ビニール傘。

ななないる

第1話

5月下旬になると小雨続きだった天候も途端に顔色を変え、日々注意報が続くようになった。5分の遅延が命取りの朝の電車はラッシュ不可避であり、毎朝押し潰されそうになりながら登校する。私は昨日壊れてしまった、2年連れ添った相棒の代わりに持って来ていたビニール傘を開き、改札を出て学校へ向かう。

「よ」

不意に後ろから声が掛かり振り向くと、自分の学校と同じ制服姿の男子だった。顔を見合わせるとどこかで見たような気がするが直ぐに思い出せず、私は

「……えーと、」

と間を繋ぐ。

坊主頭で長身、背筋が良いその姿を、私は脳内の記憶を必死に辿る。

「……あ、野球部の高橋君、であってる?」

「そうそう。同じクラスの杉田だよな?」

「そうだよ。よく分かったね……で、声掛けてもらったはいいんだけど、」

なんでびしょ濡れなの。

私が高橋君に声を掛けられた時、1番言いたかった事をやっと口にすると、高橋君は困った様に笑いながら頬をかいた。

「折りたたみ持ってると思ったら、鞄に入れてなかったんだよ。んで駅出たらこの有様」

高橋君はわざとらしくびしょびしょのシャツを引っ張ってみせた。

いかにもスポーツマンな見た目の彼が参ったというように肩を竦める様子がちょっと面白くて、私は少し笑った。その後、少し間があったので、

「このビニ傘ちょっと大きいんだけど、もし良かったら学校まで入る?」

と聞いてみる。正直ただのクラスメイトと相合傘をするとは考えにくかったので、これは高橋君が断りやすいように敢えて言ってみた事だった。だから

「マジか。んじゃ有り難くそうしようかな」

という返しが来た時は内心とても驚いた。けど元は自分から言い出した事なので私はなるべく平静を装いながら「いいよ」と高橋君に向かって傘を差し出す。

高橋君と私は、学校でもそこまで接点がない。グループ学習でちょっと話したりとか、同じ委員会だった時も少しだけ一緒に作業したとか、そのくらいだ。それに高橋君の周りにはいつも何人か別の男子もいて、個別に話す事など滅多にない。なのでまず私を認識していた事も驚きだったし、何より登下校が重なったのも初めてだった。

「肩濡れてない?」

「全然大丈夫」

一緒に登校してる時もそれぐらいしか話さず、私と高橋君はそのまま学校に着いた。が、高橋君とはご存知の通り同じクラスの為、図らずとも揃って教室に入る事になった。

「おはようございます…」

「おはよー」

「おーおは……て、は?!え、高橋と杉田ちゃん!?」

私と高橋君が教室に入った瞬間、クラス随一の盛り上げ役安藤君が途端に騒ぎ出す。安藤君の声はとても大きく、すぐさまその場にいた全員がこちらを向いた。

「何何どーしたん」

「わー、お2人さん仲良いねー」

「高橋だけめっちゃ濡れとるやん」

年頃の男女が共に登校する事に、浮いた話に飢えていたクラスメイト達が容易に解放してくれる訳もなく。私と高橋君はあっという間に囲まれた。この状況からいくと、先程まで同じ傘に入ってましたとは言わない方が良いかもしれない。

そう思ってそっと隣の高橋君を見上げると、高橋君も同じ事を思ったのか人差し指を口元に当て、『内緒』のポーズをした。いちいち動作がなぜか可愛らしい高橋君に私はぷっ、と吹き出して、小さく頷いた。


そして相合傘はそれきり1度も……と言いたいところなのだが。

ところがどっこい、それからというもの雨の日には高橋君と相合傘して登校するのが普通になってしまった。

どうやら高橋君は折り畳みを忘れたどころか無くしてしまったらしく、新しい傘の目処が立たないという。かく言う私もまだ相棒の代わりを見つけられないので似たようなものだったが、雨の日改札を出ると、決まって高橋君が話し掛けに来るようになった。

「いつもよく分かるね」

「そりゃあまあ、ビニ傘だからな」

いつしかこう言われた時、私は、あ、そうかと腑に落ちた。

今まで高橋君と会わなかったのは、私が今まで普通の傘を使っていたからで、それにより誰かわからなかったのだろう。期間限定ビニ傘の今だからこそ、こんな事も起こったのか。

「……なんか、それも1つの縁だね」

そう高橋君に言うと、高橋君は頬をかきながら、

「……そうだな」

と眉を下げて笑った。


それから約1ヶ月程、私と高橋君はほぼ毎日一緒に登校した。その謎の縁もあり、少しずつ会話もするようになった。

私が引退した部活の話、杉田君が野球部でレギュラー入りした話。家族の話、進路の話。ちょっとした悩み事や、解決出来た事。

高橋君はとても聞き上手で、それでいて話し上手だった。ゆえにとても話しやすく、6月下旬になる頃にはすっかり何でも話せる相談相手になっていた。

傘を持つ係をかわりばんこにやろうと少年のように明るく笑いながら言う彼はなんだか私には眩しすぎて、その時は思わず目を覆った。もちろん承諾はしたけど。

「よー」

「おはよ」

「おはよー。やべ、今日だいぶ強いな雨」

未だメッセージの交換すらもした事がないのに、何も言わずとも高橋君の背中を駅で探すようになった。最も、結局雨季中ずっとビニール傘で過ごした私はもっぱら見つけられる側だったが。

私はいつものように慣れた手つきで自分の傘を差し出す。

「ありがと……て、あれ?」

ふと高橋君が私の傘を指差す。

「どうしたの?」と聞くと、高橋君は2秒くらいの沈黙の後、「……傘買ったんだ?」と言ってきた。

「あ、そうそう。やっとビニ傘卒業したんだよね。この色結構気に入って」

私は一昨日見つけたばかりの傘を少しだけくるっと回した。傘の先ににしがみついていた雨粒が振り落とされるように周囲に散る。

高橋君は私の傘をまたじっと見ていたが、

「杉田に似合う」

とだけ言って、行こうと促した。

ありがとうと返しながら、私は今日の高橋君に少しだけ疑問を感じた。どこか覇気がないような。

隣を歩く、私より頭1つ分くらい高いところにある高橋君の顔を少しだけ盗み見るが、彼の表情は特に変わっていなかった。

気の所為なのか。そう思って考える事を止めようとした時、ちょうど雨足が強くなった。

取っ手持ち当番だった私は、風に傘を持っていかれそうになり、身体がぐらりと傾いた。

「お、わっ……!」

「杉田!」

倒れる寸前、高橋君は私の身体を左腕で支えつつ、傘の持ち手を彼自身も握ってくれた。

「大丈夫か?」

「……大丈夫、ありがとね、助かった」

次いでお互い少し濡れてしまった事に謝ろうと体制を整え、高橋君も私を見て左腕は離したのだが。

傘の、持ち手を見て。

私の手が、見事に彼の手にすっぽりと収まった光景が目の前にあった。

お互いちょっと気まずそうに黙った後、高橋君がぽつりと、

「そういえば、梅雨終わるんだって」

と唐突に話し出した。

この状態で突然?と疑問符が浮かびまくったが、とりあえず話を聞く事にする。

「あ、そうなんだ」

「俺、この間傘買ったばっかりだったんだけどな」

「使う機会無くなっちゃうね」

私は少しだけ笑うと、ある事に気付く。

「……あれ?でも今日、傘……」

高橋君は私を見ると、顔を俯かせて話題を逸らすように、

「杉田、もうビニ傘じゃないから探すの難しくなっちゃったし」

と付け足し、今まで見た事がないくらい目を泳がせた。

私は暫くそのままでいたが、耐えられず

「……ふっ、はは」

と笑いが溢れてしまった。

「……何だよ」

と高橋君は、笑われた事にちょっとだけ不満げに呟いた。不貞腐れた表情を見るのは初めてだったので、新鮮だなあと思いながら彼の顔を見ていた。

私は未だ握られている手に視線を移し、思った事を素直に話す。

「私、別に雨の日じゃなくても高橋君と話せるよ?」

「いや、そうなんだけど、なんか、こう特別感っつーか、特等席みたいな……なんか違うな、うーん……」

「じゃこれからもたまに一緒に行こうよ」

途端、高橋君の顔が真っ赤になり、目を見開いた。表情から顔色からコロコロ変わる彼は見ててなんだか面白かった。本人には怒られそうなので言わなかったけど。

「いいの?」と聞いてきた彼に「もちろん」

と返して、私は「……あ!?」と気付く。

「ん?」

「時間!登校!ヤバい!」

2人して携帯の時計を見る。時刻は8時半を少し過ぎた所。

朝礼は8時半ぴったりだ。

「……遅刻だな」

「だね」

言ってからお互い盛大に笑って、先程より落ち着いた小雨の中を1つの傘で小走りに乗り切った。



「あ、やっと来た。おはよーあかり」

「おはよう。がっつり遅刻した」

いつも一緒にいる隣の席のみっちゃんこと美羽は、私が登校してくるなり、その整ったアーモンド形の瞳でによによしながら見つめてきた。

「……何よ」

「んで、もう付き合ったの?高橋とは」

「いやいや、高橋君はそういうのじゃ」

「そお?彼はそういう事らしいけど」

ふぁ?と思わずラッパの気が抜けた音の様な声を出してしまい、私はみっちゃんを見る。

「あれ?もしかしてまだ知らなかった?」

マジか、言ってよかったんかな、ごめん高橋、とぼそぼそ謝ってから、みっちゃんは私に向き直り、「実はさ、」と話してくれた。


「高橋、前からあかりのこと駅で見かけたけど話す勇気無くて、でもアンタがビニ傘にしたから話す口実出来てめっちゃ喜んでたんだよ。傘も、結構前から買ってたっぽいし」


だいぶ気に入られてんねー、と間延びした口調で話すみっちゃんを横目に、私は今朝2人で差してきた水色の傘を思い出しながらふと思い出す。

そういえば、彼の名前は快晴君だった。


『杉田に似合う』


その意味がようやく分かった時、そして今日はビニ傘じゃないのに高橋君にすぐ見つかった事に気付いた時、多分私は今朝の高橋君並に顔が真っ赤に染まっていたんだと思う。

みっちゃんは私を見てけらけら笑っていた。

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