第32話  初めての……

 一輝はよっ子の手をほどいて腕を掴んで抱き寄せた。よっ子の背中に腕を回しぎゅっと締め付けるその締め付け具合が居心地よくて一輝の身体に自分を預けるように抱きついた。

 頭上に顎をのせられ子供をあやすようにぽんぽんぽんと背中を叩かれる。


 その時一輝の脳裏には時貞の言葉がぐるぐる木霊こだましていた。

 

『恋愛ごっこは禁止だぞ、わかってんな』と戒飭かいちょくされている。

 大介には『お前、やりたきゃな、他所の女でやれよ』と釘をさされた。

 

『ここでよっ子を抱くわけにはいかず。かと言って受け入れてやらなきゃ男が廃る』と考える。『よっ子も女として認めてもらえないと思うと今の状況では追い打ちをかけてしまうかも知れない』と一輝の脳は逡巡しゅんじゅんする。理性が働く、今まで理性なんて必要無かった。


 ふと自分の腕の中で自分の胸にぴたっとくっ付いているよっ子が愛おしくなってきた。


「先輩」


「ん?」


「わたし、子供じゃないんですけど。これじゃあまるで、あやしてもらってるみたい」


「あやしてもらってるって……。まあ仕方ねえだろ。だってよ。ガキみてぇな身体つきしてんだから、俺のコイツ、反応ねぇんだもん」


 と股間を指さした。


「変態!」


 よっ子は一輝の胸をぱんと叩いた。


「泣いた奴がもうそれかよ」


「ふん!」


 よっ子は膨れっ面でボストンバッグに荒々しくお泊まりセットを詰め込んでいく、


「お前さあ、ひとつ言わせてもらってもいいですかね」


 よっ子は手を止めて一輝を見上げた。すると一輝はよっ子の前に腰を下ろして顎を掴んだ。


「俺も男だからな。お前でも押し倒す事できるんだぞ、相手を見てあんなことしねえと、ほんとに犯されるぞ」


 よっ子は頬を潰されアヒル口になって、


「しぇんぱいだから、しゅたんでしゅ、他の人にはしましぇんてば」


「あん?」


「しぇんぱいだから、したんでぇしゅ」


「俺だったら大丈夫ってか?お前はアホか」


 摘んだ顎を離すと、


「珈琲!」


 と言ってちゃぶ台に肘をかけよっ子を睨みつけた。


「はい……」


 よっ子はすぐに立ち上がりキッチンへ駆け込んだ。心臓がドキドキしている。息をするのも苦しい、一輝のあの大きな手に感じた自分が恥ずかしくなった。


 子供の様にあやされたとしても男の胸の中でその腕で強く抱きしめられたことなんて一度もないよっ子の動揺が垣間見える。


 お湯を沸かしながら心臓の鼓動を落ち着かせようと必死だ。やかんがシューとなってスイッチを切った。


「インスタントかドリップ、どっち……」


「ドリップ!」


「はい」


 バクバクしている心臓はしばらく落ち着きそうにない。さりげなく一輝を見やるとお泊まりセットのブルーのブラを手に取って見ていた。


「やだ!先輩!」


 よっ子は慌てて駆け寄りボストンバッグを自分の後方に隠した。


「今、私の下着見てたでしょ」


 と睨みつける。


「ガキのブラとパンツ見てもよ〜」


 また、自分の股間を指差して、


「見てみ、俺の息子、反応してねえだろ」


 と言われて思わず股間を見てしまった。


「もう!」


 よっ子は真っ赤になって一輝に両手を振り翳し叩こうとしたその手首を一輝は掴んだ。

 

 その反動でよっ子の全体重が一輝にのしかかり二人は重なり合う様に床に倒れかけ反射的に一輝はよっ子の後頭部に腕を回して倒れ込んだ。互いの顔と顔の距離が十五センチほどまで近づいた。

 

 互いに見つめ合う『どうする俺!このシチュエーションやばくねえか、親父どうすりゃあいいんだ。兄貴!俺、どうすりゃあいい』


 見つめ合う目を逸らすことができない。よっ子は顎に手を添え震える指先で優しく唇をなぞり一輝は本能を抑えこむように眉間に力を入れて目を閉じた。


 よっ子は一輝の唇を見つめている。一輝は目を開くとよっ子を見つめて、そっと唇を重ねた。


 よっ子は『あっ……』と思い、『目を閉じなきゃ』と思って、きゅっと目を閉じた。


「このまま続けるか?」


 よっ子は目を開き一輝を見つめる『なんてムードがないの……』よっ子がぽかんとしていると、


「別に俺はお前が抱いてくれっていうんなら抱いてやる。だけどな……。もし親父にバレたりでもしたら二人揃って破門になるぞ。いいのか隠したところで兄貴は絶対に見破る。お前が選べ、それによ。俺が思うにな、好きでもない男とするのはどうかと思うぞ。俺は女となら誰とでもやれるけどよ。お前は違うだろ」


「……」


「どうする?」


「私のこと好きですか?」


「好きかどうかと訊かれてもな。俺にとってお前は……。妹みたいなもんだからな」


 一輝はそう言いながら身体を起こしよっ子も抱き起こした。気まずいはずなのに互いに見つめ合ってお互い微笑んだ。一輝はよっ子の頭に手をのせて、


「キスくらい減るもんじゃねえから、したくなったらいつでも相手になってやる。ただなよっ子、お前がガキっぽいから抱かねえって訳じゃあねえからな。別の場所で知り合ってたらよかったんだろうけど、今のお前は妹分だからこれ以上はできねえ。珈琲、入れてくれるか」


「はい」


 『まるで子供扱い』


 そう思いながらも返事をした。気に留めない振りで平気な顔をして見せた。


 ドリップのしたたるしずくを眺めながら考える。

 『先輩のこと好き?多分、好きだと思う。いつもそばにいて尊敬できるところだってちゃんとあるし、優しい優しくて暖かくて、あの大きな背中、大きな手……。あの手好き』


 よっ子は目を閉じた。胸の奥が痛くてきゅっと締め付けてチクチクッする。珈琲を注ぎながらよっ子は一輝の見つめた。


 『私は女じゃなくて……妹分、先輩を好きになってはいけないんだよ』

 

 よっ子は自己抑制する様に心に言い聞かせていた。


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