第8話 騒がしい新天地

 鳥の囀りで目が覚める。

こんなに深く眠ったのはいつ以来だろう。

半身を起こし腕を空に向かってゆっくりと伸ばす。

目を閉じて深呼吸した。

酸素を取り込むと頭の中の靄が晴れていくのがわかる。

窓の外からうめき声が聞こえ目をやると。

ドラゴンが滑空している。

驚きのあまり悲鳴を上げてしまった。

なんで空想の生き物が家の外に飛んでいるんだ。

空にドラゴン。意味がわからない。

今日は仕事がお休みでこれから買い出しに行く予定なのに。

すぐに地震のような揺れがして。

振動が近づいてきた。

何かがこちらに向かっている。

蝶番が悲鳴をあげるほどの速度で扉が開くと。

目の前に現れたのは宿屋の女将だった。

「ユウリどうした。なんかあったのかい」

「ミラさん」

「その呼び方はこそばゆいからさん付けはやめとくれ」

「あっ。えっと。ミラ」

「そうそう」

満足そうな顔をして頷く。

手には年季の入った箒。

頑強そうな肉体の頼れる女主人。

「また誰かに襲われでもしたのかい」

どこだいあたしが追っ払ってやるよと息巻いている。

そうだった。昨日は色々あったのを忘れていた。

目を開けると知らない世界だったし。

棺に入れられ半分埋められていた。

そのほかにも目を疑うような出来事の連続だった。

なんとか宿に泊まれることになったが

マディアではなく百合と名乗ったら聞き間違われ。

ユウリと言うことで一泊、泊まらせてもらったのだ。

一夜明けても小説の中にいるということは。

「やっぱり夢じゃないのか」

本当に異世界にきてしまったということらしい。

「でもまぁしょうがないか」

もとより短絡的な思考の持ち主だ。

いっそ良い方向に考えよう。

つまらない仕事に勤しまなければならない理由はなくなった。

『愛の終わり』と言う小説では最後の敵として登場する。

と言うことは、さぞや屈強な肉体なのだろう。

魔物になってしまっている可能性だってある。

あの技やこの技も出せるとしたら…。

夢のようだ。つい笑顔になってしまう。

本編のままではいけないと思い屋敷からも逃げ出したことだし。

後は見つからないように生活すればいい。

簡単なことだろう。

「ユウリはお金は持ってるのかい」

「かなり遠い国から来たばかりで…」

「そんなことだろうと思ったよ」

「宿代は体で払ってもらおうかね」

「体で?」

もしかしてそういう仕事に斡旋されてしまうのか。

この世界の通貨なんて持ち合わせていない。

「やってもらうのはこれさ」

先ほどから手に持っていた箒を差し出す。

「箒ですね…」

「あぁこれで掃除をしてもらおう」

「どこを」

「店に決まっているだろ」

宿屋の方は普段から掃除しているが、

夫婦二人だと酒場までは手が回らない。

そこで私に頼むことにしたらしい。

二つ返事で了承した。

宿代を払わない上に何処の馬の骨ともわからないのに。

掃除をするだけで構わないとはなんて良い人だ。

精一杯綺麗にしようと心に誓った。

ミラに連れられ酒場に向かう。

調理場の奥から顔を出したのはひ弱そうな男。

細身で身長が高く血色が良いとは言えない顔をしている。

お互いの存在を図りかね見つめあっていると。

「おっと。紹介するのを忘れてたね」

豪快に笑い男の背中を叩くミラ。

「小枝みたいなこの男はあたしの旦那」

「この方がミラの旦那さんですか」

儚げに微笑み頷くと手を差し出す。

「どうもアルトです。お節介な妻をよろしくね」

一言声をかけると厨房に消えたしまった。

「すまないね。恥ずかしがり屋なんだよ」

さあ酒場に着いたと言われ店内を見ると絶句した。

部屋の隅という隅に張られた蜘蛛の巣。

走り回るネズミの家族。

油汚れの上に積もった埃。

廃屋かと勘違いしそうな劣化した建物。

ここの掃除代よりも宿代の方が遥かに安そうだが。

「じゃあユウリ。よろしく頼むよ」

颯爽と去っていくミラの後ろ姿を見つめる。

安請け合いしてしまったかもしれないな。

はたきで天井付近の埃を落とし。

床は水を流しブラシで擦る。

一瞬で灰色になる水。落ちない汚れの数々。

ミラの店のためというよりも火がついた私の心のために。

熱心に掃除をしていたら夜になっていた。

「ユウリそろそろ開店の時間だよ」

酒場『コッコ』開店だ。

待ってましたと冒険者たちがなだれ込む。

先陣を切った紺色の髪の女性が高らかに注文する。

「ミラ!今日はいつもより高い酒出してくれよ」

店内を一瞥し掃除用具を持ち佇む私を見て目を見開く。

「すまん。店を間違えた」

くるりと背を向け店を出ようとする。

「間違っちゃいないよ。このバカ娘」

頭を叩かれぼやく女性。

「だってうちはこんなに綺麗じゃないから」

「ユウリが掃除してくれたんだよ」

「どうも初めまして。ユウリと申します」

「初めまして。私はここの娘のサルマ」

「この子は騎士団長しててね。呑みにくるのよ」

アルトの高身長とミラの肉体を引き継いでいる。

「ずっとうちにいてほしい」

「急に告白なんてバカ言うんじゃないよ」

「だってあれがこれになるんだよ。有能すぎる」

「そりゃまぁ確かに」

「顔も…」

鼻の頭を掻き照れくさそうにこちらを見るサルマ。

「ユウリ寝るときゃ気をつけな」

「寝込みを襲うわけないだろ。クソババア」

「なんだってぇ」

「ユウリくん。いつもああだから気にしないでね」

アルトさんがいつの間にやら横にいた。

取っ組み合いの喧嘩をする女ふたりを遠目から見守る。

これからの生活は騒がしくなりそうだ。

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