上げて、十字架に祈って、情けなく命乞いをしなきゃダメなのよ」


 フレストレーションに満ちたいかにも悪役な言葉を女性は、スパンの短い靴音をリズムに合わせるかのように紡ぐ。彼女のあまりにも悪役らしい言葉に、酔っ払いは苦笑いを浮かべて、後頭部に回していた手を頬に回して、人差し指でポリポリと掻く。


「そうかあ、まあ、そうだよなあ。弱い奴を食って生きてる奴らだもんなあ」


 顔の垢が爪に入って不快感を覚えた酔っ払いは、今度は青髭塗れの顎を摩り始める。じょりじょりと掌に髭の違和感を覚えさせながら、ただでさえ面倒くさい現状と、その面倒くさい状況がこれから先も永遠と続く状況に鬱々と独り言を呟く。

 何らかの信念をもってして敵対しているはずなのにもかかわらず、酔っ払いの言葉からは信念が感じられない。虚無感だけが感じられる酔っ払いの言葉に、敵対者は違和感を覚える。曖昧な信念の下、どうして自らの命を危険な事業に賭しているのか彼女には分からない。同時に仲間が自分に殺されているのにもかかわらず、人間らしい感情を発露することなく、面倒くさそうに厭世的な態度を取り続ける酔っ払いの態度に得も言えぬ気持ち悪さを抱かせる。

 彼女が抱いた気持ち悪さ、そして酔っ払いの態度に対するフラストレーションが混ざり合う。二つの負の感情の科学反応により、彼女は臨戦態勢を取る。

 妖艶な敵対者は、自らの背中から、どこか黒々とした樹木の根のようで、けれどもしなやかで、ぬらぬらと金属的に光る六本の触手のようなものを、酔っ払いに向ける。触手の先端は、槍のように鋭く尖っており、貫かれればまず間違いなく誰であろうと、どんな動物であろうと命を落とすことは分かり切ったことである。

 されど、酔っ払いが怖気づくことは無い。酔っ払いは相変わらず青髭を摩りながら、酷く怠そうな目つきで自身に向けられる六つの死の槍を見つめる。


「それがお前の本体?」


「ええ、グローブ、それが私の名前よ」


「まんまだな。木の根、それでうちのお嬢様を殺してくれたんだ」


 暫時摩っていた顎先から、酔っ払いは手を離し、敵前にも関わらずグッと体を上に伸ばす。凝り固まっていた関節は、ボキボキっと音を鳴らし、酔っ払いはあくびを吐き出す。


「あら、やる気になったのかしら?」


「やる気になるもクソも、これが俺の仕事だからねえ。やるしかない訳よ。ただねえ、お前と戦うためには、お前を一回失望させなきゃいけないんだよねえ」


 一切の覇気が無く、だらりと両腕を下ろした酔っ払いは腕を組んでため息を漏らす。


「安心して、貴方たち人間に初めから期待なんてしてないから」


「それはそれで悲しいことを言うねえ」

 

 敵対者の発言にやる気のない声色で答える。

 瞬間、酔っ払いはそれまでのだらけた動きからは考えられないほど俊敏に、懐からトカレフを右手で取り出し、躊躇なく、敵対者に向け発砲する。

 7.62㎜弾の発砲音は、狭い路地裏に物々しい銃声を響かせる。続けて、残響が去る前に、酔っ払いはトリガーを引きまくる。照準が合っているかなど気にせず、とにかくマガジンに込めた弾丸が尽きるまで、打ちまくる。硝煙が、嫌な臭いと発砲音が入り乱れ、路地裏は戦場と化す。

 酔っ払いの右手が握るトカレフは、カチカチと音を鳴らし、吐き出す弾丸を切れたことを酔っ払いに告げる。これと同時に、酔っ払いはトカレフを地面に落とすと同時に、両手を上げる。顔には全てやり切った表情が浮かぶ。


「こーさん。無理。一発も当たってないんでしょ?」


 そして腑抜けた声で、グローブに向かって降伏を宣言する。

 しかし一方的な宣戦布告および先制攻撃をした卑怯者に対し、無条件降伏を安々と許すほど彼女はバケモノとして出来ていない。

 

「そうね。ほら、これが貴方の打った弾」


 グローブは、触手ですべての弾丸をつかみ取ったらしく、ぱらぱらと銀色に光り弾丸を地面に落とす。まだ熱い弾頭は、ぺしゃんこにつぶれ、コンクリートに干渉して金属音を鳴らす。


「一応、銀の弾丸なんだけどなあ。やっぱり、安物は使うもんじゃねえな」


「ふふ、どんな武器でも私のこれを破壊することは出来ないわ」


 厭世的な言葉を漏らす酔っ払いに対し、グローブは妖艶にほくそ笑む。


「それじゃあ、最後に名前を教えてくれるかしら?」


「ああ、許してもらえないのね」


「当然よ、神に選ばれなかった人間の癖に歯向かった罰よ」


「あんまりに運命論を信じるものじゃないぜ。大体、殺しは教義に反するものでしょ」


 両手を上げながら酔っ払いは、グローブの言葉の矛盾点を突っつく。


「まあ、良いじゃない。誰だって教義を守って無いもの」


「そうかい、被造物バケモノ


 論理展開を無視したグローブの開き直りに、酔っ払いはニヤリと笑う。そして意を決して咳払いし、口角を上げる。


「俺の名前は、シュウジだ。これでいいか、バケモノ?」


「ええ、満足。それじゃあね、シュウジ」


 妖艶な殺人の笑みを浮かべると、グローブは木の根染みた触手を、勢いを付けて思いっきりシュウジに向けて伸ばす。これを彼は避けることなくニヤリと笑って受け入れる。

 ぶすりぶすりと、六本の触手が彼の体を貫く。胸部に二本、右肩に一本、腹部に一本、下腹部に一本、右大腿に一本、計六本の黒い樹木の根は彼の体を滅茶苦茶に傷つける。

 そして傷口からは多量の血が噴出する。どくどくと真っ赤な鮮血が、大きな穴から漏れ出し、腹部からは腸が漏れ出す。想像を絶する痛みに彼は立ったまま笑みを浮かべる。脳があまりにも重い痛みを認識することを拒んだためである。


「さようなら、シュウジ」


 そしてグローブは、六本の触手をねじり合わせ、一本の太い木の根とする。するとギリシャ風の柱のようにねじり作り上げられた触手に、グロテスクな目が三つ開くと同時に、サメのような口が開き、ギザギザとした真っ黒な歯を見せる。

 とても妖艶な美女の本体とは思えない根っこのバケモノは、口を大きく開けて、瀕死のシュウジにかぶりつこうとする。


「ば……か」


 しかしシュウジは笑い続ける。同時に彼の背後で漂っていたかの異形な髑髏が、彼の傷口から彼の中に入り込む。

 だが、時は遅かったのか、既に彼の体はグローブの大きな口の中に収められている。あとは彼女が、口を閉じてしまえばパクリと食べられてしまう。


「いただきまーす」


 本体が伸びる仮初の肉体は、満足気な欲望の笑みを浮かべながら食欲を滾らせる。そしてバクリと、グローブは思いっきり口を閉じた。

 しかし、シュウジの体が食いちぎられることは無い。


「あーあー、グローブっつったか? 手前みたいな雑魚が、俺の相棒を食うなんざ一兆光年早いぜ?」


 今までなかった覇気を纏い、口調に芯を込めたシュウジは、思いっきりかぶりついてきたグローブの両顎を両腕で押さえる。そして思いっきり両手に力を込めて、彼女のサメのような顎を思いっきり割く。

 バキバキっと、骨が崩れて割れる音が鳴り響く。同時にグローブの仮初の肉体は、甲高い絶叫を上げる。路地裏には痛々しい声音が響き、芸術的なグロテスクを誇るグローブは宙に揺らめく。


「はははは! てめえ、中々良い絶叫を上げてくれるな! でも、俺は許さねえぜ。俺の相棒を殺してくれたんだからよお!」


「て、てめえ、なんで生きてやがる!?」


 どうしてか、すっかり傷が回復したシュウジに、仮初の肉体は血涙を流しながら絶叫する。


「鼻からシュウジは生きてねえよ! こいつは俺の魂で生きてるんだ! 手前と同じバケモンの魂でよお!」


「てめえもバケモンか!」


「おうよ! 俺の名前はハピネス! 幸せだ!」


 そんなグローブに対し、シュウジことハピネスはゲラゲラと笑いながら皮肉めいた挨拶をする。

 ただし、突然、笑い止むと右手をゴム鉄砲の形にする。


「For the wages of sin is death」


「ああ!? 何を言ってやがる!」


 鬼の形相でハピネスをグローブは睨みつける。美しさは消え失せ、怒りに我を忘れた醜い女がただそこで、叫び声を上げ続ける。

 しかしハピネスは、グローブの叫び声を気にすることは無かった。彼はにんまりと、嗜虐と残酷さを組み合わせた非人間的なそれこそバケモノと形容できる笑みを浮かべる。


「happiness is a warm gun」


 そして端的な言葉を漏らす。

 すると銃の形に変えた右手から何かが発射される。それが一体全体何なのかは分からない。しかし、何らかの質量とエネルギーを持った何かは、大きい運動エネルギーを持ち、グローブの体に真っすぐと伸びる。

 音を置き去りにする強烈な何かは、グローブの本体を貫き、大きな風穴を開ける。

 致命傷を食らったグローブは、そのまま声を上げることなく地面伏す。同時にグローブの本体は、灰に代わり、夜風に散りゆく。グロテスクな目も、ぬらぬらと光る木の根の触手は消え去り、仮初の肉体だけがそこに残る。

 一瞬にして物事を解決したハピネスは、血まみれのスーツのズボンポケットに両手を突っ込んで、仮初の肉体に歩み寄る。そして女の膨らんだドレスのポケットに右手を突っ込む。


「なんだ、煙草、あるじゃん。けど、アメスピかよ」


 黄色いパッケージを取り出したハピネスは、怪訝な表情を浮かべながらも一本煙草を咥える。そして左手でスーツの胸ポケットから百円ショップに売っているライターを取り出し、火を煙草に着ける。

 紫煙がゆらゆらと路地裏に上る。同時に、やけにパトカーのサイレンと、救急車のサイレンとがやけにうるさいことに気付く。


「うっわ、メンドクサ! じゃあ、後はよろしく頼むぜ相棒!」


 すると後始末の面倒くささに気付いたハピネスは、再び異形な髑髏なり、シュウジの口から出てゆく。

 意識をハピネスより取り戻したシュウジは、全身に強い痛みを覚えながらも、必死に平静を保つ。そして赤色のライトが点滅する路地に向かって歩く。


「クソゴースト、またやりやがったな。というか、やっぱり煙草、持ってたじゃん」


 脂汗を浮かべながらシュウジは、狭い狭い路地の入口に拳銃を向ける三人の警察官の前に両手を上げて立つ。三人の警察官は、血まみれのスーツを纏う彼に目を疑いながらも職務を全うする。


「まあ、あれだ、バケモノハンターだ。ほら、シュウジっていえば分かる?」


 そして首を傾げながら、自分の肩書をシュウジは警察官に告げる。


 

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