2.侍祭オール(Lv4)

 それから時間は流れていきました。


 世界が平和になった、という知らせはなかなか届きませんし、魔王山はその威容を誇りっぱなしです。


 魔王山は、旧い魔王の死体から出来たと言われるとても険しい山地で、また魔王によって迷いの霧が張り巡らされている上、各所にはよりぬきの強力な怪物が配置されている、たいへんに攻略が困難な迷宮ダンジョンとなっている、との話です。魔王の本拠地なのですから、当然ですね。魔王直属の部下、四天王……の最後の一人(ほかの三人はすでに勇者さまに倒されたそうです)もいるとか。


 わたしはといえば、亡くなった老司祭さまに少しでも近づくために神さまについて勉強したり、魔物被害の怪我人を治療するために回復呪文を学んだり、勇者さまのような冒険者がいつでも訪れることができるように教会を掃除したりしていました。いろいろと事件も起こったりしましたが、魔王領が近いとは言え、平和なものです。きっと魔族たちには、この村が記録地点セーブポイントだとは認知されていないのでしょう。重要視されていないのです。


 本当なら協会本部から代わりの司祭様が派遣されるのですが、この混乱した情勢では勇者さま不在の田舎村にかまっている余裕はないのでしょう。極端な話、記録地点が仮に滅びたロストところで、代わりはいくらでも用意できるでしょうしね。魔物被害は小規模とは言え、常に絶えないので、どうにかしてほしいというのが正直なところなのですが……そんなわけで、今でもわたしひとりで教会を管理していました。


 鍛錬のために自警団に加わって、ちょっとした警邏や小鬼退治に参加したりしました。九ヶ月前に勇者さまが小鬼の巣のひとつを壊滅させましたが、根絶には至らなかったようで、しばしば人里近くまで、小鬼が姿を見せるのです。

 初めてのことばかりでいろいろと苦労はしましたが、おかげでなんとレベル4にまで成長しました。背も一寸程度は伸びています(胸は膨らみませんでした)。勇者さまが今のわたしを見たら、成長したねとほめてくれるでしょうか? 勇者さまにとってはささやかすぎるから、気づかれないかもしれませんけど。まあ、過ぎた願いです。


 勇者さまが発ってからさらに半年後。

 事件は、不安になるようなある美しい満月の夜に起こりました。


「あれ」


 就寝前。なんとはなしに自分の部屋の机の引き出しを確かめて、その奥にしまい込んでいたはずの封筒が、なくなっていることに気が付きました。


「おかしいな、ここにしまっていたはずだったんだけど」


 誰かに見られでもしたらと思うと穏やかではない気持ちになります。中の手紙は、結構、恥ずかしい内容ですから……。書いたはいいけど送れなかったものでした。なくしたとして、どこに?

 最後にこの封筒を確認したのは、勇者さまが旅立つ前夜。


「勇者さまが旅立たれてから、いろいろあってドタバタしたから、そのときにどさくさに紛れちゃったのかな」


 ため息。

 探すアテもなく途方にくれていると、突如なにかまばゆい光が、礼拝堂の方からほとばしるのを感じました。


「えっ、え?」


 一瞬慌てふためきましたが、この光は、神の奇跡の顕れに違いありません。早足で、礼拝堂へと向かいます。魔王が滅びたとき、各地に女神様が降臨して魔王の死を伝えるといいます。ついに運命の日がやってきたのでしょうか?

 しかし、そうではありませんでした。光がおさまると、祭壇の上には――血だらけになった勇者さまが横たわっていました。そのそばには、美しい装飾の鞘と、抜身の聖剣が転がっています。これもまた、血に濡れて。


 あまりの出来事に、わたしは口に手をあてて悲鳴を上げてしまいました。数秒ほどのち、これが『不死の願い』が発動した結果だと気づきました。勇者さまが命を落とすなんてありえませんが、そうとしか考えられません。魔王とはそれほどまでに強大だったのでしょうか。


 ともあれ、勇者さまの大きな身体をベッドに運んで寝かせ、必死に治癒の祈りをしつづけました。人を呼びにいくかどうかは迷いましたが、やめました。この状態の勇者さまを、ひとりにするのは恐ろしいことでした。

 小さな村では神官が医者を兼ねます。治癒の祈りができるようになって、本当によかったと心の底から思いました。しかし、勇者さまの傷はなかなか完治しません。レベルが高すぎて、わたし程度の使徒の祈りでは簡単には傷が癒えないのです。効果があるのは確かなので、わたしは一晩中付き添って祈り続けました。

 勇者さまの荷物を勝手ながら漁って、効果のありそうな治療の水薬ポーションを見つければ、それも使いました。

 すべては、これ以上勇者さまのレベルを下げないために。


『不死の願い』は、確かに勇者を死から守ってくれます。しかし即座にすべて傷が消えるわけではなく、『死ぬ少し前』の状態まで巻き戻り、安全な場所へ転送するだけなのです。つまり、放置すればもう一度勇者さまは死に、余計にレベルが下がってしまうのです。今の勇者さまはレベル28でした。あれから半年の間にレベルも上がったでしょうに、それも帳消しです。


 必死にわたしが祈りつづけた結果、勇者さまがようやく意識を取り戻しました。とはいえ、まだ予断は許されません。勇者さまが震える手をこちらに伸ばしてきたので、わたしは安心させようとそれを両手で握り締めます。ずっと剣を振るってきたその手はごつごつとした殿方らしいもので、こんな状況だというのにわたしは不覚にもどきどきしてしまいました。


「あ、安心してください。かならず助かりますから」


 手を握りながら祈っていると、勇者さまの情念が掌を通して伝わってきました。神に仕えるものは、遠い宇宙にあらせられる神さまのか細い声を聞き取らなければなりません。その修練の副産物として、近くの人間の感情がなんとなくですがわかるようになってしまうのです。これは自分では制御できない、言ってみれば職業病のようなものです。人の心がわかってしまうのは、あまりいいことだとは思えませんが仕方ありません。


 伝わってきた勇者さまの感情――それは、不安、混乱、恐れ、不信でした。いったい何の? ――仲間へ、人間への。


 わたしはハッとしました。

 神にも届こうという武勇の持ち主。

 それを傷つけ、殺せるものは、魔王? それとも。


 いえ、そんなはずはありません。

 妄想を、たくましくしすぎています。


 勇者さまの強靭な生命力と、一晩中の私の祈りの成果もあってか、翌朝には勇者さまは完全に治っていました。

 パチリパチリ、チカチカチカチカ。

 自分の限界を超える治療の魔法を使ったことで、レベルが5へ上がったようでした。


 ──自分がここに戻ってきたことは、今はどうか秘密にしておいてほしい。

 目覚めた勇者さまはそうおっしゃりました。確かに、勇者さまが一度死んだと世間に知れ渡れば、活気を取り戻しつつあった世情は再び不安に見舞われる──それを配慮してのことでしょう。

 ──魔王山で待っている仲間と合流してくる。

 そう言い残して、意識を取り戻した翌日にはマントのフードを目深に被り、再び出立していました。わたしのことは撫でてくれませんでした。それが少し残念でした。


 わたしがもう少し賢明であったなら、ここで勇者さまを引き止めていたのでしょう。わたしには、勇者さまの言葉を疑おうという発想が、当時はありませんでした。


 勇者さまが再び『不死の願い』によって教会へと転送されたのは、一ヶ月後のことでした。全身を殴打され、切り刻まれていました。


 わたしは再びベッドに運び、治癒の祈りに没頭しました。前回の件で治癒の祈りに関して習熟したわたしは、完治に一晩中かかっていた祈祷を二刻ほどで済ませることが出来ました。勇者さまのレベルが下がっていたのもあるのでしょう。神さまは、勇者さまのレベルが22であるとわたしに告げていました。


 これでわたしは、二度にわたって勇者さまを救ったことになりました。実際に勇者さまの命を救っているのは『不死の願い』という秘跡であり、教会にいる神官はわたしでなくてもよかったのですが、それでもちょっとした自負となってしまったのは否めません。でも、これ以上生死の境目をさまよう勇者さまは見たくありませんでした。怪我による高熱にうなされる勇者さまを見ながら、このまま二度と起き上がらなかったら、と思うとぞっとしません。


 それなのに、勇者さまは身体を動かせるまでに回復すると、すぐさま一人で出発しようとするのです。二度あることはなんとやら。さすがのわたしも、悪い予感を覚えます。恐れ多くも、ゆっくり経験を積み直してレベルを戻しながら信頼する仲間を集めなおしてみてはどうかと進言しても、取り付く島もありません。


 ──こうして時間を無駄にしている間にも、魔王に苦しめられている民がいる。魔王を倒せるのは私だけなのだから、一刻も早く魔王を倒しに行かなければならない。


 勇者さまのおっしゃることは確かに正しいことでした。しかし、このまま闇雲に行動しても悪循環は続きます。それがわからない勇者さまではないはずなのに。勇者さまは文武両道を兼ね備えた聡明で立派な方なのです。ただ戦が強いだけでは勇者の資格はないのですから。

 たかだかレベル5の侍祭に勇者さまの決定を退けられる権利があるはずもなく、彼は再び旅立って行きました。次に教会に勇者さまが戻られたのは三週間後のことでした。


 パチリパチリ、チカチカチカチカ。


 勇者さまが来るたび、治癒の祈りも板についてきました。天の御使いがラッパを鳴らし、私のレベルが6へと上がったことを教えてくれます。


 五度目のとき、私はベッドに腰掛ける勇者さまを問い詰めました(確か、そのときは、盗賊に襲われたのでしたっけ?)。どうしてそんなに焦るのか。なぜ、わざわざ死に向かうような無謀な旅に出るのか。


 口を閉ざす勇者さまに、わたしは言いました。「……死にたいんですか?」

 勇者さまは答えました。「ああ」


 耳を疑いましたが、聴き間違えではなかったようです。


「知りたいかい? 理由を」


 わたしのほうを向く勇者さまの視線は、わたしを見ているようで、目が合っているような気が、どうしてかしません。


 次に放たれた言葉に、今度は正気を疑いました。お互いの。


「まず、魔王などというもののはいない」


「どういう、意味ですか」

「言葉通りの意味さ」


 魔王がいない?

 なら、勇者さまのこれまでの旅の意味って?


「……けど。実際に世界は魔王の手によって闇に包まれようとしているじゃありませんか。魔物被害は各地で増え続け、魔族の手によって病が蔓延り、土地は荒らされ……」

「どのような平和な世でも、魔物被害は、魔物が生きる限り常に潜在している。それが顕在化してるのは、地方の防衛が切り捨てられはじめているだけという話にすぎない。疫病の蔓延や土地の荒廃も、医療や田畑の保守に予算や人員が回されなくなったからだ」


 これまで見せたことのないような、暗く淀んだ瞳。


「では、大臣や王族が、魔族になりかわられ、民が圧政に苦しんでいたという話は? それをあなたは、退治したという話では」

「既得権益にしがみつく人間が腐敗した政治をしていた。政変が起こった。私はただそれに通りすがっただけ。魔族の関与はなかった」

「嘘」

「国家に淀みが生まれ、政が民のためのものでなくなったとき、福祉は切り捨てられ、治安は悪化し、書は焚かれる」


 九ヶ月前になる事件を思い出しています。

 勇者さまと出会ったあの日。

 わたしたち姉妹が小鬼に襲われた日。

 アルテイアがひどい後遺症の残る怪我を負い、父と母が亡くなった日。


 前線の砦が放棄されず、正規の騎士たちによって小鬼がしっかりと掃討されていたなら、そんなことは起こらなかったでしょう。


「地上のどの国でも、起こっていることだ。人間自身が人類を滅ぼそうとしているなどという真実に、向き合うことは難しい。

 今のきみがそうだろう?」


 その言葉をどこまで信じていいのかは、わたしにはわかりませんし、こどものわたしには、すべての意味を理解できている自信もありません。“勇者さま”の言葉を、以前のわたしであれば疑うはずはありません。しかし、今の勇者さまは、私の知る“勇者さま”とは違います。


「“勇者”と“魔王”が生まれたのは、ガス抜きのためだ。魔王退治というのは興行。華やかなイベントに、民の心は浮つき、不満を忘れる。

 とはいえ、本当は、みんな薄々気づいているんだよ、オール。

 きみぐらいだ。バカ正直に信じ切っていたのは」


「……ま、待ってください」


 その言葉がすべて真実で、勇者としての行いが無意味であるとして、

 それをなげうちたいのだとして、


「それと、勇者さまが、死にたい、というのと、どう関係があるんですか」


 死んだって意味がありません。勇者に義務として課せられている『不死の願い』があるのですから。それはわたしどころか誰にも解くことはできないものです。


「レベルが、下がるだけじゃないですか」

「そう。レベルを下げたいんだ」

「え……?」


 これだ、と鞘に包まれた聖剣を掲げるその様子は、旅立ったときよりも少し重そうに見えました。


「私はこの聖剣に呪われている。戦いでないときも、ずっと『装備』しているんだ。この聖剣を『装備』し続ける限り、私は勇者でい続けるしかない」


 どんな状況でも、勇者さまは聖剣とともに転送されていました。例えば盗賊に身ぐるみを剥がされていても。勇者さまが、聖剣だけは奪われるまいと死守していたからだとばかり、思いこんでいました。


「この武器にはレベル制限がある。

 レベル1だと、この聖剣は、装備できないんだ」

「……」

「つまり、レベル1になれば、聖剣を“はずす”ことができる」


 ──ずっと魔王を倒せなければいい。

 ──勇者さまが、ここから旅立たなければいい。


 いつかの私のいびつな願いは、いびつな形で成就しようとしていました。

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