第13話 喫茶店 コカド
北町商店街に着いてよっ子は早乙女洋菓子店の前に自転車を止めて、横の狭い路地を通り抜け、裏に回って玄関を開けて中に入った。店では既に幸二がケーキを並べ開店準備に追われている。背後から黙ってその様子を眺めていると、不意に幸二が振り返った。
「わっ!びっくりした。よっ子ちゃん来るなら、来るって言ってよね」
「ごめん、びっくりさせた?」
「心臓止まるかと思った。もう〜どうしたのこんなに早く」
二人は同時に厨房の時計を見た。
「ごめん!急に思い立ったの、ねえ、幸ちゃんにお願いあるの」
「なんでも言って!お願いききたい」
「変な人」
「変な人って、なにそれ〜。ところで、頼みってなに?」
幸二は話を聞きながら手際よくケーキをショーケースに入れたり、オーブンの中のシュークリームの皮の焼け具合を確認をして作業を続ける。
「昨日、またお酒飲んでなにか失敗したみたいなの」
「なにしたの?」
「わからないんだけど」
「今日は会社は休みなの?」
「本当は休みじゃないんだけど、社長が部屋の片付けしろって、休みにしてくれたの」
「なんて優しい社長さんなの!」
「そうなの、本当によくしてくれる社長なの」
「で、部屋は片付いたの?」
「うん、ほらそんなに持って行った物ないし」
「そっか、で、どんなアパートだった」
「動画撮ってきたけど見る?開店準備終わったら見せてあげるね」
「うん、見てみたいな。よっ子ちゃんが住む所、気になるから」
「それと、大人の男のケーキ今日何個作る」
「いくつ欲しいの?」
「10個かな?もう切った?」
「まだ切ってないけど」
「ホールのまま買って行ってもいい?」
「買わなくてもいいよ、娘のしでかしたそのお詫びなんでしょ。後で包むから」
「ダメ!売上協力させてください」
「あのね、娘のお金で売上、上げて意味あるのかな?娘の失敗は親の責任てな、で、なに失敗したの?」
「覚えてない」
「えっ?覚えてない、ほど飲んだって事?」
「そう、ねえ、まだ母さん寝てるの?」
「朝はゆっくりしてって言ったんだ。安定期に入ったっていっても、高齢出産になるし、大事にしないと」
「ありがとう、幸ちゃん、わたし、ちょっとリッチな気分でコカドでモーニングしてくる。また後で来るから」
「へえ〜喫茶店でモーニング、僕、休みの日、コカド行ってたよ。今は真紀ちゃんの美味しいご飯あるから行ってないけど」
「あっそう」
「あっそうって素っ気ないな、ゆっくりしておいで」
よっ子は店の三件向こうの喫茶店コカドに向かって歩く、ドアを開けると真鍮の音が優しく音色を響かせた。
「いらっしゃいませ」
「おはようございます」
マスターが丁度、客にモーニングセットを運んで行ったところだった。
「モーニングセットひとつください」
「はいはい、お好きなお席にどうぞ」
「はーい」
レトロな雰囲気の喫茶店コカドは昭和初期頃から続いている老舗である。ほとんど改装もしていないままの造りである。よっ子は端の席に座った。ゆっくりとくつろげるこれくらいの客数が、丁度いいとよっ子は勝手に思う。
ソファや椅子の布は赤を基調としていて、流れる曲も静かな曲調で気にならない。とても優雅な気分に浸る。マスターがお冷をテーブルに置いた。
「あっ、ありがとうございます」
「たしか、早乙女さんちのお嬢さんだよね」
よっ子は顔を上げてマスターの顔を見上げた。
「はい……そうですけど」
「パティシエに写メ見せられたよ。娘になる子って」
「マジ!幸ちゃんそんな事、してるんですか、恥ずかしい」
両手で顔を覆った。
「そりゃあー言いふらすだろうね。早乙女君はさぁ、あんたのお母さんの事、好きで好きで好き過ぎて、この辺一帯の人にあの人誰!あの人の誰?あの人の事教えてぇーってさ、凄かったよ。名前を知ったら知ったで、橘真紀子さんてどんな人!どんな人!どんな人ーって聞いて回って、知ってる人を見つけては情報仕入れてその見返りはケーキ。俺もケーキで買収されたひとりなんだ。早乙女君のケーキ美味いよね。甘い物苦手な俺もペロリと食えるから、この辺じゃ、君のこと知らない人いないんじゃねえ」
マスターはよっ子の肩をポンと叩いてカウンターの中に入って行った。
「ゔあ!最低〜幸二最低〜今日から格下げ、呼び捨て、絶対父さんなんて呼んでんやんないわ」
ため息ついてトートバッグから文庫本を取り出した。
「気を落ち着かせ、読書にふけて水を飲む」
文庫本に挟んだ双葉のクローバーの栞をテーブルに置いて、グラスの水を一口飲んだ。
マスターがテーブルに珈琲とトーストと茹で卵とウインナー3本、小皿のサラダが盛ってある皿を置いたと思ったら目の前に自分の珈琲カップを置いて座った。
「ん?」
「ところでさあ、この間、よっ子ちゃんを見かけたんだよね」
「どこで、ですか?名前までご存知なんですね」
「もちろん、さあ食べて、トーストの焼き具合スッゲーいいから」
馴れ馴れしいマスターの年恰好を見て幸二と同年代だろうと想像した。よっ子を見ている表情は満面の笑顔だけれど、どこか違うとよっ子は首を傾げる。
癖や性格を見抜く技法は自分の為になると次郎丸時貞が事務所を訪ねてきた客に話していた事を聞いて実践する様になった。
寡黙な丈治は相手の心を読み取る技法を身につけている。丈治が観察している人間を観察し、後で丈治と答え合わせをすると一致する様になった。
『お前、素質があるんじゃあねえか』
あの丈治が誉めてくれた。
トーストをかじるとサクッと音がした。よっ子は目を見開いた。家で食べるトーストとなにが違うのかわからない。こんなに香ばしく美味しく焼けるのは、食パンが高級なのかトースターが優秀なのか、
「美味しいー」
「だろ!」
「この美味しさは食パン?それともトースター」
「企業秘密!」
二人は目を細めて睨み合う。
「ケチ!」
「ケチはねえだろうよ」
やはり、言葉遣いがそっち系だと思う。
「あのーもしかして、元ヤンチャマンでした」
マスターはよっ子を指差し、親指立てた。
「どこでわかった」
「どこでって、目つきと言葉遣いかな」
「さすが、次郎丸親分の弟子だな」
「弟子ですか」
嬉しくて人中を伸ばした。
「おめえー、すぐに顔に出るな。その顔に出す癖、直せや、でねえと危ねえことに巻き込まれた時、嘘つがつけねえとやべえ時もあるぞ」
カランコロンと真鍮の鐘が鳴った。けれど二人は話に夢中で気づいていない。
「危険な事って」
「お前が踏み込んだ世界は危険が伴う世界だろ!それ知った上で入ったんじゃあねえのか」
「一応、考えましたけど」
二人が小声でボソボソ話していると、
「客が来てるのに気づかねえのか!おめえはなにしてんだ!仕事サボって朝からナンパしてんのか」
二人は同時に声の主を見上げた。二人して勢いよく立ち上がり、主に向かって
「おはようございます」
九十度腰を折って挨拶をした。客たちはチラリと見てすぐに、新聞やパソコン、スマホに目を向けた。
「モーニングセット!ですね」
と言ってカウンターの中に急いで入って行った。よっ子は突っ立ったままである。
「よっ子もこの店に来てるのか」
「今日が初めてです。一度来てみたくて、引っ越ししたばかりなので、朝、食べるものなくてモーニング食べに来ました」
「座って食え」
「はい」
よっ子は椅子に腰を下ろすとトーストを食べ続ける。
「あの、大介さん、じゃない、舎弟頭」
「なんだ?」
「あの、お部屋」
「気に入ったか」
「気にいるももなにも、素敵すぎて、どうやって使えばいいのかわかりません」
「どうやって使う、住むだけだろ」
「どうやって住めばいいのか」
「はあ?」
大介は呆れて、持ってきた朝刊を広げて読み始めた。よっ子は黙って卵の殻を剥いて塩を軽く振ってかぶりついた。
「あの、大介さん、じゃなくて、舎弟頭」
大介は新聞を下げるとよっ子の目をじーっと見るからよっ子は微笑み返す。
「その、いちいちいい直すのやめてくれ、イラッとする。お前は大介でいい、お前に舎弟頭って言われると背中がむず痒くなる」
「はい……」
文庫本を広げて読み始めたよっ子、黙ったまま時間が過ぎていく、
「お待たせしました!」
テーブルに大介のモーニングセットが置かれた。中身がトースト2枚、ベーコンエッグ、ウインナー6本、サラダが倍の盛り、よっ子はマスターの顔を見上げた。
『ト・ク・ベ・ツ・シ・ヨ・ウ』と口パクで言った。
「あの!トースト、すっごい美味しいから、おかわりください」
と叫んだ。
「おかわりだな。おかわりね、金貰うからな」
「もちろん!払いますよ」
大介は新聞をたたんで、そのまま椅子に置いて珈琲を飲んだ。よっ子は大介の食事の仕方が好きである。とても綺麗な食べ方をする。こんな強面の極道がこんな綺麗な食べ方をするんだ。と、感心させられる。そしてじっと見てしまう。
「なんだ!なに見てる。なにか食いたいのかお前、それだけ食ってもまだ足りないのか」
「違います。今、おかわり頼みましたので」
「小さい身体の割に大食いだな」
どこがですか!と、ツッコミたい所だけど、
一輝を相手のするようにはいかない。けれど、どうしても口元を見てしまう。
「なんだ!」
「えっ?なにも」
「どれが食いたい!」
「違います!」
「じゃあ!なに見てんだ」
「食べ方が……綺麗だなと……思って、私、大介さんの食べ方、口の動かし方が好きなんです」
丁度マスターがトーストのおかわりを持ってきてテーブルに置くと、ニヤリと笑った。その笑った顔を大介が見て、
「おまえは、なに笑ってんだ」
「いや、笑ってませんよ」
陽輔は慌てて逃げるように戻って行った。
「おい!陽輔」
「はい!」
直立不動になってこっちに振り返り真剣な面持ちで大介を見る。お客さんは事情を知ってかクスクス笑う。
「こいつに、ベーコンエッグ作ってくれ」
「はい!ただいま!すぐにお待ちいたします」
と叫んで厨房に入って行った。
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