第5話  3ヶ月前のよっ子

 よっ子が出社しタイムカードを押す時間は決まって8時29分である。


 不動産業務が開始するのは9時であるがそれまでに制服に着替え、朝のミーティングをし、開店時間までコーヒーを入れ雑談をするという社員同士のコミニュケーションタイムである。


 開店時間になると店の自動ドアの鍵を開け、客が来るまで店内外を掃除する。


 この気の緩んだ体制はが口癖の3代目社長が就任した頃からで、よっ子が入社して5年目を迎えた年である。


 よっ子はを受け入れざるおえなくなった。明那あきなに教わった言葉、


『郷に入れば郷に従え!それがそこで生きる道、わかった!よっ子』


 この佐武不動産会社国文山駅前本店がよっ子の勤務先である。


 このところの社長の機嫌が非常に悪いから社内は殺伐としていて、やたらとピリピリしていた。


 まずは朝の清掃業務箒、ちりとり、バケツや雑巾を持って中山明那と田所真由子の3人で表に出ると軍手をはめて道路沿いの掃き掃除、雑巾がけや窓拭きをする。


「よっ子、そろそろアパート見つけないといけないんでしょ。いい物件見つかった?」


「それがまだ、電車かバスで通いたいんですよね。憧れっていうか、ほら今まで自転車通勤だったでしょ。つまんなくて」


「よっ子って私と一緒で趣味読書だものね、通勤途中に読書したいんでしょ」


「はい!真由先輩、この気持ちわかってくれます。それに図書館に近いところ探してて」


「すごくわかる。私わざわざあんな遠くのアパート選んだのそこだのも、アパートの近くに図書館あるから休日は図書館三昧、すぐに借りにも返しにも行けるしね。ここから電車で一時間、結構読めるわよ」


「全然わかんない!私にはあんた達の感覚、全然理解できない、なに?図書館ってそれほんと意味わかんないし。アパートが近けりゃ、さっさとうちに帰ってひと風呂浴びて、ビールガバッと飲んで、DVD見る方が絶対いいに決まってる」


 つややかで美貌が取り柄だが、頭皮をガリガリ掻くものの、スカートの上から尻をぽりぽり掻くものの、喉ちんこが丸見えになるほどの欠伸をするこのこの女。


 中山なかやま明那あきな36歳美人が台無しオッサン化が加速している。


 田所真由子、31歳、よっ子が育った環境と酷似していて気が合う同志のような存在、女手一つで育てられ、母親は現在再婚して幸せに暮らし現夫との間に子供を3人もうけた。真由子もまた疎外感を心に秘めた女子なのである。


 不動産会社は、閑散期と繁忙期があり5月は閑散期に突入しとても暇な時期だ。


「よっ子!今のうちにさっさと新居を探しなさいよ」


「はい!明那先輩」


「確かに先輩の言う通り、さっさと家に帰ってゆっくり読書するって方が楽だったりしてね。あはは、さすが年の功!やっぱこう言うことって歳上に聞くのが一番ねっ!よっ子」


 真由子の背後では明那が竹箒を振りかざしている。


「ねえ、真由先輩、うしろ」


 真由子は下唇を噛んで梅干しを食べた時みたいな顔をして、ゆっくり振り向いて素早くよっ子の背中に隠れた。


「あんたね!よっ子の後ろに隠れても、あんたの方がひと回り、いや二回り、いやいやそれ以上に大きいから、全然、隠れられないのよ。わかる!」


 真由子は168センチ大型、動物で例えるとカバとか象とか、恐竜で例えるならプラキオサウルスである。


 身体は大きくてもおおらで、優しい性格で肉嫌いの草食系だ。『あんたって草食系のくせに、その贅肉はなに?どうやって脂肪になるのかしらね』遠慮ない言葉は鋭くて、よっ子はいつもはらはら、どきどき、させられてしまう。そんな言葉をかけられても真由子は全然へこたれない、それよか揺れるお腹を自慢する。


 一方、明那は元モデルというだけあって、身長176センチで細身でスタイル抜群である。世間一般では抜きに出て目立つ美貌の持ち主だ。


 夢を追い求め、その世界に入ったのは良いけれど、より優れた人材がひしめき合う中で惜しくも椅子取りゲームからは外れてしまった。狭き門をくぐり抜ける事ができず夢を諦め挫折をし現実世界に戻ってきた。


 3人が清掃をしていると会社の前に黒のワンボックスカーと高級車のセダンが駐車場に停車した。


「なに、なに、誰?」


 3人は寄り添ってそれを眺めている。


 セダンの助手席から黒スーツを着た男と運転手がすぐに降りてきて後部座席のドアを開けた。


 左右の後部から2人の男が降り立った。

一人は背の高い30代後半の凄みのある男前と、見るからに親分らしい風格の厳つい顔をした男、


「映画のワンシーンみたい。まるでゴッドファーザーだわ」


 映画好きの明那はすぐにそう思った。


「先輩、聞こえますよ」


 ワンボックスカーから一気に男衆が6人、降りてきてそのゴッドファーザーを取り囲む、


「マジ!ゴッドファ……」


 真由子が明那の口を塞いだ。


 強面達が店の自動ドアの前に立ち、開いたドアを手で押さえた。助手席から出てきた男が、ゴッドファーザー一味全員が中に入るのを見届けてよっ子たち3人に視線を向けた。


「お嬢さんたちも中に入ってください」


 虚勢を張らず凛とした佇まいで至って普通のサラリーマンに見える。


「この人ヤクザじゃないみたい」


「先輩!いい加減にしてください。すいません。この人、洋画が大好きなんです。あの特にゴッドファーザー」


「真由先輩もやめて!」


 よっ子はゴム手袋をしたまま顔を覆った。


「あっ!やだ〜ゴム手」


「さあ、皆さんも親父を待たすわけにはいかないので」


 よっ子は客人と思い心からの営業スマイルで対応する。


「お父さんですか!」と声高らかに言ってその男に駆け寄り顔を見上げて微笑んだ。ゴム手袋を外してバケツの縁にかけて入り口の前に立ち、


「どうぞ!」と招き入れるよっ子は二人に向かって嬉しそうに手招きをして先に中に入って行った。


 この閑散期に客が来店することは店員にとっては嬉しいことである。閑散期というだけあって、閑散としている店は開店休業状態でどこか物寂しい、


「よっ子って親父おやじって呼ばれてるのを普通のお父さんと勘違いしてるわね。世間知らずなあの子らしい、あれで、ほんとに読書家なの?」


「あの子が読むのは妖怪ものとかファンタジーものとかなので、親分が出てくるようなハードボイルド系は読んでません」


「あんたは、わかるよね」


「もちろんですよ。親父はヤクザの子分達が組長を呼ぶときに使うんですよね」


「日本の任侠物は全て親父!って呼ぶわよね」


「先輩、じゃあ、あれは、本物」


「多分」


「でも、どうしてそのヤクザの親分がこんな所にお出ましなんですか?」


「それはね」


 ここ最近の会社の業績が良くなかった。秘書の晴美が独り言のようにロッカールームで呟いたのは、社長は資金集めに翻弄しているが、未だに資金援助を受けられないでいる。



 三代目だからなのか日頃の行いが悪いのか、が口癖の癖は時にマイナス評価に繋がるわけで、危機感ゼロの三代目社長にはもう誰も手を差し伸べてはくれない。月々の返済も滞らせていたから銀行も既に相手にしてくれず、そのうちヤミ金に手を出しかけたが、そこが清水町のドンと呼ばれる男の経営する金融会社だったというわけで、ゴッドファーザーこと、清水次郎丸時貞親分は様子を伺いにここへ来た。


「お金は貸してもらえなかったって聞いてるけど、どうしてここに出向いて来たのかしら」


「ちなみに三代目って何か意味あるんですか」


「聞いたことなぁい?会社を駄目にしてしまうとか潰してしまうのが三代目に多いって」


「ほんとですか?」


「知らない、晴美が言ってたから」


 2人は話しながら店に入っていき、おずおずと店内から奥の事務所をそっと覗く、社長室に入りきれない黒スーツのワゴン集団が背筋を伸ばし前で手を組み整列しているその姿は屈強な男ばかりに見える。明那と真由子を見つけた途端、皆の目が揃って2人を見据えた。社長室から声が漏れ聞こえる。


「これで全員なのか!」


 と若い男の声がしたと思ったら、


「外にいた女の子2人はどうした」


 と渋くて低音の凄みのある声がした。


「今の低い声ゴッドファーザーよ。さすがね。みてないようで見てるのね」


 とすこぶる感心している明那に、


「先輩、頼むからその呼び名やめてください」


 真由子はそわそわしながら小声で言った。


「だって、ゴッド…」


「おい!」


 と社長室の扉に一番近い男が明那に言った。


「親父!ぼーっとした女2人がまだここに居ますぜ!」


 社長室からさっき、よっ子が嬉しそうに案内して一緒に店内に入って行った男が顔を出し、


「お二人とも中に入ってください」


 2人は頭を下げながら強面の男たちの間を通って社長室に入って行った。




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