第25話 狙われたコーラ

 迷宮樹に覆われた薄暗いスラム街を、荷馬車はガタンゴトンと揺れながら進んでいく。奥に行けば行くほど、西側の住人からは生気が消えていくような気がした。


「一体何処まで行くんだよ?」


 俺は悪臭にもげそうな鼻を腕で覆いながら男に尋ねる。


「もう少し奥の方でございます」

「……まだ奥なのかよ」


 嫌な気持ちが顔に出るのを隠せないほど、俺はスラムの雰囲気に辟易してしまう。


 俺はスラム特有の空間があまり好きではない。なぜスラム街という場所はこんなにも不衛生なのだろうか。街の南側や東側にも清掃員はいないのに、この差は何なのだろう。


 東側と違い西側の空を迷宮樹の葉が覆っている事が要因の一つなのかもしれない。そのせいで街の景観は損なわれている。日中陽の光を遮られてしまえば、気持ちだって暗くなってしまう。


「ねぇ、なんかおかしくない?」


 スラム街を西へ西へ進んでいると、ふいに周囲を見渡すように首を振るゆかなが心許ない様子で口にする。


「おかしいって、なにが? ――あぅっ!?」


 突然荷馬車が停止するもんだから、俺は思いっきり舌を噛んでしまった。


「痛ってぇ〜! 止まるなら止まるって言ってから止まってくれよ。怪我しちまうだろ」


 俺は手綱を握る商人に文句をぶつける。けれど男から謝罪の言葉はなかった。


「……!」


 謝るどころか商人は人を小馬鹿にしたような笑みをこぼしている。

 なんなんだよこいつと思った瞬間、


「ぐちゃぐちゃとうるせぇインポ野郎だな」

「へ……?」


 俺の聞き間違いだろうか。

 今ものすごい暴言を吐かれたような気がするのだが……。


「あ、あのさ、今のインポ野郎ってのは俺に言ったのか?」


 男に声を掛けたのだけど、男は俺を無視して御者台から降りてしまった。


 もしかしてもう着いたのかな、そう思い周りを見渡して見る。

 すると、建物の陰からガラの悪そうな男達がぞろぞろとゴキブリのように出てくる。

 その数、優に20は超えている。

 しかも全員手には光り輝く得物を携えており、敵意に満ちた気色の悪い笑みを浮かべていた。


「ハメられたわね」

「ハメられたって……なんで俺がぁっ!? 俺はブルーペガサスの得意先だぞ! その俺がなんでハメられにゃならんのだ! マルコスの野郎はどこにいやがんだっ!!」

「そんなのアタシが知るわけないでしょ。理由ならあのインチキ商人に聞きなさいよ」


 目深に被っていたフードを外したゆかなは、薄気味悪く笑みを浮かべる男を睨みつけている。


「厄災の魔女だと!? このインポ野郎はイカれてんじゃねぇのかっ!」


 彼女を一瞥した男は驚いた様子で悪態をつき、ガラの悪そうな男達は手にした得物に力を込めた。

 俺は男のゆかなに対する態度に違和感を覚えていた。


 マルコスはゆかながハーフエルフだということを知っているはず。それなのに部下のこいつはゆかながハーフエルフだということを知らなかった? 商売人ならできて当たり前の報連相ができていない。


 マルコスは報連相によってゆかながハーフエルフだということを知っていた。その部下がゆかなの正体を知らないというのは妙な話だ。


「お前マルコスの部下じゃないな」


 俺は腰の魔剣に手を伸ばしながら問うた。

 すると男は胸に付けていたブローチを外し、叩きつけるように地面に投げた。


「この俺がブルーペガサスの三流商人なわけねぇだろ。バカかてめぇはっ!」

「ブルーペガサスじゃないだと!?」


 マルコスの部下どころかブルーペガサスでもないって、ならこいつは一体何者なんだ?


「俺はレッドファルコンのジギー・ベントラリス。おとなしくコーラの製造方法を教えるなら命だけは助けてやる」


 レッドファルコン……?

 聞いたことがない――が、男の恰好からしてブルーペガサスと敵対している商業ギルドなのだろう。状況からしてゴロツキ達はこのジギー・ベントラリスとかいう男に雇われたと見てまず間違いない。


「あとその積荷も頂く」

「……っ」


 なんちゅうセコい野郎だ。

 コーラを狙っている貴族なんてのは嘘っぱちで、狙ってたのはこいつだったということかよ。


 ふざけんじゃねぇっ!


 だが、引き返すにしても道幅が狭くてUターン出来そうにない。

 最悪荷馬車を捨てて逃げるしかないか。


「荷馬車を捨てて逃げる事はオススメしねぇな」

「!?」


 人の心を読んだ!? ――いや、多分こちらの目の動きを読まれたのだろう。


「ゴロツキだけだと逃げれるとでも思ったかぁ? んっなのはただの数合わせに決まってんだろう? マヌケ野郎がっ」


 悪態をつく男の背後から、ゴロツキ達とは明らかに雰囲気の異なる男が登場。筋骨隆々とした歴戦の兵士って感じの男だ。歳は30代半ばといったところか。


「まずいわね」


 男を見た途端、ゆかなが目の色を変える。

 驚きというよりかは、焦りに近い感じだったと思う。


「あれは多分、迷宮探索を生業にしている冒険者よ」

「冒険者!? なんでそんなのが悪事に手を染めてんだよ!」

「冒険者ってのは元々ならず者の集まり、報酬次第ではなんだってする連中なのよ」


 そういえばコロネ村を襲った野盗も元を正せば冒険者だった。


 しかし、眼前の男は明らかにあの時の野盗とは雰囲気というか、纏っているオーラみたいなものが違う。強者の覇気とでもいうのか、そんな感じの何かが全身から溢れていた。


 素人目から見てもまともにやり合うのは危険。ゆかなが下唇を噛むのも納得だ。


「逃げようなんて考えは捨てたほうがいい」

「……っ」

「あの時計台が見えるな。俺の仲間があそこに待機している。弓の名手だ。逃げようとすれば貴様の足にでかい風穴が開くと思え」


 男が視線を投げた時計台に目を細めると、一瞬何かがキラリと光った。

 空を覆った迷宮樹の葉からもれた光が、狙撃手が番える矢を反射したのだろう。


「あれ、風魔法で倒せるか?」


 俺は時計台からこちらを狙っていると思われる狙撃手を、いつもの風魔法で倒せないかと考えた。


「距離があり過ぎてさすがに無理」

「だよな」


 ここから時計台までは直線距離にして100mは離れている。その上高度もあるのでそんな気はしていた。逃げ出せば男は容赦なく仲間の狙撃手に矢を放つように指示を出すだろう。


 さて、どうしよう。

 困ったなとこめかみ辺りを指で掻いた俺は、積荷と一緒に積んでいた背嚢に目を留める。


「おい! 何してやがる!」

「えーと、たしかこの辺に入れたはずなんだけど……あった!」

「な、なんだそれは!? ゴッホゴッホ」


 真っ赤な発煙筒をリュックから取り出した俺は、手早くキャップを外して発煙筒を発火。凄まじい勢いで真っ赤な煙を放つ発煙筒を、俺は荷馬車を隠すように投げていく。その数10本。狭い路地はまたたく間に煙に覆われた。


「これを付けるんだ」

「仕方ないわね」


 俺はすかさずガスマスクを装着。ゆかなにも同様のガスマスクを装着させる。ガスマスクを装着していないジギー達は煙を吸い込んで噎せている。


「何やってんだよ! さっさとあのインポ野郎を止めろっ!!」

「無理だ。煙でなにも見えない」

「なら狙撃手に射抜かせろ!」

「この煙ではそれも無理だ。この状況で下手に矢を放てば、最悪俺やあんたにも風穴が開いてしまう」

「……ッ! 高い金払ったのに使えねぇ野郎だなっ!」


 ジギーの怒声が響き渡る中、俺は「よっこらしょ」と御者台に座り直す。隣には意外と冷静なゆかなもいる。


「随分落ち着いてるわね。状況は依然としてこちらが不利なのよ」

「でも矢は防げただろ? それにこの煙で下手に近付けないだろ」

「でも煙が消えたら袋の鼠ジ・エンドじゃない」

「さて、そいつはどうかな?」

「……何か策でもあるわけ?」

「策なんて大層なもんじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「運を天に任せるだけさ」


 俺は勢いよく昇る煙を見上げた。


 発煙筒の燃焼時間はおよそ5分。敵は5分間はこちらに手が出せなくなる計算だ。

 しかし、ゆかなの言う通り煙が消えれば俺達は再びジギー達に詰め寄られてしまう。ゴロツキだけなら俺とゆかなの二人でもなんとかなるとは思うのだが、問題は冒険者の男。


 あれと真正面からやり合うのはできれば避けたい。なにせ相手は現役冒険者なのだ。

 であるならば、今は焦らずじっと待つしかない。


「これは一体何の騒ぎだっ!」


 どうやら天は俺達を見捨てることはなかったらしい。


 5分も経たずに、真っ赤な煙に誘われた兵士達が次々と押し寄せてくる。スラムで人が死んでも見てみぬフリを突き通す彼らでも、さすがにこの煙は見過ごせなかったようだ。それもそのはず、迷宮都市ガルザークには燃え移ったら街が消滅するほど巨大な迷宮樹がそびえ立っているのだから、彼らが火の手に敏感なことくらいは俺でも予想がつく。


「蒼炎さん!」


 そして、聞き慣れた声も背中越しに響く。


「来てくれると思ってましたよ、マルコスさん」

「まったく、貴方という人は……」


 やれやれと頭を振るマルコス。

 商人の武器は情報である、以前彼が誇らしそうに言っていた事を思い出す。であるなら、騒ぎを起こせば彼が飛んで来てくれることは予想ができた。迷宮都市ガルザークにおいて、商業ギルドブルーペガサスほど力を持つ組織はない。敵を牽制するためにも、この場にブルーペガサスの商人が居てくれるのは心強い。


「いつもの時刻になっても蒼炎さんがやって来ないので、少し部下に調べさせたらこれですよ。まさか街中で狼煙を上げるなんて予想外過ぎますよ。しかもこんなに目立つ真っ赤な狼煙を」

「緊急事態だったので大目に見てください」


 茶目っ気たっぷりにそう言うと、マルコスは再びやれやれと苦笑いを浮かべていた。


「くそったれぇッ! のろまな貴様のせいでこんなにも人が集まって来ちまったじゃねぇかッ! これは極秘コーラ奪還暗殺ミッションだったんだぜ! どうしてくれるんだっ!」


 地団駄を踏むジギーは冒険者の男を怒鳴りつけている。

 男はめちゃくちゃ鬱陶しそうな顔をしていた。


「報酬はもちろん、払った前金も返してもらうからなっ! この役立たずっ!!」

「……っ! 要は目撃者がいなくなればいいんだろ」

「この数を殺れるのかよ?」

「こう見えても十数年、冒険者として生きて来たんでね」


 腰の得物を引き抜いた男の顔つきが厳しいものに変わる。どうやら本気でこの数を相手にするつもりのようだ。


「一つ聞くんですけど、マルコスさんは戦う商人さんなんですよね?」

「戦う商人……? わたしが強そうに見えましたか?」

「………」


 イケメンスマイルを向けてくるこの男は、一体全体なにをしに来たのだろう。


「うわぁっ!?」


 粘りつくような視線をマルコスに向けていると、狭い路地では憲兵とゴロツキが大立ち回りを演じている。

 そして、すぐ側にはご立派な矢が深々と突き刺さり、俺は驚きに声をひっくり返す。


「うっ、射ってきた!? マジで射ってきたぞあの野郎っ!!」

「ごちゃごちゃ行ってないで隠れんのよ、バカッ!」


 時計台の狙撃手から身を隠すため、ゆかなとマルコスは荷台の積荷に身をひそめていた。


「お、お前たちだけズルい!」


 俺も慌てて荷台に移ろうとしたのだが、


「逃がすかァッ!」

「ヒィぇっ!?」


 鬼瓦権蔵みたいな顔をした男が、得物を大きく振りかぶり突貫してくる。


「――――!?」


 魔剣を鞘から引き抜くより早く、何かが俺の頭上を飛び越えた。


 カキィィィイイイン!!


 刹那、鉄がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。


「な、なんだ!?」


 突如何処からともなく現れた女性は、俺の眼前で男と鍔迫合っていた。梔子色の縦ロールが特徴的な、高貴そうな見た目の女性だった。


「シジスモンディ公爵令嬢!? なぜ貴方が此処に!」


 驚きの声を上げるのは、積荷と積荷の間に挟まったマルコスである。


「応接室の窓から不吉な煙が見えましたので、まさかと思って駆けつけたのですわ。彼がコーラの製造者、そうですわね?」

「……はい。その通りです」


 マルコスは致し方ないといった感じで、項垂れるように頷いた。それからマルコスは俺に申し訳ないと両手を合わせていた。


「敵の狙いもコーラということですわね。でしたら、このわたくしも微力ながら力を貸しますわ」

「なっ!?」


 すごい!

 悪役令嬢みたいな女が鬨の声と共に剣を押し返すと、男は驚愕しながら二歩、三歩と後退。ふらついた男の側頭部に柄頭を叩き込んだ。


「すっげぇ〜〜っ」


 細い身体のどこにあのような力があるのだろう。女は意図も簡単に歴戦の猛者みたいな男を伸してしまった。


「あっ、弓!?」


 女の腕っぷしに思わず見惚れてしまい、荷台に避難するのを忘れていた。


「あの野郎っ!」


 男が敗北するや否や透かさず逃走を図るジギーを横目に見ながら、俺は慌てて荷台に移動しようとした。


「もう安心ですわよ」


 艶々と潤いのある声が背中越しに響く。


「えっ、いや、でもっ!」


 俺はまだ狙撃手がいると時計台に目を向けたのだけど、「ご安心なさい。狙撃手なら今頃セバスチャンが捕らえていますわ」漫画みたいな縦ロールを手で払った彼女が自信満々な顔で歩み寄ってくる。


「それより、貴方があの摩訶不思議な飲み物、コーラの製造者ですわね!」

「……」


 素直に頷くべきかどうかを思案するように、俺は積荷の隙間から顔を覗かせるマルコスを見た。彼はこうなった以上は仕方ないと云うよう立ち上がり、肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

 その反応ですべてを悟った俺は、その通りだと云うように深く頷いた。


「まずは危ないところを助けて頂き感謝いたします」

「やっと見つけましたわぁ!」


 感謝の言葉もそっちのけに、彼女はお嬢様らしからぬ鼻息で迫り寄ってくる。


「コーラを! わたくしのためにコーラを大量に作ってくださいませっ!」

「……へ?」


 その顔はとても必死だった。

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