勇者などどこにもいはしなかった

mikouri

魔王の物語

1.勇者ディオス(Lv30)

 東に悪しき魔王あり。

 西に正しき勇者あり。


 目の前に、精悍な顔つきの黒髪の男の人がいます。無駄な筋肉のない鍛えられた体は一本の剣みたいです。まだお若いですが、レベルは確か30ほどだったはずです。段差があるため目線は同じですけど、実際には頭一つ以上勇者さまのほうが大きいです。わたしは、といえば成人――十五歳からがそうです――したてのレベル1の小娘ですから。

 聖句をつぶやくと、背後の窓から差し込む光がひときわ強くなり、周囲が白一色に満たされました。これは聖職者である私にしか見えない神々しい光、ささやかな秘跡サクラメントなのです。わたしの体はわたしの制御を離れ、ひとりでに唇が言葉を紡ぎ出します。パチリパチリ、チカチカチカチカ。


「ゆうしゃディオスよ あなたが レベル31になるには10737418240のけいけんちがひつようでしょう」


 それだけ言い終えると、神さまは離れ、わたしの意識は戻り、あたりを包んでいた光はおさまりました。

 今更、勇者様とたった二人で見つめ合ってることに気づき、わたしは照れ臭くなって目を背けてしまいます。薄暗い教会内のことですから、おそらく顔を赤く染めていたことは気づかれていないことを祈るばかりです。


 ──ありがとうございます、侍祭殿。

 勇者様が神妙な面持ちで頭を下げます。私は恐縮します。勇者様はわたしのような、下位の叙階の使徒である侍祭にさえ礼を忘れないのです。


「あなたに神のご加護があらんことを。記録もしてゆかれますか?

 ……では、あなたの行いを神の御前にてご報告ください」


 やや慣れない、おぼつかない口調でお決まりの文句を口にします。本来なら『旅の記録セーブ』などという仕事はわたしのような侍祭ができることではありません。半年ほど前、わたしの師である老司祭さまが天寿を全うされてしまったため、『神のお告げネクスト』といった小さな仕事から『旅の記録』といった大役までのすべての儀式や奉仕が、この村の唯一の神職であるわたしに任されたのでした。


『旅の記録』。

 勇者様の存在をわたしと神様が覚えることで、勇者様はたとえ命尽き果ててもここに戻り、旅をやり直すことができるという、とても大切な儀式です。もっとも、勇者さまを傷つけることができる者などこの世に数えるほどしかいないでしょう。

 それに対し『神のお告げ』は、勇者さまが次のレベルに至るまでの必要な経験を数字にして伝えるという、正直言って今の勇者さまには必要のない儀式です。


 すべての工程をすませ、緊張から解き放たれ神官さんモードから一介の小娘に戻った私は、弛緩のあまり「くふぅ」と息をついてしまいます。勇者さまが正面にいるのも忘れて。

 それに苦笑した勇者さまが祭壇まで登ってきて、わたしの頭を修道帽クロブークの上から撫でてくれました。


「あっ。んん……」


 帽子の下で、わたしの亜麻色の髪がくしゃくしゃっとなります。こんどこそ、わたしが赤面しているのはバレバレなのでしょう。恥ずかしいです。もう、勇者と神官ではなく、近所のお兄さんと子供モードです。成人──十五歳になったし、自分ではずいぶんとおとなっぽく成長したつもりだったのですけれど、勇者さまにとっては、ぜんぜんお子様でしょう。無意識に、わたしは青い祭服の裾をぎゅっと握り締めていました。


「勇者さまは明日、出発でしたよね。寂しくなりますね」


 勇者さまは、魔王領を目前として、魔族との戦いで傷を負い、三ヶ月の間、この村で療養していました。出会ったのも、三ヶ月前。完治を認められたのが、今日のことです。この村を後にすれば、勇者さまたちは魔と人が勢力を争う領域に突入することになります。ここが最後の安全地帯セーブポイント

 

 勇者さまの表情を伺うと、どうやら、わたしは自分が思っていたより残念な顔をしていたようです。これではいけません。もっと明るく、笑って、送り出すと決めていたのに。

 必ず戻ってくるよ、と勇者さまはおっしゃいました。

 魔王を、倒して。


 さきほど、勇者さまを傷つけることができるものは数えるほどしかいないと言いました。そのうちの一つが、魔王です。


 平和な世に突如現れ、怪物を従え悪逆の限りを尽くす魔王。その正体は怨霊のようなものだと言われています。何度滅しても、魔王の魂はまた新しい怪物に取り付き、再び世界の支配を狙うのです。いつ復活するかわからない魔王の為に、勇者の血を絶やすことは許されませんでした。


 なぜ、『勇者』が必要かというと、勇者にしか聖剣が扱えないからです。魔王は、その肉体をばらばらに引き裂いても復活するという恐るべき生命力を秘めています。それを封じるには、その聖剣の闇を切り裂く白銀の刃にて、心の臓を貫く必要があります。そうすれば少なくとも、魔王があらたな依り代を見つけるまでの数十年は平和は約束されるのです。

 そして、目の前で私の頭を撫でているこの方こそが、対魔王連合に選ばれた当代の勇者、というわけです。


 ――小鬼ゴブリンの群れに襲われていた集落を救った。

 ――王に成り代わり、圧政を敷いていた人に化ける怪物トロールを倒した。

 ――混乱に乗じ、悪事を働いていた盗賊団を成敗した。

 ――洞窟に潜み、生贄を要求して民を苦しめていた五つ首の竜を討滅した。


 この地に至るまでに、そんな数々の逸話を残してきたひと。


 記録を済ませたわたしと勇者さまは、教会の外へ。今日は晴れ渡っているから、見晴らしのいい高台からは、東のずっとずっと遠くにあるはずの、魔王山が見えます。

 勇者さまは、多くの屈強なお仲間たちとともに、生まれ故郷でもあるわたしの村を旅立ち、国境の彼方へ向かっていきました。わたしもそれを手を振って見送りました。

 かろうじて泣きはしませんでした。


「うそつき。泣いてるじゃん」


 ……横にいた妹が容赦なくツッコミを入れてきたので、げんこつを作って頭を小突きました。


「体の調子がいいなら、教会の仕事を手伝ってよ、アルテイア。人手が足りないの」

「かんべんしてよ~ わたしはオールねえのドレイじゃないのぉ~」


 おもしろい顔で不平を垂らしてきたのでもう一回小突きました。


 彼女はわたしの妹、アルテイア。父親の血が濃いのでしょう、わたしと違い、黒い髪の毛を持っています。勇者さまと同じで、ちょっとジェラシーです。勇者さまと出会った時は、彼女もいっしょにいました。わたしたちが村の外れで小鬼たちに襲われていたとき、助けてくださったのです。そのときだって深い怪我があったはずなのに、鎧袖一触で蹴散らしてしまったのをこの目に焼き付けています。わたしとアルテイアは、すごいねえすごいねえ、さすが勇者さまだねえ、と感動していました。


「気になるんなら強引にでもついていきなよ~ これが今生の別れになるかもしれないんでしょ~」

「死なないよ、勇者さまは」

「え? 何? 信仰?」

「まあ、信仰だけど。そうじゃなくて。

 不死の願いクエストがかかってるから。勇者さまには。死んでも、記録したところ……つまりこの教会までレベルが下がって、送り戻されるだけ。この話前にもしたと思うんだけどな」

「あー。思い出した。思い出した」

「ま、それに勇者さまはお強いし、仲間もいるし、大丈夫だよ。仲間の人もレベル20ぐらいはあったよ」


 レベル、というのはこの世界の人間の強さを表す数字の単位で、成人したての青年がレベル1に相当します。レベル10程度で熟練の冒険者、レベル20なら達人の域といえるでしょう。レベル30の勇者さまに至ってはもはや神さまにも手を延ばせる領域です。私はもちろんレベル1のぺーぺー。神職ゆえ、祈祷や儀式など一般の方にはない技能もいくつか持ってはいますが、戦闘に関してはまったくの素人です。初歩の治癒の魔法すら満足に扱えないわたしでは、初心者の冒険者パーティーにすら入れないでしょう。


「レベル30にレベル20ねえ……さっきレベル下がる、って言ってたよね」

「うん」

「あたしたちって、鍛えたり技を覚えたりすると、レベルが上がるわけじゃん。レベルが下がるって、どういうこと?」

「え? そりゃ~……筋肉が薄くなったり、技を忘れちゃったりする、んじゃない?」

「ふ~ん……なんか変な感じ。そんなことあるのかな」

「レベル下がったことないからわかんないよね」

「上がったこともないけどね~」

「あはは……」

「ていうか、これ以上レベル下がったらどうなっちゃうの? レベルゼロ? 消えちゃう~」

「ふふ。そういう怪談、あるよね~」


 わたしたちはそろってレベル1。仲のいい姉妹です。生まれたての赤ちゃんと同じ、レベル1。もちろん赤ちゃんよりは強い自信はありますが、魔物たちにとっては大差ないということなのかも。

 閑話休題。


「死なないかもしれないけどさあ。勇者さま、ケッコンしちゃうんでしょ。この戦いが終わったら。あ、この言い回しなんか死にそう!」

「……」

「お姫様なんでしょ~? かなわないよね~あたしたちみたいな村娘じゃ!」

「別にそういうのじゃないから!」


 はい。勇者さまには婚約者さまがいらっしゃいます。まあ、貴い人だそうで、わたしよりもふさわしい婚約相手、なのは事実でしょう。それがまだ十二歳──なんとわたしより三つも下、というのは、さすがに複雑な面持ちになってしまいますが。


「じゃあ、何よ」

「……」


 わたしが恐れているのは、ただ、勇者さまが魔王討伐という偉業を成し遂げて、ほんとうに手の届かない存在になってしまう、ということです。そうなれば、わたしのような一介の侍祭にかまっているヒマなどなくなってしまうでしょう。勇者さまには、いつまでも教会に訪れたときついでにわたしの頭を撫でてくれるような存在でいて欲しかったのです。

 そんなわたしの苦悩も知らずに、勇者さまは旅立ってゆきました。当然です。わたしなどという存在、勇者さまの人生においては端役にすぎないのですから。

 したためた手紙は、小さな机の引き出しの底に、大切にしまってしまう。それが身の程をわきまえる、ということです。


「また、なんか我慢してるでしょ~……」

「何よ」

「オールねえが、無理やりついてかないんだな~ってのはわかったよ」

「なんでそんなこと訊くの……」

「……あたしが言えたことじゃないけど」


 ほんの少しだけ、神妙な顔つきを見せて。


「そうやって、言いたいことを封じ込めて。いつか、後悔しても、知らないんだからね」

「……わかったようなこと、言わないで」


 はぁ。とため息。想像しないわけではありません。ほんの僅かな間でも、勇者さまのパーティに加わって、一緒に旅をすることを。そうして、危険の中で、絆を深めて、しまいには……

 でもわたしは、それをただの夢想で終わらせました。おとなですから。少なくとも、アルテイアよりは。


 後から振り返れば、あのとき強引についていこうとしていたら、また違う運命が待ち受けていたのではないかと。そう考えてもしまいます。

 もちろん、わたしたちの人生にはやり直しロードはないのですけれども。

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