ご令嬢は婚約破棄をしてみたい

新高

ご令嬢は物申す







「婚約破棄って素敵よね」

「……は?」


 穏やかな昼下がりのティータイム。突如目の前に座るご令嬢から飛び出た言葉に、騎士であるルーク・ビリオンは辛うじてそう突っ込むだけに止まった。







「婚約破棄よ婚約破棄! 憧れちゃわない?」

「あ゛?」


 せっかくの彼の苦労を令嬢は容易く無駄にする。二度目は堪える事が出来ず、つい本気の声で突っ込んでしまえば、彼女――ミッシェル・ベリングは軽く眉を顰めた。


「相変わらずガラが悪いわ。せっかく見た目は良いんだからもう少し乙女に対する態度を学んだ方がいいと思うんだけど」

「突然目の前で意味不明な事を言われたにしては、だいぶ抑えた方だろコレ」

「意味不明じゃないでしょ。婚約破棄って言ってるじゃない。え? それとも言葉の意味がわからない?」

「わかるわ! それを素敵だとか憧れるっつーお嬢さんの頭の中身が分からねえって言ってんの」

「最近の流行なのよ!」

「婚約破棄が?」

「そう!」

「……おっそろしいのが流行してんのなお嬢様界隈……」

「婚約破棄から始まる真実の愛の物語にみんな夢中なんだから!」


 まあそうじゃないかとは思ってたけど、とルークは呆れを隠す事すらせずに手元のティーカップを持ち上げた。冷めても味は損なわれていないのは、さすが伯爵家の出す茶葉だからか。


「ものすごく呆れた素振りをされている気がするんだけれど」

「あますことなく伝わっていてなによりだ」


 彼女が婚約破棄に憧れてしまうのも、そんな醜聞しか生まない事象が貴族のご令嬢の間で流行しているというのも、全ては「物語」の中での話。それをさも現実かのように、と言うか、突然茶会の席で語られたのだから呆れもするし隠す気も失せる。


「本当に失礼だわ」

「なあお嬢さん」

「なにかしら?」


 頬を膨らませて、こちらも不機嫌さを隠していないミッシェルをルークは行儀悪くテーブルに片肘を付いて眺める。


「アンタが何に憧れようと大いに結構だが、それにしたって」

「あ、待っていいわ先が読めた」

「婚約者っているのか?」

「ほらああああ言わなくていいって言ったのにーっ!!」


 悔しげにミッシェルはテーブルをドンと叩いた。テーブルマナーの教師に見られでもしたら説教コースまっしぐらだが、今この場には二人しかいないので大丈夫、だと思いたい。


「どういう理由でお嬢さんらに流行してるのか知らねえけど、まあ無駄な憧れが早々に潰えてよかったんじゃね?」

「仕方ない……こうなったら婚約者を至急見つけて実行するしかないわね」

「お嬢さんのその無駄な行動力なんなの?」

「無駄ってなによ! 乙女の憧れを実行しようという崇高な意思じゃない!」

「それに付き合わされる方の身にもなれっての!」


 婚約破棄をしてみたいので私と婚約してください! などという、どこをどう考えても馬鹿なのか? と突っ込まざるをえない話だ。一体誰がそれを了承してくれるというのだろう。


「……誰か……いない……わよねえ……」


 ミッシェルだって自分が随分と与太話をしていう自覚はある。元々恋愛小説を読むのが好きだった。いつかこんな素敵な恋がしてみたい、けれどそれはあくまで話の中だけだとも理解していた。

 それなのに、ミッシェルのすぐ傍で、まるで一冊の恋愛小説かと思いたくなる様な胸のときめく実話が起きたのだ。目の当たりにした。なんなら少し巻き込まれた。まさに事実は小説よりも、を体感してしまったらばもう、これまで軽くで抑えていた素敵な話への憧れは強まる一方で。


「だってあんな会う度に幸せです! って空気をぶつけられるんだもの!! ちょっとは自分にもって夢を見てもしかたがないと思うの!!」

「あー……うちの上司か……」

「そうよ! あなたの上司が毎回会う度に【俺の嫁が可愛い】って甘さしかない空気をダダ漏れさせてくるのよ! 遊びに行くたびにそれを直撃な私の気持ちも考えて!」

「それに関しては本当にお詫びのしようも無く」


 ルークの上司であり、第二王子の専属護衛の騎士と、ミッシェルの友人が結婚したのが三年前。二人はその式で初めて顔を合わせ、それからの付き合いだ。

 ルークにとっては上司の結婚相手の友人、ミッシェルにとっては親友の結婚相手の部下、というなんとも微妙に遠い距離間であったが、とある理由で今もこうして細々と続いている。

「結婚した当初はこっちが毎日顔付き合わせる勢いで心配してたっていうのに、なんなの!? なんなのあの変わり様!? いいわよあの子が大事にされていてとっても、ものすごく、鬱陶しくないの!? って訊きたくなるくらい愛されているからいいんだけど!」


 しれっと本心が交じっているのはご愛敬だ。尊敬して敬愛している相手ではあるけれど、たしかにここ最近の上司は非常に鬱陶しいとルークも思う。


 結婚した当初はお互い年の差や身分差を気にしてかすれ違いが多かったようで、新婚でありながら仕事に明け暮れてなかなか帰宅しようとしない上司と、そんな彼とどう接していいか分からない友人との間で、ルークとミッシェルは連日話し合う日々だった。


「ご両親を亡くして、ロクデナシの叔父に家を乗っ取られて、財産食い潰されて身売り同然でさらにロクデナシと結婚させられそうになっていたのを助けてくれたと思ったのに! そこから無駄に三年も遠慮し合ってすれ違うってなんなのよ本当に!」

「それなあ……そこは俺らも謎なんだよ……」


 上司は常に冷静で、的確な判断を即座に下す有能な人物でありながら、女性にはどこか淡泊というか、最早冷淡なのではなかろうかと思うほどの対応をする事のある人だった。そんな上司がとったまさかの行動で、どれだけその妻となった女性に入れ込んでいるのかと思っていたのだが。


「奥様の事情があったにしても、随分と遠慮がちだったもんなあ」

「せっかく幸せな結婚ができたから、これであの子も心穏やかに過ごせるって思っていたのに」


 ドン、とミッシェルはテーブルを叩く。するとそれに触発でもされたのか、ルークが軽く吹き出した。


「なによ?」

「いや……そういやお嬢さんの式での啖呵が凄かったなって……思い出した……」


 くつくつと喉奥で笑いながら肩まで揺らすルークに、今度はミッシェルが吹き出す。こちらは笑いではなく動揺の為だ。


「なっ……あれは若気の至りって言うか!」

「でも今でもそれは思ってるんだろう?」

「なんならついこの間までは本気で実行しようかしらって思っていたわよね」


 不幸続きの友人に突如降って湧いた幸運に、ミッシェルは最初は大喜びしたものの段々と不信も募っていった。面識のない、しかも没落寸前の伯爵令嬢に、氷の騎士の異名を持つ騎士様が求婚してくるなど、何かがあるに違いない。友人はとてもじゃないが冷静でいられる状況ではないだろうから、その分自分がしっかりと見極めてやなねばならないと、ミッシェルはその使命感に燃えていた。

 まあ、燃えた所で相手の方が年も立場も上であるのだから、たかが小娘が息巻いた所でどうなるものでもなく、式の当日が来るのは早かった。

 皆が口々に祝いの言葉を投げかける中、ミッシェルは新郎相手にこう言い放ったのだ。


「私の十年来の、とても大切な友人を伯爵様にお貸ししてあげます。ええ、お貸しするだけです十年も続く友人関係と、今日からようやくはじまる夫婦の時間ですよどちらが上かだなんて考えるまでもありませんよね? この子が少しでも辛そうだったり悲しそうな素振りをみせたら即時返却を求めますからね!!」


 新郎は見た目は良いが氷の、と異名が付く程の冷たさもある。そんな相手に食らい付くのは気の強いミッシェルとしてもかなりの勇気がいった。だが、それでも一言、にはならなかったが伝えたかったのだ。どうか彼女を幸せにしてください、と――


「大事にしてくださっていたのは傍から見ていてもよく分かったわよ。でも幸せそうではなかったんだもの」


 なにやら距離がある。それはミッシェルから見ても、ルークから見ても明らかだった。しかし夫婦間の事なので外野が言える事は無い。それでもどうにかできないものかと二人で頭を絞ったが、まあろくな答えは浮かばなかった。

 そうこうしている間にも友人の元気はどんどんと無くなり、やがて屋敷に閉じこもりがちになってしまった。


「もうさすがに辛抱ならないと思ったのもしかたなくない? 私ちゃんと伯爵様に事前に警告はしてたし!」

「だからって王家とも関わりの深い伯爵家相手に、真っ向から喧嘩売りに行こうとしたのはビビったわ。よかったよ俺あの時に間に合って!」


 たまたま街中を巡回中のルークの目に飛び込んできたのは、今から殺人でもおこしそうな程の殺気を抱えたミッシェルだった。即身柄を確保して警備隊の詰め所を借りて尋問すれば、これから友人を攫って田舎に引っ込むのだと、見事な犯行予告を受けた。


「未然に防ぐ事ができて本当によかったと思った」

「あの頃伯爵様がなにかと留守でお屋敷にいらっしゃらなかったから、やるならあの時しかなかったのよね」

「マジの計画的犯行やめろよな。快活なお嬢様、にしたって程があんだろ」


 有能な部下のおかげで、若き伯爵夫人の失踪事件は未然に防ぐ事ができたわけであるのだが。


「最終的に奥様が記憶喪失になるとは」

「ほんともう……あの子ったら……!」


 両親を事故で亡くし、親戚に身売り同然の婚姻を結ばれそうになり、その寸前で美貌の騎士に救われたと思ったら、まさかの記憶喪失という事態。なぜか結婚してからの三年間、という限定で。


「……改めて振り返るとさ、奥様の持ちネタ凄すぎじゃね?」


 どこぞの小説かと突っ込みたくなる勢いの濃さである。そしてこれが本当に小説になってしまったのだから堪らない。あげく国内でも屈指の人気作となり、今や時の人扱いだ。


「それで、親友が大人気作のモデルになったからって、その影響で自分もって?」


 記憶喪失になった夫人は、夫の献身的な愛により見事に記憶を取り戻した――らしい。真相は分からない。しかし記憶が戻ったのは事実であり、それにより夫婦の間にあった距離も一気に消滅し、なんとも仲睦まじい姿を周囲に見せつけている。


「正直身近な人のああいう姿は見ていて辛いんだけど」

「私だって同じよ……!」


 辛いと言うか、まあ、いたたまれない。こちらが恥ずかしくて身悶えてしまう。


「でもやっぱり羨ましいなって思ったりもするのよね」

「だったらお嬢さんが憧れるのは記憶喪失になりたい、じゃねえの?」

「馬鹿ね、記憶喪失なんてそう簡単になれるものじゃないでしょう?」

「……婚約破棄だってそう簡単に起きるもんじゃねえだろ……」

「婚約破棄を発端に真実の愛を見つける小説がいくつかあるの! だからそれを目指すわ!」

「真実の愛ねえ……」


 頬杖をついて呆れともなんともつかない表情を浮かべ、ルークはミッシェルに問いかける。

「なあお嬢さん、それはどういう結末になるんだ? 婚約破棄をしたヤツとは違う相手を見つけて末永くお幸せに? それとも元サヤ?」


 ひたすら馬鹿にされ続けるだけだと思っていたのでミッシェルは驚いた。自分が友人夫婦にあてられたおかげでひどく恋愛に惹かれている様に、彼も同じなのかもしれない。あらあら、とついにやけそうになるが、途端ルークの眉間に皺が寄るので軽く咳払いをして誤魔化した。


「そうね、別の方と幸せになる話が主流と言えばそうだけど、失って初めて分かる愛しい存在、って事でもう一度やり直す話も人気ではあるわ」

「じゃあ俺が相手をしてやるよ」

「なんの?」

「お嬢さんの、婚約破棄の相手」

「――えっ!?」

「おう」

「いや、おう、じゃなくて」

「うん」

「うん、でもないわ! 遊ばないでよ! これでも私は本気なんだから!」

「俺だってそうだよ」

「なにが?」

「お嬢さんと婚約して、それを破棄して、からの真実の愛とやらの相手」


 ルークは頬杖こそ止めたが今だ肘はテーブルについたままだ。マナーが悪い、と思いつついやそうじゃないとミッシェルは明後日の方向へ飛びかけた思考を引き戻す。


「あなたが私と婚約して、それで、破棄してくれるの?」

「お嬢さんがそれをお望みなんだろ? だったらとんだ茶番だけど付き合ってやるよ」


 一々腹の立つ物言いをする人ね、とまたしてもミッシェルの思考は飛ぶ。だから違うのよそうじゃなくって今考えるべき事は――


「真実の愛の相手が、あなたって事になるけれど?」

「お嬢さんは俺がその相手だと嫌か?」

「……いや……では、ない、わね?」


 ルークとの付き合いは三年間だ。長いとも、短いとも言えない。まだ彼の全てを知っているわけではないし、自分の事だって知られているか分からない。彼との間にあったのは常に友人夫婦への相談事だ。

 しかし、それでも彼のふとした態度や言葉に、嫌悪を感じた事は一度たりとも無い。口が悪いせいで腹を立てる事はあるが、それはまあお互い様だろう。


 従って、結論は「ない」だ。


「なら成立ってことで?」

「そうね……って待って待って違うわこれ成立させちゃ駄目なやつ!」

「なんで?」

「このまま成立したらあなた私の結婚相手ってことになっちゃうわ。私は素敵な恋をして、それから幸せな結婚をしたいの」

「おう」

「だから」

「俺だと力不足?」

「ガラが悪くて口は悪いけれど、騎士として立派に仕事を勤めているし、人としてもまあそこそこちゃんとしていると思うからそこは大丈夫だと思うけど」

「これ褒められてんのか貶されてんのか喧嘩売られてんのかどれかなー」

「褒めてはいるけど貶してもいるわね。でも喧嘩は売ってないわ、事実を述べているだけ」

「それが喧嘩売ってんだよお嬢さん」


 ルークは愉快げに身体を揺らす。


「お嬢さん、まだ伝わらねえかな?」

「え!? なに!? 言いたい事があるならはっきり言って!」


 ミッシェルは地味に狼狽えている。普段ならきっとルークの言いたい事など理解出来ているはずなのに、ちっとも頭が働かないのだ。なのでそう訴えてみたのだが、さらなる追い撃ちがかけられた。


「ずっと惚れてる相手が、素敵な恋とやらに憧れて婚約破棄だの真実の愛だの言い出したんで、どこの誰だか知らねえヤツに掻っ攫われる前に俺が身柄を確保したいって言ってんだけど」


 言葉が耳から脳に届いて、それを処理するまでにやたらと時間がかかる。はっきり言ってとお願いしたにも関わらず、やはりルークは回りくどい言い方をしているような気がする。が、それでも一つはっきりしている事があった。


「……ずっと、好きな相手がいるの?」

「そう、自覚してからは二年と少しだけど、多分好きになったのは初めて会った時のあの発言だな」


 年も立場も上の相手に、友人の幸せのためだけに食ってかかった彼女の姿に、ルークの心は強く動いてしまった。


「好きだよお嬢さん」

「え……」

「アンタの願いなら、婚約破棄だろうとなんでもしてやるよ。だから、それが終わった後はもう一度俺と婚約してください」

「――ええええええっ!!」


 ガタン、とミッシェル側のテーブルが大きな音を立てた。椅子ごと引っ繰り返りそうなミッシェルの醜態に、しかしルークは愛おしげともとれる視線を向ける。


「そういう反応含めて好きだなー」

「え、軽い。待ってちょっと待って無闇に乙女心をからかうのやめてもらえる!?」

「お嬢さんこそ決死の覚悟の男心を軽く流そうとするの止めろよな」

「あなた本気で言ってるの!?」

「お嬢さんは俺が冗談でこんな事を言う男だと思ってるわけか。うわー傷付くなー凹むなーこれはお嬢さんに責任を取ってもらうしかないなー」

「そういう言動が軽いって言ってるの! もう少し乙女心を学びなさい!」

「はは、お嬢さんこそ男心を学べっつーの」


 ああ言えばこう言う、とミッシェルの怒りは増していく。しかしその怒りの半分以上は羞恥をすり替えてのものだ。だってこれはすり替えるしかない。冗談でこういった事を言う人物かどうか、ミッシェルは良く知っている。だからこそ、冷静でなどいられるわけがない。


「男心って……!」

「あのなあお嬢さん、アンタはほんっとうにこの三年間ずーっと奥様の事を心配してそればっかり考えていただろ? そういうお嬢さんだからこそ俺も惚れたんだけど」

「ひえっ」

「友達想いのお嬢さんが落ち着くまで告白は我慢、ってか言った所で相手にされねえだろうなと思って、だったらせめて近くにはいたいと思ったわけだ」


 相談があると言われればすぐに駆けつけた。それだけではない、互いに様子を見守ろうと、夫婦が参加する夜会にはできるだけ二人も行くようにした。当然エスコートはルークが担い、ハラハラと友人の姿を見つめるミッシェルの傍から離れなかった。


「あれはあなたもそうしたかったわけではなく……?」

「初めの頃こそ俺もそっちが目的ではあったけど、途中からはとにかくお嬢さんに変な虫が近付かない様に追い払うのが最優先になった……つかさ、本当にさ、あのなあお嬢さん」

「あ、とてつもなく呆れ果てたって文句が飛んできそうな気配!」

「大正解。好きな相手じゃなけりゃ、あんな毎回エスコートしたりこうやってアンタの話を聞きに呼ばれて即参上とかしたりしねえっての!」

「きょ、今日はあなたの昇進のお祝いのお茶会だもの!」

「言い訳は見苦しいぜお嬢さん」


 友好国との間で先日開催された武術試合。そこでルークは見事優勝を果たした。元は平民からの成り上がりの騎士が、腕を磨いて名ばかりとはいえ子爵位を拝命するまでになっていた。そこにさらに加わった今回の栄誉。報奨金は元より、新たに領地が与えられ、ついには伯爵にまで上りつめた。


「というわけでお嬢さん」

「……なにが、というわけなのかしら……嫌な予感しかしないんだけど?」

「男心をこれっぽちも理解できない友人想いの激ニブのお嬢さん」

「喧嘩を売られているのは分かったわよ!」

「お嬢さんに選択肢を二つやるから好きな方を選んでくれ」


 何を突然、とミッシェルは鼻白む。ルークはそんな彼女の前に大きく二本指を広げる。


「俺を相手に婚約破棄をしてそれからもう一回婚約して結婚するか、俺が今回の報奨としてお嬢さんを娶らせてくださいと王家に訴えてから結婚するか、どっちがいい?」


 あって無きが如しの選択肢である。しかも片方の中身が色々と、酷い。あまりの事にミッシェルは叫ぶしかない。


「は――はぁっ!?」

「俺はどっちでもいいから、お嬢さんの好きな方でいいぜ」

「い……やいやいやいや待っておかしいわちょっと冷静に落ち着いて話をしましょう!?」


 暴走する馬車並の速度で話がおかしな方向へと進んでいく。これはまずいとミッシェルは必死に抑えようとするが、実力を伴った騎士様がそんな隙を見逃すはずも無くどんどんと追い込んでいく。


「お嬢さんの希望で一回無駄に婚約破棄するのと、王命でサクッと結婚するのとどっちにする!?」

「前者で!!」

「おし、なら決まりだな」

「あーっ!! 待ってったら!」

「お嬢さん!」

「なにかしら!?」

「俺と結婚するのは嫌か!?」

「嫌ではないわね!?」

「今度こそ決まりで」

「だからーっ!! 待ってってお願いしてるのにー!!」

「どうせ覚悟が決まってないとか好きだと言ってもそういう意味で好きなのか分からないとか言うんだろ?」

「筒抜けなのが悔しいんだけどまったくもってその通りよ!」

「覚悟なんてその内決まるし、そういう意味で好きなのか分からなくても俺がちゃんと分からせるから心配いらない。大丈夫。安心しろ!」

「これっぽっちも安心できないんだけど!?」


 そうは言いつつすでにミッシェルの顔は赤く、それどころか首筋から耳の縁まで染まっている。こうも勢いよく次から次へと告白されて、乙女心が無事ですむわけがない。


「この三年の間でのあなたと随分違うじゃない! そんな人だったの!?」

「お嬢さんがひたすらこっちの行動に気付かなかっただけではあるんだけどな」

「そもそもあなたずっと私のこと名前で呼んだりしてなかったし……それで好意を持たれてるって気付く方が無理だと思うんだけど!」

「それこそ男心だなー」


 なあに? とミッシェルは顔を赤くしたままルークを見つめるが、ルークはそれに答えない。

 初めの頃は「ミッシェル嬢」と呼んでいたが、気持ちを自覚した辺りから無性に名前を呼ぶのが恥ずかしくなり、かといって名字で呼ぶのは他の人間と同じになるからそれは嫌だと――特別な呼び方をしたい、許されたいと思ってしまい、そんなくだらなさすぎる男心により最終的に「お嬢さん」になってしまった。情けないにも程がある。口が裂けても言えようか。


「お嬢さんだって俺の事名前で呼ぶ方が少ないだろ? たいてい「あなた」呼びばっかじゃねえか」

「だってしかたないじゃない! 名前で呼ぶのがなんだか恥ずかしいんだもの!!」


 こちらは馬鹿正直に答えてしまうミッシェルである。先程からもうずっと狼狽えすぎて、頭で考えるより先に口から言葉が出てしまうのだ。己の発言に「あーっ!!」と叫んでミッシェルはテーブルに突っ伏した。おかげで、目の前でルークも真っ赤になって固まっている事に気が付かない。

 年頃と言えば年頃ではあるけれど、それにしたって中身の成熟度が低い二人である。




 優雅で、そして祝いの席でもあったはずのティータイムはこうして幕を下ろした。






 


 記憶喪失になった令嬢と、それを愛の力で支えた騎士の物語で不動の人気を得た女流作家、メイジー・ディングリ-。

 そんな彼女の次なる代表作は「婚約破棄に憧れた令嬢と、真実の愛でそれを防いだ騎士の物語」であるのだが、この時点ではまだ誰もそれを知らない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ご令嬢は婚約破棄をしてみたい 新高 @ysgrnasi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ